第140話 酒の肴
「起きてるよな?」
ノックの音と共に扉が開いて、ケインが入って来た。
レンは、風呂上がりにアイスクリームを食べつつ、冷風機の前で涼んでいるところだった。短パンにタンクトップという格好でベッドに座っている。
「ちゃんと動いているみてぇだな?」
ケインがベッドの横に置かれた円筒形の冷風機を見た。
キララ作の魔導式冷風機である。まだ熱交換器が再現できないらしく、ほんのりと冷たい風が出てくるだけだったが、次はキンキンに冷える物にする……と、キララが息巻いていた。
「ずうっとつけっぱなしですけど……止まりませんね」
風量は最大にしてある。連続稼働時間を調べるために二日前から作動させているのだが、一向に止まる気配が無い。
レンは空になったカップを【アイテムボックス】に収納した。
「魔素の圧縮塊は、今回の配合で完成だな」
ケインが部屋の隅から椅子を運んできた。
「……何かありました?」
レンは時計を見た。午後10時を回っている。いつもなら、マイマイ達と酒盛りを始めている頃だ。
「なに、ちょっと話をしようと思ってな」
ケインが【アイテムボックス】から缶ビールを取り出した。
「何でしょう?」
「何っていうか……まあ、色々だな」
美味しそうに喉を鳴らして缶ビールを飲み干すと、ケインが次の缶を取り出した。
「アイミル号の動力は、もう取り替えたんですか?」
新方式による高出力炉を組み込むと、キララが言っていた。予定通りなら、換装を終えて試運転を行ったはずだ。
「ほぼ想定通りだったな。もうちょっと詰めるところはあるが……まあ、船体の強度を上げる方が先だろう」
ケインが缶ビールを呷る。
「"プリンス"はどうしました?」
「イーズをきっちり纏めているな。思ったより、まともな奴だったぜ」
「そうですか」
頷きつつ、レンは"澱みの王"を思い出した。使徒ちゃんによって連れ去られたまま未だに帰ってこない。
「勇者連中は九号島に留まったままだ。このまま居着くつもりかもしれねぇな」
「まあ、暴れないなら良いですけど」
「いや、暴れたみてぇだぜ?」
「……いつです?」
レンはベッドから降りて戦闘服を着た。
「ついさっきだ。"モゼス・イーター"がユキさんに絡んでいるのを見た」
ケインが笑いながらビールを呷る。
「ああ……ユキにちょっかいを」
レンは小さく息を吐いて、戦闘服の上下から短パンとタンクトップに戻した。
「死にました?」
「いや……まあ、息はあったと思うが……どうだろうな」
ケインが首を捻った。
「今はクリニックに?」
「"女王蜂"が止めに入ったようだったが……」
「じゃあ、"女王蜂"もクリニックですね」
"パワーヒット"を入れてからの中段突き、膝に下段蹴りを入れてからの上段回し蹴りで首を刈る。"モゼス・イーター"は、ほぼ一呼吸で沈んだはずだ。
(丈夫そうだったけど……)
即死した可能性はある。
(死亡直後なら生き返るんだっけ? あれって、渡界者だけ?)
「色々あって、忘れちまったかもしれねぇが……」
ケインが新しい缶ビールを手にレンを見た。
「レン君とユキさんは、俺達の護衛だからな? ゾーンダルクがどうの、地球がどうのと、変に気負う必要なんかねぇんだぜ?」
「そう……なんですけど」
レンは小さく頷いた。
幸か不幸かは分からないが、普通の人間よりも無理が利く体になっている。何かできる気がするのだ。
「いや、こういうのは俺の柄じゃねぇんだが……ユキさんから、レン君の相談に乗って欲しいと頼まれてな」
「えっ?」
「ははは……バラしちゃマズかったかな?」
「ユキが?」
「ちょうど相談を受けているところに、あの獣男が乱入してきやがったんでな」
ケインが軽く拳を振って見せる。
"モゼス・イーター"がお金を貸せと言ってきたらしい。フードコートで食べ物を注文しようとしたが、所持金不足で食べることができなかった。だから、お金を貸せ……と。
「そうか。勇者達はお金を持っていませんね」
レンは、補助脳の観測情報に目を向けた。
その気になれば、現場の様子をリアルタイムで観ることも可能だが……。
「まあ、死なねぇ程度に加減するんじゃねぇか?」
(熱源が2つ消失している)
マークしてあった"モゼス・イーター"と"女王蜂"が消えていた。
ナンシーのクリニックに送還された後らしい。
「それで、ユキは何と?」
「だから、レン君の相談に乗れという話だった」
「僕の相談ですか?」
「色々とできるようになって、万能感とでも言うのか……凄いことができそうな気分になってるんだろう?」
「……そうですね。そういう感じはあります」
レンは素直に頷いた。
「地球のために何かをやりたい。"鏡"の脅威を取り除きたい。自分なら
空いた缶ビールを潰しながら、ケインが言った。
「間違っていますか?」
「間違いだの、正しいだの、そういう判断は必要ねぇだろ?」
「そうでしょうか?」
レンは首を捻った。
「誰にとって正しいのか、誰にとって間違いなのか……日本にとってか? 外国にとってか? 国にとってか? 個人にとってか? 人間にとってか? 動植物にとってか? 地球という惑星にとってか? 水にとってか? 空気にとってか?」
対象によって、導き出されるものが異なってくる。
「それに"時間"を加えたら、もうどうしようもねぇ」
いつの時点で? それだけの要素を加えるだけで、果てしなく分岐してゆく。
「民主国家なら多数決で正解を導く建前になってるが、個人が正解を決める国もある。国にとっての正解が、個人にとっては不正解だってこともある。隣の家の正解が、我が家では不正解ってことだってある。常識なんざ、人の数だけ存在する。教育ってやつで、一応は
ケインが缶ビールを口に含んだ。
「……これ、なんの話だ? ちと逸れちまったな」
「いえ……何となく分かります」
レンは、炭酸水の入ったペットボトルを取り出した。
やや酔いの回った冗談めかした口調だったが、ケインが何かを伝えようとしていることは分かる。嫌な気分はしなかった。
「そうか? まあ……正しいかどうかが気になるんなら、自分がどう感じるか……それに、そうだな……自分が気に入っている奴がどう感じるか。そのくらいを物差しにして判断すればいいんじゃねぇか?」
「でも、それは間違いだと……迷惑だって感じる人がいるんですよね?」
「当たり前だ。ロボットじゃねぇんだからよ。みんながみんな、同じ考え、同じ感じ方をするなんざ気味が悪い……ホラーじゃねぇか」
ケインが吐き捨てるように言う。
「正しいと思われたいわけじゃなくて……正しいことが……そういう選択ができれば……」
「レン君、老け過ぎだろ! 十代が考えることじゃねぇぜ」
ケインが大笑いした。
「でも、僕が間違うと……周りの人に、すごく迷惑を掛けるでしょう?」
自分が非常に危険な力を持っていることを理解している。軽率な行動がとんでもない事態を招くかもしれないのだ。
「そんなもん、なるようになるだけだぜ?」
「……そうでしょうか?」
「レン君が何かやれば、どっかの誰かが泣いて、どっかで誰かが怒って、もしかしたら誰かが喜ぶかもしれねぇが……それが、レン君が期待していた反応だったなら"正しいこと"だったと、納得しやすいってだけだ。泣いたり怒ったりした人間にとっては"最悪の行為"だがな」
「正しいことをやりたいと思うのは、間違いなんですか?」
レンの中に、間違えることを恐れる気持ちがあるのは確かだった。萎縮とまではいかないまでも、慎重に行動しようとする気持ちは強くなっている。
「大勢に褒めて欲しかったら、大勢が期待する"正しいこと"をやればいい。少数に褒めて欲しかったら、少数が期待する"正しいこと"をやればいい。大勢だの少数だのの評判を気にせず、自分が"正しい"と思うことをしたっていい。どうだ? そう考えてみると、世の中には"正しい"選択が満ちあふれているだろう? 何をやっても"正しい"って気がしてこないか?」
ビールを呷りながら、ケインが目尻を下げる。
「からかってます?」
「どうだかな? ちっとばかし、呑んでるが……正しいかどうかなんて、自分が納得できるかどうかだぜ? 他人にまで納得してもらいたいってのは欲が過ぎるってもんだ。まあ"正しいこと"を教えようとする奴はいるだろうが、そいつの"正しいこと"とレン君の"正しいこと"はイコールじゃねぇからな?」
「それは……分かるんですけど」
「だからよぉ、そういう面倒臭いことは考えなくていいって言ってんだ。若者よ!」
ケインがレンの肩を乱暴に叩いた。
「つまらねぇことに気を回すのは、つまらねぇ常識人になってからにしろ。まあ……その常識も粉々になっちまったからな。十代の学生に銃の撃ち方を教え、寝たきりの病人をせっせと"鏡"の向こうへ放り捨てる世の中だ。今の日本じゃ、そういう犠牲が"正しい選択"なんだぜ? 常識だの良識だのを口にする権利はねぇよな?」
「ケインさんの時は違いました?」
「なにが?」
「学校です。授業とか……今とは違ったんでしょう?」
「おう! 教師の胸しか見てなかったぜ」
物凄くスタイルの良い女性教員が担任だったそうだ。男子生徒は思春期の妄想力を過敏に滾らせて授業どころではなかったらしい。
「……平和だったんですね」
レンは、自分のクラスを担当していた禿頭の教官を思い浮かべて嘆息を漏らした。
「まあな。レン君の世代には申し訳ないが……学生の時は、笑えるくらいに何も考えてなかったな」
ケインが角張った酒瓶と氷の入ったグラスを取り出した。
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珍しく、ケインがレンの部屋に来た!
酔っ払いが、"正しいこと"を肴にしている!
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