第142話 転出届


 予測が外れた。

 めまぐるしく変化する環境が、予測自体を困難にしている上に、想定外の変化を加えてくる魔王という存在がいる。

 

「思っていたより地球の……人間社会が被る被害が重たいわ」

 

 キララが腕組みをして言った。

 

「無事だった国を無政府状態にされると面倒だ。予定していた役回りじゃねぇんだが……正義の味方ってやつをやらねぇと終わっちまうぜ」

 

 熱いコーヒーを啜りながら、ケインがぼやいた。

 

「放っとけばいいじゃ~ん。なるようになるよぉ~」

 

 徹夜続きのマイマイが、机に突っ伏したまま呻く。

 

「こっちの世界だって創造主さんの気分次第でどうなるか分からねぇんだ。地球を切り捨てるわけにはいかねぇだろう」

 

「神様が戻るのなんて、早くても50年とか……ずうっと先のことだよねぇ?」

 

「日本を追い出された後だって、助けてくれた人が大勢居るわ。魔王なんかに好き勝手荒らされるのは面白くない」

 

「……それはそうだねぇ~」

 

 マイマイが顔を上げた。

 

「魔王が想定と違う動きをしている……そんな行動を取れる状態にあることが気に入らないわ」

 

 キララが手元の資料に目を向けた。

 

「情報をアップデートしないと駄目ね」

 

「向こうに拠点を作らないといけないねぇ~」

 

 ケインから貰ったコーヒーを啜りつつ、マイマイが椅子の背もたれに体を預けた。

 

「こちら側は、今すぐ大きな動きは無さそうだし……地球の様子を見て来ようかぁ?」

 

「元々、地球とゾーンダルクに異探協を設置する予定だったからな。表向きの窓口は、タチバナちゃんにやってもらうとして……拠点を何処にする?」


 マイマイの視線を受けて、キララが僅かに首を傾げた。

 

「人が大勢いる場所か、まったく居ない場所か」

 

「その両方か……だな」

 

 ケインが小さく頷く。

 

「ハックがウザいし、専用の通信ケーブルを埋設したいねぇ~」

 

「モンスターが悪さをするから海底は難しいかもしれねぇぜ?」

 

「無管制で放置されてる衛星が残っているんじゃない? 中露米印が軒並みやられちゃったんだから……迷子の衛星ならより取り見取りでしょ」

 

「ポリネシアに住んでる友達が、南フランスで大規模な地殻変動があったと言ってたよぉ~ ヨーロッパでも何か起きたかもねぇ?」

 

「まあ、原発は動かねぇからな。箱物は壊れても、汚染は気にするほどじゃねぇだろ」

 

「原潜……核弾頭を抱えたまま沈んじゃったかなぁ?」

 

 マイマイがマグカップをケインに返した。

 

「予備電源で緊急浮上くらいはできたんじゃねぇか? まあ、軍がそれを許可したかどうかは、分からねぇが……まだ飲むか?」

 

「もういい……胃がヒリヒリするぅ……お酒で消毒したいよぉ」

 

「……ねぇ? 日本に戻ったらレン君はどうするの? 政府相手の面倒ごとはケインがやってくれるから、レン君とユキちゃんは自由に過ごしていいわよ?」

 

 キララが話題を変えた。

 

「叔母の消息を知りたいんですが……調べる方法はありますか?」

 

 ほとんど記憶に無いが、祖母が亡くなってから、従姉妹と叔母には迷惑を掛けていたはずだ。

 

「ビッグデータが残っていれば調べるのは簡単よ。たぶん……各国の政府がマークしているから、ネット上に位置情報が転がっているでしょう」


 キララが言った。横で、ケインも頷いてみせる。

 

「タチバナちゃんが渡界する前の情報だが、監視員の数は減っていたらしい。自国がボロボロで任務どころじゃなくなったんだろう」

 

「僕が出歩くと面倒な人が寄ってきますよね?」

 

「変装しましょう」

 

 キララが微笑を浮かべた。

 

「……変装?」

 

 レンの表情が曇った。

 

「冗談よ。変装はもうしてあるわ。私達全員の情報を抹消して、別人の容姿に変えてあるの。今もAIが改変を繰り返しているし、ネットで遊んでいた"マーニャ"さんがデジタル情報を消して回ったから、まともなデータは残っていないわよ」

 

 キララが微笑した。

 

「数千種類の外見をしたレン君が散乱しているのだよぉ~」

 

 マイマイも笑っている。

 街の監視カメラの映像から学校の顔写真まで、データとして保管されている物は全て改変されたらしい。デジタル保存してある情報は、根こそぎ改変してあるそうだ。

 

「印刷された写真までは変えられないけどねぇ~」

 

「そんなことを……?」

 

 レンは隣のユキを見た。

 ユキも知らなかったらしく、戸惑い顔で小首を傾げている。

 

「もちろん、レン君を直接知っている人達は認識するわ。まあ……とことんやるなら、記憶の改ざんだって可能だけど、そこまではやらなくていいでしょう?」

 

 キララが自分のこめかみを指でつついて見せる。


 レンは小さく首を振った。

 

「そもそも……僕を追いかけている余裕があるんですか?」

 

「無いわね。米中露は、レン君どころじゃなくなったわ」

 

「ヒーローより、水と食糧の確保に必死らしい。予想通り、武器弾薬は渡界して調達をしているそうだ。人攫い部隊の出番はねぇってことだが……レン君、日本に未練はあるかい?」

 

「えっ?」

 

 いきなりの問いかけに、レンは戸惑った。

 

「ユキさんはどうかな?」

 

「私は……病院の記憶しかありません。看護婦さんには優しくしてもらいましたから……あの人達には無事でいてもらいたいです」

 

「日本人じゃなくなっても平気?」

 

 キララが訊ねた。

 

「はい。もう、ゾーンダルク人のような気持ちになっています」

 

 ユキが頷いた。

 

「あはは……確かにそうだねぇ~」

 

 マイマイが冷やしたタオルをおでこに当てながら笑う。

 

「レン君はどう?」

 

「違う国の人間になるんですか?」

 

 レンはキララの目を見ながら訊ねた。

 冗談で言っているわけではなさそうだった。

 

「私達の計画を完遂させるためにはレン君の協力が必要なの。レン君に拒否された場合は、大きく変更しないといけないわ」

 

「国籍を変えるんですか?」

 

「既存の国の人間として動くことはできない……と思うのよ」

 

「……既存じゃないって……新しく国を?」

 

「そうよ」

 

 キララが大きく頷いた。

 

「そんなことができるんですか?」

 

「簡単なことよ。今の状況なら……ね」

 

 微笑を浮かべていたが、眼は笑っていない。

 

(本気なのか)

 

 レンは、ケインとマイマイを見た。

 

(……本気なんだな)

 

 おかしいと思っていたのだ。急いで重要なことを話し合いたいからと、セッティングされた会議の場ではあったが、開始から今まで誰一人としてアルコールを摂取していなかった。

 極めて異例のことだ。

 

「データ上はどうにでもできるのよ? 戸籍の出し入れなんかは簡単だし、その気になれば国籍は自由に選べるわ。でも、それだと違うのよ」

 

 キララが首を振った。

 

「あまり気は乗らねぇが……地球の人間の為になることをやって回らねぇと駄目らしい。中立だの公平だの、糞食らえだが……まあ、やらねぇと人類衰退どころか、滅びちまうな」

 

 ケインがマグカップを両手で包んで、茶色い液体を恨めしげに見つめた。

 

「だから……国籍を抜いておいた方が後腐れがない。俺達はそう考えている」

 

「……戦争でもするんですか?」

 

 レンはケインの目を見た。

 

「戦争だな。面倒ごとを起こす奴を相手に戦争をやる」 

 

「……魔王と?」

 

「魔王と……魔王と一緒に跳んだり跳ねたりしている連中が相手だ」

 

「それはどこかの国なんですか?」

 

 同じ地球の人間を相手に、銃を撃つことになるのだろうか?

 

「そこまでは分かっていないわ。でも、魔王が単独で遊んでいるようには思えない。地球の人間社会について詳しい誰かがアドバイスをしている……と思うの」

 

 キララ達は、魔王が単独で行動しているとは思っていないようだった。

 

「誰かの頭の中を読んだだけかもしれないけどねぇ~」

 

 マイマイが額を指差した。

 例の他者を隷属させる虫を使っているか、死人となった人間の知識を利用しているのか。主要国の政府を正確に狙って転移テロを行い、すべてにおいて成果を上げている。

 

「魔王は何がやりたいんでしょう?」

 

 レンは、ケイン達を等分に見回しながら訊ねた。

 

「私は、ゲーム……遊びの舞台を作っているんだと思ってる」

 

 少し考えてから、キララが言った。

 

「遊びの舞台……」

 

 レンは顔をしかめた。

 

「俺も、このテロ騒動は舞台作りの一環で、本番はこれからだろうと考えている」

 

 ケインがマグカップに口をつけた。

 

「もうこっちには戻れないしぃ~ 地球で悪さするしかないもんねぇ~」

 

 そう言いつつ、再びマイマイが机上に突っ伏した。

 

「ナンシーさんは地球側に関与しないから……まあ、使徒ちゃんは色々やってるみたいだけど。あまり頼りにできないでしょ? 地球に対しては、啓示でワールドアナウンスを流すくらいのオプションしかないのよ」


 地球のことは地球人で何とかするしかないのだが……。

 

「思念体に対する攻撃手段があればいいんだが……そもそも思念体を認識できねぇからな」

 

「どこかのお寺とか神社に凄い人がいたりしてぇ~? 退魔師とか、悪魔祓いとかぁ~」

 

「そういう人が居るなら、世界が終わる前に魔王をはらって欲しいわ」

 

 キララが笑いながらコーヒーを飲む。

 

「まあ、そういう特殊部隊ヒーローが登場してくれる可能性に賭けるか、自分達で退治に出向くかってことだが……俺達は、レン君とユキさんに賭けた方が分が良いと確信している」

 

「それで……国造りですか?」

 

 レンはケインを見た。そんな必要があるのだろうか?

 

「本国は、ここだ。第九号島を本国としつつ、地球に見せかけの領土を取得して"国"として承認させる」

 

「見せかけ?」

 

「とりあえず、国連に国家として承認させるつもりだ。あの組織は形ばかり残っていたはずだが……どうなったかな? まあ、どうでもいいか。米英……も、屋台骨がグラついていて、中露は事実上崩壊して暫定政府が複数誕生している状態だ。どうにでもなるだろ?」

 

 ケインが、キララとマイマイを見る。

 

「承認されなくてもいいわよ。独立した国家を樹立したって宣言するだけで……他にも独立国家が誕生しているそうだし、ドサクサに紛れて作っちゃいましょう」

 

 キララが飲み干したカップを机に置いた。

 その音で、眠りに落ちそうだったマイマイが顔を上げる。

 

「要するに、一方的に国家樹立を宣言して、日本とは無関係だという建前を作ってから、勝手気ままに行動して、どこかに隠れている魔王をぶっ叩こうってプランだ」

 

 ケインが空になった自分のカップを見つめた。

 

「分かりました」

 

 レンは小さく頷いた。

 

「当初は、主要国に穏便に認知される形で、異探協の強化版のような組織を作ったり……各国に声がけしながら魔王退治をやろうかって計画だったんだが……その主要国がグダグダになっちまった。こうなったら、計画を変更して強引に魔王退治をやるしかねぇ……ってくらい追い込まれちまった。あちらさんは、積極的に文明の崩壊……衰退を狙っているようだからな」

 

「……お酒、良いですよ?」

 

 レンは、深刻な表情でカップを見つめているケインに声を掛けた。

 

「えっ!? いや……そりゃあ……どうなんだ? いいのか?」

 

 ケインが狼狽えた様子で、キララを見る。

 

「真面目な話をするし……レン君とユキちゃんには酷いことを頼むわけだから、お酒は駄目でしょ? ねぇ?」

 

 キララがマイマイを見た。ぐったりとして突っ伏していたマイマイが、いつの間にか背筋を伸ばして座り直している。

 

「えぇ~ 島主さんが許可するから、良いんじゃないのぉ~?」

 

「そうだよな? いや、本当にいいのか?」

 

 ケインがレンを見た。

 

「人を撃つ覚悟をしろということでしたら大丈夫です。その時になってみないと分かりませんが……たぶん、撃てると思います」

 

 ケイン達の推測通りなら、"魔王"だけでなく、"魔王"に使役された人間、"魔王"の協力者を相手に戦闘を行う可能性がある。それについては、かなり前から想定し、覚悟を決めてある。土壇場で動揺をするかもしれないが……。

 

「ユキは?」

 

 レンは、隣のユキを見た。

 

「国の名前は決まりました?」

 

 ユキが訊いてきた。

 

「……えっ?」

 

「新しい国には名前が必要でしょう? レンさんの仕事ですよね?」

 

「えっと……そうなのかな?」

 

 レンは、目顔でケイン達に助けを求めた。

 

「それは、レン君の仕事だな」

 

仮初かりそめの国なんだから。適当な名前で良いわよ」

 

「お酒、飲んでいいのぉ~?」

 

 3人が答えた。

 

 

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魔王の暴かれ方は、想定外だったらしい! 


レンは、国籍を捨てることになった!


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