第176話 ファーストステップ
「あれが、水族館か」
レンは巨大な海上施設を見ながら呟いた。
"始まりの島"に隣接し、島よりも大きな真珠色のドームが浮かんでいた。いや、水族館だけではない。同じような箱状の建造物がいくつも海上に点在している。
(海中は……)
レンの疑問に応じて、補助脳がドームの海中部分を表示した。
(円柱……)
巨大な円柱状の構造物が海底の岩盤から聳えてっているようだった。海面から除く部分のみが半球型のドームになっている。
緑に覆われた島と、紺碧の大海、無数に点在する白い巨大なドーム……。
「えっと……ナンシーさんは、これを?」
"ナンシー"は、こんなデタラメに大きな建造物を乱立することを許可したのだろうか?
「企画書を提出して許可を貰ったそうです」
そう言って、ユキが遠くに見える町に向かって手を振った。
ゲートの出口があるのは新緑に覆われた丘の上。町へ続く一本道を、大型の馬が座席が並んだ荷台を引いて近づいてくる。
ずいぶんと、のんびりとした乗り物だった。
「あれで町へ?」
魔導の乗り物を想像していたのだが……。
「あの馬車でも良いですけど、今日は時間がありません」
ユキが斜め上方を指差した。
「……ああ」
大きなコーヒーカップのような物が、ふわふわと揺れながら2人の目の前に降りてきた。ピンク色に塗られた壁面にハートマークがいくつも描かれている。
半ば呆然となって立ち尽くすレンの前で、ピンクのコーヒーカップの側面が開いた。カップの中には、ちょうど2人が並んで座れるくらいの座席があった。
『カップデカップル! ようこそ、始まりの島へ!』
どこからともなく、はしゃいだ感じの若い女の声が聞こえてきた。
「……乗り物?」
「馬車より速いそうです」
答えるユキの双眸に仄かな笑みがある。
「ふうん……」
ショッキングピンクに塗られた大きなコーヒーカップを眺めるレンを促して、ユキが先に中へ入って座席に座る。
(カップは大きいのに、中の座席は狭いんだな)
端へ寄って隙間を空けたユキの横へ腰を下ろすと、レンは右肩に触れるユキの肩を感じながら、ユキの真似をして目の前にある把手を握った。どう詰めて座っても2人の肩が触れるスペースしかない。前の把手を握っていると、ぎりぎり肩が当たらないようだった。
『カップデカップル! 次の停留所は、"始まりの町"です!』
先ほど同様、はしゃいだ女の声が聞こえて、カップの壁面が閉じた。
ほぼ同時に、大きなコーヒーカップが宙に浮かび上がる。
(……えっ、あ!)
地面から3メートルほど上昇したところで、ピンクのコーヒーカップが大きく左右に揺れた。
「ごめん!」
予想外の揺れでユキに体を押しつけることになってしまい、レンは慌てて謝った。
「そういう乗り物ですから」
ユキが前を向いたまま言った。
『カップデカップル! 左手に見える三角の建物は、酒類研究所です!』
海を見下ろす断崖の上に、赤銅色をした三角フラスコのような建物が建っていた。
(酒類……なら、製麺所もあるよね)
柔らかく当たるユキの肩を意識しながら、レンは奇妙な形の建物へ目を向けていた。
「なんか、島の面積も増えたような……」
「土を盛って造成したそうです」
「えっ?」
レンはユキを見た。
(うっ……)
すぐ近くからユキが見つめている。物理的に距離が狭められているから当然なのだが、お互いの顔を見ようとすると、かなりの至近距離で見つめ合うことになる。
そして……。
『カップデカップル! 強風で揺れま~す!』
女の声と共に、ピンクのコーヒーカップが大きく揺れた。
顔と顔がぶつかる寸前、レンとユキはさすがの反射神経で回避し、軽く体をぶつけただけで済んだ。
「……そういう乗り物みたいです」
ユキが前を向きながら小声で言った。その耳の辺りが赤く染まっている。
「やっぱり……なんか、おかしいよね」
レンも顔を赤くしながら、把手を握り直した。
「水族館のチケットと一緒に、マイマイさんが用意して下さった乗り物です」
どこか言い訳めいた口調でユキが言う。
「マイマイさんかぁ」
前を向いたまま、レンは小さく息を吐いた。
さすがに、ここまでくると、マイマイ達がどういう意図で用意した乗り物なのか分かる。
『カップデカップル! まもなく、"始まりの町"に到着します!』
「その……何か言われたの? こういうのをやるように……とか?」
大きく左右に揺れるカップの中、把手を握り足を踏ん張って体を支持しながら、レンはユキに訊ねた。
「私がお願いしました」
「えっ!?」
「キララさん達とお茶を飲んでいる時に、もし平和になったら、何がやりたいのかという話になって……それで……同じくらい女の子がするようなことをしてみたいと言いました」
「ユキくらいの女の子がやること?」
「キララさんとマイマイさんが色々とアドバイスをして下さったのですけど……同じ年の女の子は、本当にこういうことをしているのでしょうか?」
「う~ん……」
レンに分かるわけがない。
ピンクのコーヒーカップで揺られているカップルがいるのだろうか?
(カップル?)
レンは軽く目を見張った。
(あれ? もしかして……)
レンとユキは、カップルということになるのだろうか?
(カップルって……?)
『一対の存在です。一般的に、恋愛関係にある2人のことを指します』
補助脳のメッセージが視界に浮かぶ。
(別に、恋愛関係というわけじゃないよな?)
『恋愛とは、相手を恋い慕う感情のことです』
(恋い慕うって……さすがにそれは……)
文字にして見せられると気恥ずかしくなる。恋愛という言い方は大げさな気がした。
『カップデカップル! "始まりの町"のカップターミナルに到着しました! またのご利用を待ちしております!』
アナウンスと共に、ピンク色の壁面の一部が開いた。
「レンさん?」
考え込んだまま動かないレンを見て、ユキが不安げに声をかける。
(ユキのことが好き……なのか?)
レンは自分の中に湧き上がる感情に戸惑いながら、ピンク色のコーヒーカップから降りた。
「これって……」
言いかけて、レンは口を噤んだ。
(そうか。ユキのことが好きなんだ)
レンは、胸の中にもやもやと湧き起こっていたものが何なのかようやく理解した。
「こちらです」
「えっと……?」
レンは周囲を見回した。
正面にはガラス張りの大きな箱形の建物があり、陽の光を反射して眩く輝いている。振り返ると、台座らしい皿が並び、色々な色のコーヒーカップが載っていた。駐機場ならぬ駐カップ場といったところか。
「ショッピングモール奥のゲートウェイから水族館へ行けるようです」
ユキが手帳を開いて言った。あらかじめ行き方を調べてメモしていたらしい。
「いつの間に、こんな建物を……」
「ここの施設はケインさんが担当したようです」
「ふうん……」
真新しい建物を見上げてから、レンはユキを見た。
「その……」
「はい?」
ユキがわずかに首を傾げる。
「もし、嫌じゃなかったら……」
まっすぐに見つめてくるユキの双眸を眩しく感じながら、レンは建物の入り口へ目を向けた。
『HC5、HC9、HD1の監視カメラが撮影中です』
補助脳のメッセージと共に、入り口近くにある壁面の一部が強調表示される。
「レンさん?」
「手を繋いで歩かない?」
建物入り口の監視カメラを無視して、レンはユキを見た。
「その……その方が普通のカップルみたいでしょ?」
顔を赤くしながら、レンは目を逸らし建物の方を見た。
「……はい」
ユキの返事が聞こえた。
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レンとユキは、空飛ぶコーヒーカップに乗った!
普通(?)のカップル誕生!?
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