第177話 オーバーヒート!


 

 水族館でガラス越しに巨大な魚が泳ぐさまを眺めながら、甘辛く味付けされたイカの一夜干しと、すり身団子が浮かんだつみれ汁を食べている。

 

「これって、ケインさんだよね」

 

 水族館内のフードエリアに並ぶメニューを見ながらレンは呟いた。

 

「タコ焼きやポテトフライもありますよ?」

 

「いや……あの人達、タコ焼きをつまみに飲むでしょ。キララさんなんか、ポテトフライの塩気だけでジョッキ一杯飲めるって言ってたし」

 

「皆さん、お酒好きですよね」

 

 ユキがストローに口をつけた。カップの中は、フレッシュキウイジュースだった。 

 

「水族館って……静かなんだな」

 

 レンは高い天井を見回してから、大窓の周囲へ目を向けた。

 

「今日は、貸し切りですから」

 

「えっ? そうだったの?」

 

 レンはぎょっと目を見開いてユキを見た。

 ストローの先を口に含んだまま、ユキが頷いてみせる。

 

「あれ? バロットさん達は?」

 

「町に入ることはできますけど、水族館はチケットが無いと無理です」

 

 ユキがカップを揺らしながら底に溜まったキウイの果肉を混ぜている。

 

「まあ……そもそも、この島に来る人が少ないか」

 

 南鳥島の"ステーション"から入るか、他のステーション経由で、ゾーンダルク内を移動してくるしかない。

 

「これ、こっちのイカなのかな?」

 

 木串に刺さった白い塊を手に持って眺める。

 

「そうみたいです」

 

 ユキが食べているのは、小さくカットした白身をフライにしたものだった。

 

(……ラーメンとか餃子もある。奥のは、アイスクリーム?)

 

 巨大な窓から眺める水中の様子よりも、フードコートに並ぶ店の方が面白い。店員は、"南鳥島ステーション"からの出張派遣らしい。

 

「レンさんは……これから、どうしますか?」

 

 不意に、ユキが話しかけてきた。

 

「どうって?」

 

 レンは、イカ串を片手にユキを見た。

 

「"ナンシー"先生に教えて貰いました。世界の……変革は落ち着くそうです」

 

「……そうだね」

 

 すでに、壊れた創造装置による創世自体は完了している。装置の破壊も終わった。残る懸念は、"魔王"と"ゼインダ"の暗躍だが、"マーニャ"の見たてではレンとの交戦で多くのエネルギーを失い、世界を改変するほどの力は残っていないそうだ。

 

 世界という箱物を改変することはできない。世界に配置された"駒"を取り替える力は無い。

 キララ風に言うなら、テーブルに用意された"ゲーム盤"と"駒"で遊ぶか、遊ばずに隠れ続けるかの2択しかない。

 

「選択肢なんて無いのよ。あいつらはレン君が怖くて堂々と姿を現すことはできないから、誰かを代理プレイヤーに仕立てるしかないわ」

 

 身動きが取れずに追い詰められているのは"魔王"側だとキララ達は言っていた。

 レンとの直接対決を避けなければいけないという制約が重たく、何をするにしても中途半端で嫌がらせ程度の動きしかとれないのだと。

 

 思い描いたようにはいかなかったが、足掻あがいた甲斐はあったらしい。

 色々なものが混ざり合った世界になっても、人類が滅ぶことなく踏みとどまって生きてゆけるだけの足がかりは残った。

 

「よっぽどヘマをやらない限り、もう滅んだりしねぇよ」

 

 ケインもキララと同意見だった。

 

「マーニャ先生が核を封じてくれたもんねぇ~……生物兵器とか蔓延しても、"ステーション"で治るしぃ~」

 

 すでに"鏡"の大氾濫スタンピードを抑制するための武装を手に入れている。

 "ナイン"の同盟国はマイマイの特異装甲服を、例の"騎士"を選択した国も多い。独自に装甲戦闘服を開発したと言っている国もあるらしい。実際は、以前にマイマイが販売した旧戦闘服の劣化コピーらしいが……。

 

「ある程度モンスターやクリーチャーの行動範囲を抑制できれば、後はヒトデの内部にあるダンジョンと……人間同士の戦争か」

 

 何もかも綺麗に片付けることはできそうもない。ケイン達も、"ある程度の平和"しか目指していないようだった。

 

「私は、ゾーンダルクの方が好きです」

 

「そうなの?」

 

「平和ですから」

 

 ユキが淡く笑った。

 

「平和……かもね」

 

 侵略行為を続けていたファゼルナやデシルーダも"魔王"の同胞達が操っていただけの駒だった。今となっては、第九号島の脅威になり得ない。

 困窮している他の島を交易などで支援することと、"鏡"と繋がる陸地を監視して渡界してきた地球人と現地人の争いに介入して調停するくらいだろう。

 

「う~ん、いつの間にか……いい感じになってる?」

 

「今もどこかで問題が起きていると思います。でも、それは……それがいつもの地球……人間社会だと思います」

 

 ユキがゴミ箱に向かって手招きした。壁際に置かれていた円筒形のゴミ箱が滑るように移動してユキの前へ来る。

 開いた上蓋から飲み終わったカップや皿、木串などを入れると壁際へ戻っていった。ダンプステーションでナノマテリアルに分解されて原材料として再利用される。

 

「とても便利です」

 

「確かに……」

 

 レンは、正面のガラス窓を見つめた。

 

 前方から大きな魚影が近づいて来ている。

 

「この建物を何かの貝だと誤認するそうです」

 

「貝に?」

 

 レンとユキが見守る前で、みるみる接近してきた巨大な魚が吸い込もうとして大口を開いた。

 

「……震動がなかった」

 

「音もしませんでした」

 

 ガラス窓が破られないのは当然としても、巨体がぶつかる震動や音すら遮断することができている。

 

(建物をエネルギーで包んであるのかな?)

 

 レンは、フードコートを振り返った。照明はもちろん、調理器具などにも問題はおきていない。

 

 

 リリリン……

 

 

 不意に、涼やかな音が鳴った。静かな水族館の中に、大きく鈴の音が響く。

 

「誰から?」

 

 レンは、ユキの前に浮かび上がったピクシーを見た。

 黒い燕尾服に半ズボンという格好の女の子だ。

 

「マイマイさんです」

 

 ユキが、ピクシーの女の子から手紙を受け取った。

 

「なんだって?」

 

 地球側で何か緊急の事態が起こったのだろうか?

 

「……失敗したみたいです」 

 

 ユキが呟くように言った。

 

「えっ?」 

 

「魚が迫ってきた時、悲鳴をあげないといけなかったそうです」

 

「は?」

 

「普通の女の子なら、そうする場面だと……書いてあります」

 

「ふうん」

 

 レンは、作動している監視カメラに視線を向けた。

 

「今からでも、悲鳴をあげた方が良いのでしょうか?」

 

 ユキが小首を傾げる。

 どこか挑むような眼差しを向けられて、レンは顔を赤くしながら席を立った。

 

「ユキの普通でいい。他の人の普通じゃなくて……その方が嬉しいよ」

 

「……そうします」

 

 ユキがメッセージを消してレンの横に並んだ。自然に触れたユキの手を握り、レンはちらとユキの表情を確かめた。

 わずかに遅れてユキが視線を向けてくる。

 

「僕は、普通を知らないよ?」

 

「私も知りません」

 

「だったら……普通じゃなくてもいいよね」

 

「はい」

 

 ユキがレンを見つめて頷いた。

 

「僕は……」

 

 と思ったことを口に出しかけて、レンは口をつぐんだ。

 

「こういうの初めてだから」

 

 繋いでいる2人の手を軽く持ち上げる。

 

「私も初めてです」

 

「うん……だから、まあ……でも、これからも、こういうのはやりたいし………」

 

『記憶している日本語辞典に、支離滅裂という四字熟語が存在します』

 

 補助脳のメッセージが視界中央に浮かんで揺れる。

 

(うっ、うるさいよ!)

 

 自分を落ち着かせるために、レンは顔を赤くしたまま大きく息を吸った。

 

「と、とにかく……というか……ああ、なんか駄目だ、頭が……」

 

 レンの思考が暴走を始めていた。

 

「レンさん?」

 

「えっと……」

 

 何かを整えて言葉にしたいのだが、頭の芯がぼうっとしていて考えが纏まらない。 

 

「その……ごめん、ちょっと自分でも」

 

「……大丈夫です」

 

 ユキが小さく首を振る。

 

「こんな世界だし……死ぬつもりなんかないけど、でも、何があるか分からないから、だから……今言っておかないと、そうしないと駄目だって思う」

 

 真っ赤になって考え込むレンの顔をユキが無言で見守る。

 

「僕はユキが好きで……だから……いつものユキで……普通かどうかはどうでも良くて……ああ、もう!」

 

 レンは強く頭を振った。

 いくつもの思考が同時に乱立し、無数の回答が頭の中を飛び交う。ごちゃごちゃとした理屈が頭の中を占めてゆく。

 

「ユキのことが好きだから……だから手を繋いで歩きたいし、別に水族館じゃなくても……どこだって一緒に行きたいと思う。なんか……そう思うようになっちゃって……とにかく……ユキのことが好きになったんだ」 

 

 言うだけ言ってから、自分でも何を言おうとしたのか分からなくなり、レンは困り顔で考え込んでしまった。

 しばらく考えてから、レンは溜息を吐いた。

 

「なんか……もっとちゃんと言えるはずなのに……」

 

 色々と諦めて、レンはユキの顔を見た。

 

「嬉しいです。とても……私もレンさんのことが好きです」

 

 いつもの瞬きをしないユキの双眸に涙が滲んでいた。

 

「僕と……付き合ってくれる?」

 

「はい」

 

 レンを見つめたまま、ユキが頷いた。弾みで涙が頬を伝い落ちていった。

 

 

 

 

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水族館のフードコートが充実していた!

 

レンは、普通(?)に告白をした!

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