第145話 自転車デート


(まあ……そうか)

 

 渡界前にレンが暮らしていたアパートは更地になっていた。池袋にあったケイン達の研究所は敷地全体が金網で囲われ、国の管理地と書かれたプレートが吊されていた。

 

「この辺りは、無事ですね」

 

 商店街で買ってきたお弁当を並べながら、ユキが言った。2人は、商店街から少し外れた所にある小さな公園のブランコに座っている。

 

 巣鴨に来るまで、適当に走りながら町の様子を観察したり、喫茶店などで話し込んでいる人の話を聞いたりしてきたが、事前に入手していた情報通り、国会議事堂を含め、官公庁が利用していた大型の施設を中心に攻撃を受けたらしく、被害はかなり広域に及んでいた。

 同じ都心でも"テロ"による被害に濃淡があり、無事な場所も多かった。

 

 レン達が居る巣鴨駅の周辺は、目立った被害が無く、水道や都市ガス、電気なども問題無く使用することができている。

 食料は、かなり割高になっていて、ユキが買ってきた"おむすび弁当"は2800円だった。一緒に買い求めた紙パックのほうじ茶は580円。それでも、店頭に並べてから30分ほどで完売するそうだ。

 

「おにぎり……小さくなったね」

 

 にぎり寿司のシャリくらいしかない小さな"おむすび"を見て、レンとユキは苦笑を漏らした。

 

「キララさんから依頼された調査項目は、残り2つです」

 

 ユキが、唐草模様のカバーを付けた手帳を開いた。

 

「医療関係だっけ?」

 

 レンは、親指サイズのおむすびを頬張りながら訊ねた。

 

「はい。薬局と病院……特に、産婦人科の様子を見てくるように言われています」

 

「産婦人科か」

 

 小さなクリニックから総合病院まで数が多い。全部を回ることは不可能だろう。

 

「特別災害対策で優先的に医療品などが配給されるようになっているそうですが、実行されているかどうか……」

 

 ユキが、ふと口を噤んだ。

 

「ユキ?」

 

「キララさんの分析では、危機的な状況に陥ると生存本能が刺激されて妊娠する女性が増えるそうです」

 

「そうなんだ?」

 

 レンは紙コップのお茶を飲みながら、補助脳の探知情報に目を向けた。

 本来なら大勢の人が行き交う通りなのだろうが、今は閑散としている。売れるはずがない"馬鹿みたいな値段"になったお茶の葉を店頭に並べながら、それでも閉めるのは悔しいから意地で開いているのだと、お茶屋の女店主が溜息を吐いていた。

 

 水道と電気は、政府が税金で差分を払っているため、値上げをしたようには見えないが、実際には何もかもが不足をしていて、すべてが高騰している。

 

 線路の寸断、主要道路の破壊、船舶への転移テロ……。

 

「新旧のTV塔も横倒しに折れたし……やりたい放題だなぁ」

 

 レンは、視界に表示されている地図を見ながら呟いた。

 

 物流業界を中心に事業の縮小に伴う人員整理が相次ぎ、物流不安から都内で事業を行っていたあらゆる業界が競うようにして移転や廃業を行っているため、安定した収入を失う人が増える一方だった。一方で、物価は日々記録を更新し続けている。


 通信回線の遮断が度々発生し、無事な回線に人が集中するため、無線有線を問わず非常に繋がりにくくなっていた。

 どこのスーパーマーケットが開いているのか。どこのコンビニがやっているのか。どこのガソリンスタンドなら給油できるのか。どこの線路が無事なのか、どこの道路なら通れるのか。

 

「東京を出たとしても、安全だと言える場所はありません」

 

 ユキが、こぢんまりとした唐揚げを箸で摘まんだ。県外はおろか、同じ都内の情報ですら満足に得られない。

 

「短波のラジオ局が増えたらしいけど、まあ……不安だろうね」

 

 ラジオで喋っている人自身、確かなことが分からないのだ。聞き手の不安を煽るだけになってしまう放送が多いだろう。

 空になった紙コップの底を見ながら、レンはマイマイの宣言を思い返していた。

 

 非常に聞き取りづらい"町内放送"だったが、概ね街の人々は理解したようだった。人が疎らな商店街でも、ちょっとした立ち話で話題に上がっている。

 

 

***

 

 

一、世界救済委員会は、"ナイン連邦"の樹立を全会一致で可決承認した。

 

一、日本国が"ナイン連邦"を国家として承認するなら、世界救済委員会は転移テロへの対抗手段を提供する準備がある。

 

一、3日後の正午までに承認されない場合、"ナイン連邦"及び世界救済委員会は日本国との取引を未来永劫行わない。

 

 

***

 

 

 かなり堂々とした脅迫である。

 それを、いつもの間延びした声で放送したおかげで、放送直後はあまり真剣には受け止められなかったが、放送と前後するように、正式な文書が日本の関係各省や上場一部の企業群だけでなく、日本国内にある全ての大使館宛に届いていた。

 

 反応は、海外の方が早かった。

 "世界救済委員会"や"ナイン連邦"といった怪しげな組織名より、ケイン、キララ、マイマイの3人の署名があることに反応したのだ。

 放送から10分後には、大至急コンタクトを取りたいと、各国の大使館から日本の外務省に連絡が入り、以降、現在に到るまで政治的な混乱の極致に達している。

 

 キララ達は、省庁間のやり取りから個人の通話内容、大使館との連絡など通信の全てをリアルタイムで傍受していた。

 

「まあ、まとまる話じゃないよね?」

 

 レンは苦笑を浮かべつつユキを見た。

 

「まだ新しい総理大臣が決まっていません。この場合、誰が決定するのでしょう?」

 

 ユキが小さく首を傾げる。

 

「どうなるのかな?」

 

 レンは、通りの向こうに見える喫茶店に目を向けた。

 客と店員が少し揉めているようだった。

 

 客が怒鳴り、店員が宥めているようだが……。

 

 様子に気を取られていると、

 

 

 リリリン……

 

 

 涼しげな音が鳴った。

 

(これは……?)

 

 顔の前に、スリーブレスの青いワンピースを着た二十歳前後の姿をしたピクシーが浮かんでいる。

 

『手紙を預かって参りました』

 

(クロイヌさんか)

 

 レンは、小さな封書を受け取った。

 ほぼ同時に、目の前にA4サイズの紙面が拡がる。

 

(淡路町? どこだっけ?)

 

 クロイヌ達が、淡路町にある集会所に集まっているそうだ。

 内心で首を傾げたレンの視界に、記載されていた住所から検索した集会所までの推奨ルートが描画される。

 

「自転車で行けそう」

 

 たいした距離ではない。巣鴨駅前の道を水道橋方面へ真っ直ぐ走り、途中で左折して御茶ノ水駅の脇にある道を……。

 

『お預かりします』

 

 レンの返信を受け取ったピクシーが一礼をして消えていった。

 

「クロイヌさんですか?」

 

 ユキが弁当を片付けて出発の準備を済ませた。2人とも、新しく購入した細身のロードバイクに乗っていた。白いフレームと赤いフレーム。同機種色違いだ。

 

「淡路町にある集会所に、タチバナさん達が居るらしい。クロイヌさんは、その護衛をしているんだって」

 

 ヘルメットを被り、サングラスを掛けると、レンはブランコの支柱に立て掛けてあったロードバイクを掴んだ。

 

「その場所なら分かります。競争しますか?」

 

 ユキがヘルメットの顎紐を締めながら微笑を浮かべる。

 

「いいけど、歩道乗り入れはNGだよ?」

 

「はい」

 

 2人とも、車両の制限速度を軽々と超える。ただ、車道が平坦では無くなっているため、かなり気を遣わなければならない。

 

(まあ、ユキだし……)

 

 飛来する弾丸を目視して回避できる人間だ。動体視力はもちろん、運動神経は折り紙付き。何かあってもフェザーコートがある。そして、それはレンにも当てはまる。

 

(速度制限は……どうでもいいか)

 

 こんな時に速度違反を取り締まっている警察官がいたら張り飛ばしてやりたい。

 自転車を押しながら、レンはチェーンがフロントのアウター側のギアに掛かっていることを確認した。

 

 コーヒーが高すぎる。詐欺だ、なんだ……と、怒鳴っている声を聞きながら、レンとユキは信号が青に変わるのを待って、ゆっくりと自転車を漕ぎ出した。

 

(車が少ないなぁ)

 

 国内のガソリン備蓄量が不安視されている。当然のように、ガソリン代は高騰していた。燃料代の高騰が物価を跳ね上げた挙げ句、物流手段そのものが不順になっている。車が減るのは当然だった。

 情報としては理解しているのだが、こうして目の当たりにするとアスファルトの公道がひどく寂しく見える。

 

 

「あの信号からスタートしようか?」

 

 レンは行く手に見えてきた信号を指差した。ちょうど、赤になったところだ。

 

「了解です」

 

 左横に並びながら、ユキが頷いた。

 

「ここも閉鎖したみたいですね」

 

「……移転したのかな」

 

 信号横に、ロープで囲まれたガソリンスタンドがあった。横にある崩れた建物は何かの飲食店だったのだろう。破れた壁から厨房の設備が見える。

 

「火事みたいだ」

 

 隣の建物の壁が黒く焼けている。延焼間際で消火に成功したのか、黒ずんだ建物にはまだ人が住んでいるようだった。

 

「あそこのハンバーガー店はやっているみたいです」

 

 ユキがかなり先にある店舗を指差した。

 

「材料の仕入れはどうやっているのかな?」

 

 レンは首を捻った。

 

「在庫があったのかもしれません」

 

「……ふうん」

 

 ハンバーガー1個をいくらで販売しているのだろう?

 

(これは、マイマイさんの勝ちかも)

 

 レンの口元に笑みが浮かんだ。

 マイマイとケインが賭けをやっている。

 日本政府が3日以内に折れるか、無意味な時間稼ぎをしてくるか。

 

「そろそろ、次の要求を出している頃でしょうか?」

 

 ユキが、点滅している歩行者用の信号に眼を向けた。

 

「他の国にも知られるように発信するから……たぶん、日本政府は断れない」

 

 全ての大使館に直接報せている。主立った民間企業にも……。

 

「転移テロの対処方法だけでなく、食料と医療品の安定供給元を失うことになります。初めから、日本政府に選択肢はないと思いますけど?」

 

「そういう整理ができるかどうか……3日間では纏まらない方にケインさんは賭けていたみたい」

 

 テロを恐れて、まともに国会を開いていない。次期総理大臣の正式な指名が行われないまま二週間近くが経過していた。噂では、誰もが的になることを嫌がって尻込みしているらしいが……。

 

「残った魔王だけで、こんなことができるのかな?」

 

 レンは、信号機脇に付いているカメラを見上げた。

 何かのツールを使って状況を把握し、正確に分析をして、ピンポイントに転移テロを行っている。

 街をぶらついていれば、魔王の側から襲ってくるのではないかと期待していたが、今のところレン達を狙って攻撃をしてくる気配はない。

 

「変わりますよ?」

 

 ユキが声を掛けてきた。

 

「ん? ああ……」

 

 歩行者用の信号が点滅を始めていた。

 

 

 

 

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レンとユキは、自転車で東京都内を散策している!

 

"おむすび弁当"が、2800円だっ!

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