第173話 AQUARIUM



「水族館?」

 

「はい。知り合いからチケットを貰いました。一緒に行きませんか?」

 

「水族館なんてあったっけ?」

 

「南鳥島の"鏡"から入る始まりの島の開発計画の一環で、リゾートエリアを造ったそうです」

 

 ユキが、今時珍しい紙製のチケットを取り出して見せた。

 

「安全な居住施設を建造するという話だったけど……そういう施設も造ったのか」

 

 色とりどりの魚の絵が描かれた紙面を見つめてから、レンは後ろを振り返った。

 午後2時。

 この時間は、"ヒトデ"前の仮設テントか、第六号台場の大使館でビールを呑んでいるはずのケイン、キララ、マイマイの3人が神妙な顔で大型ディスプレイを前にキーボードを叩いている。

 タチバナとモーリは救援部隊の物資を確認するために出かけていた。

 

(タガミさんは……どこだっけ?)

 

『日本国の統合幕僚学校に向かっています。現在、陸上自衛隊の軽装甲機動車に乗車中です』

 

 レンの疑問に、補助脳が答える。

 

(……そんなこと言ってたな)

 

 やけに真面目な顔でマウスを滑らせている3人を一瞥いちべつしてから、ユキの持っているチケットに視線を戻した。

 

「その……チケットをくれた知り合いって?」

 

「マイマイさんです」

 

 ユキが口元を綻ばせる。

 

「……なるほど」

 

 レンはもう一度、振り返って3人を見た。

 レン達など眼中に無いといった様子でディスプレイを見つめてマウスを操作しているが……。

 

「せっかくだし、行ってみようかな」

 

 そう言ってから、レンは自分の服装を見た。

 

「私服で良いよね?」

 

「はい。安全なエリアだと聞いています」

 

 ユキが頷く。

 

 緊急時には一瞬で着替えることが可能だから、何を着ていても問題は無い。

 

「じゃあ……」

 

 レンは視界左上に表示されている時刻に目を向けた。

 

「14:20に、潜水艇前で」

 

「了解です」

 

 ユキが敬礼をしてきびすを返した。

 

(なにか企んでいる感じがするけど……)

 

 3人の様子に不審を覚えつつ、レンは作戦司令室を出ると、自室へ戻って戦闘服から濃紺のTシャツにブルーグレーのカーゴパンツというラフな格好に換装し、真っ白なパーカーを羽織りつつ、地下にある潜航艇の船渠へ向かった。

 

 専用エレベーターを降りるなり、

 

(えっ!?)

 

 先に待っていたユキの姿を見て、レンは軽く息を呑んだ。

 いつもの、デニムにフライトジャケットというラフな格好をイメージしていたのだが……。

 

「モーリさんにコーディネイトして頂きました」

 

 少し恥ずかしそうな様子でユキが言った。

 透け感のある白いブラウスの少し開けた喉元に二重に巻いた銀鎖のチョーカー、ミニスカートのようにも見える紺色のショートパンツに膝まである黒いロングタイツ、ブロックヒールの黒いサンダル……。

 

「うん……なんか、すごく綺麗……驚いた」

 

 レンは言葉に詰まりつつ、素直な感想を口にしていた。

 

「……ありがとうございます」

 

 眩しいものを見たように瞬きをして、ユキが視線を外した。

 

 その時、

 

『C1、C3、D8の監視カメラが撮影中です』

 

 レンの視界に補助脳のメッセージが浮かんだ。同時に、部屋の見取り図と監視カメラの位置が表示される。

 

(……マイマイさん達だな)

 

 わずかにしかめたレンの顔が少し赤らんでいる。今更ながら、明け透けに感想を口にしてしまったことが恥ずかしくなった。

 

「その……行こうか」

 

 レンは、監視カメラを軽く睨んでからユキに声を掛けた。

 

「はい」

 

 ユキが格納庫のレバーを手前に引いて回した。

 隔壁がスライドして狭い通路が現れ、その先にある昇降タラップが見える。タラップを降りた場所にある床面の下に、オレンジ色に塗装された小型潜水艇が並んでいる。すべて4人乗りだった。

 

(これって……)

 

 妙に落ち着かない気落ちの高ぶりを持て余しながら、ハッチを開いて乗り込むユキに続く。

 

『ユキの容姿を高く評価し、好ましく想う感情が強くなっています』

 

 補助脳のメッセージが視界正面に浮かんだ。

 

(い、いや……元々、高く評価してたから)

 

 レンは軽く首を振った。ずっと前から、信頼できる戦友として頼もしく思っていた。もちろん、容姿が整っていることは認識していたが、ここまで強く意識したことはなかった。

 

『近距離に居ることで、精神の安定を著しく欠いています』

 

(……それは……そうかもしれないけど)

 

 狭い潜水艇の中、座席は隣同士だった。今から前後にズレるというのもおかしな話だ。

 

『ユキという存在に対する興味が増大しています』

 

(ストップ! ちょっと……とにかく落ち着きたい)

 

 レンは目を閉じて大きく息を吸った。

 

「レンさん?」

 

「えっ?」

 

 呼ばれて目を開けると、心配そうに覗き込むユキの顔が間近にあった。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、うん……平気」

 

「体調が悪いなら、また別の日でも……」

 

「大丈夫だから……ちょっと、その……まだ驚いていて」

 

 狼狽えるレンの顔を、ユキが不思議そうに見つめている。

 

「えっと……モーリさんと仲良かったっけ?」

 

「時々、カフェで会うくらいですけど、面白い方ですよ?」

 

 答えながら、ユキがパネルのスイッチを入れて潜行準備を整えてゆく。

 

「そうなんだ? なんか、爆弾が専門なんでしょ?」

 

 レンはモーリとほとんど話をしたことがない。

 

「お姉さんがファッション雑誌の編集に携わっていたそうで、相談をしたらこの服を用意して下さいました」

 

「ふうん……」

 

 火器管制システムを立ち上げながら、レンは横目でユキの顔を見た。

 

(ユキが口紅をつけてる?)

 

 いつもは化粧っ気が全くないのに、今日は桜色の口紅を塗って、目元も薄らと青みがかっている。端正過ぎて冷たく見える顔が、少し柔らかく見えるのは化粧のせいだろうか?

 

(化粧も、モーリさんに習ったのかな?)

 

『塗布された化粧品の種類、成分を表示しますか?』

 

 補助脳が問いかけてくる。

 

(そういう情報は要らないから!)

 

 レンは手早く魚雷発射管のロックを開閉し、障壁用のエネルギー残量を確認した。近海には、もう大型のモンスターは残っていないが備えは必要だ。

 

「動力値、安定しました」

 

 ユキが操縦桿を握った。

 

「射出孔へ移動する」

 

 レンは、サイドモニターに表示されたボタンに指を触れた。

 猛禽類の嘴のような形をした潜水艇が台座ごとスライドして、壁面に開いた空洞に吸い込まれる。この空洞の先で障壁を展開しながら加圧、海中へと射出される仕組みだった。

 

(もっと、ちゃんとした格好……誰かに教えて貰わないと駄目かな)

 

 正面パネルの黒い部分に、Tシャツにパーカーを羽織っただけの自分の姿が映っている。

 

 

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レンは、水族館デートに誘われた!

レンは、ユキの不意打ちに戸惑っている!

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