第138話 異世界の刺客
「当代の勇者として
"澱みの王"だという童女が、レンを指差した。
「……違う」
レンは溜息を吐いた。
「そんなはずはありません! あなたは、危険な臭いがします! 私は危険が分かるんです! あなたは危険です!」
手を上下させて何度もレンを指差しながら、"澱みの王"が糾弾の声をあげる。
「魔王はそっちだろ?」
レンは眉根を寄せつつ、"澱みの王"を見下ろした。
(サーモグラフィの映像……これって、正常?)
『正常です』
(……そうなのか)
レンの視界に映し出された"澱みの王"の全身がオレンジ色になっている。どんな生き物でも、色の濃淡が表れるものなのだが、"澱みの王"には見当たらない。
「わたしは勇者です!」
「勇者は、蟲王なんかに捕まらないだろ?」
どうやら外見通りの生き物ではない。補助脳の解析情報を読みながら、レンは"澱みの王"に近づいた。
「そっ、それは……あいつ、攻撃が効かないから! こっちの攻撃がほとんど当たらないし、向こうばっかり当ててくるんだ! あれはズルだ!」
"澱みの王"が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「勇者って弱いんだな」
「弱くない! 勇者は強いんだ!」
「でも、蟲王より弱い?」
「ちっ、違う! 違う! あれはズルだ! ちゃんと戦ったら勇者は強いんだ!」
「ちゃんとって? どういう戦い? 攻撃を当てるから避けないで下さいってお願いするの? まさか、一発ずつ攻撃を当て合うとか?」
レンは呆れ顔で嘆息した。
「勇者を馬鹿にするなっ!」
"澱みの王"が怒りを露わにして怒鳴った。
『"澱みの王"が、エネルギー体に変化しています』
(こいつ、思念体?)
『エネルギー波が、脳に向けて放射されました』
補助脳のメッセージが赤く光る。久しぶりに見る警告メッセージだった。
(脳? 攻撃を受けているのか?)
レンは顔をしかめた。
『対思念体用の防御膜が無効化しました』
視界中央に、補助脳のメッセージが浮かんだ。
サーモグラフィのように着色された"澱みの王"の姿が、赤から青へと変じてゆく。こんどの表示は、サーモグラフィではなく、実体と思念体を色分けしたものだ。
(生身からエネルギー体に……そういう感じのやつか)
レンは、スプレー缶を取り出すと、"澱みの王"に向けて噴射した。対魔王用に、マーニャが作ったスプレーである。
きゃぁぁぁぁぁ~~…………
けたたましい悲鳴をあげて"澱みの王"が床に転がる。
「これが効くのか」
レンの視界に映っている"澱みの王"が、青から赤へと色を変え始めた。
たまらず、実体化するらしい。なるほど、対魔王用スプレーは思念体にしか効かないが……。
「パワーヒット、オン」
呟いたレンの頭上に、総チタン製のハンマーが出現した。
ズンッ!
重々しい衝撃音が鳴って、"澱みの王"が床の染みになった。
『直前で、エネルギー体に変じました。拡散範囲を表示します』
ハンマーが命中する寸前に、不可視のエネルギー体に変化したらしい。
補助脳によって、不可視であるはずの"澱みの王"が可視化される。
(床に散った汚れみたいだ)
レンは黒い染みのように床に拡がった"澱みの王"らしきものに向けて、スプレー缶を噴射した。
きゃぁぁぁぁぁ~~…………
再び、けたたましい悲鳴が響き、真っ白に染色された"澱みの王"が元の童女の姿へと変じていった。
色は赤だ。実体化している。
「パワーヒット、オン」
「ま……待って」
"澱みの王"が何かを言いかける。その頭上にチタンハンマーが振り下ろした。
寸前で、エネルギー体に変じて逃れたようだが、
きゃぁぁぁぁぁ~~…………
間髪を入れずに噴射された薬液を浴びて、"澱みの王"が悲鳴をあげる。
「こんなのが、勇者?」
レンは溜息を吐きながら、タルミンを見た。
「うむ! 実に愉快! 爽快! 面白い見物なのである!」
タルミンが愉快そうに笑った。
『エネルギー体による脳への干渉を検知しました』
補助脳の警告メッセージが視界に浮かんだ。
直後、レンはスプレーを噴射した。
きゃぁぁぁぁぁ~~…………
"澱みの王"の悲鳴が響き渡る。
『エネルギー波の解析が完了しました。思考汚染を試みたようです』
(汚染? そんなこと、できるのか?)
よく分からないまま、レンは容赦なくスプレー缶の薬液を浴びせ続けた。
なかなかしぶといが、目に見えて"澱みの王"の体積が減っている。
"黒い染み"と"童女の姿"を交互に繰り返している内に、童女の身長は30センチくらいに縮み、床の染みは半径50センチの輪に収まる程度になっていた。
(妙な生き物だな)
レンは、チタンハンマーを振りかぶった。
「すみませんでした!」
小さく縮んだ"澱みの王"が床に這いつくばっていた。
『聴覚を利用した精神干渉を検知しました』
補助脳のメッセージが浮かぶ。
ズンッ!
レンは、チタンハンマーを振り下ろした。
(手応えあった)
『4%が、エネルギー体に変化して分離しました』
レンの視界に、わずかに残った"澱みの王"が輪郭を強調表示されて浮かび上がる。
(……しぶといな)
レンは呆れながらスプレー缶を向けた。
「御免なさい! もうしません! 許して下さい!」
小指くらいに縮んだ"澱みの王"が土下座をした。
(精神攻撃は?)
『途絶えました。検知できません』
補助脳の情報を確かめてから、レンは振り上げたチタンハンマーを【アイテムボックス】に収納した。
「タルミンさん、これが勇者なんですか?」
レンは、タルミンに訊ねた。
「どうであれ、魔王に囚われていた時点で勇者失格なのである」
タルミンが床の"澱みの王"をつまみ上げた。
「すみません。ただの人間のようだったから……二度とやりません!」
タルミンの指で摘ままれたまま、"澱みの王"が騒いでいる。
「ただの人間に、蟲王は滅ぼせないのである」
「……はい」
"澱みの王"が
「蟲王に敗北し、隷属の徒となっていた者が、島主殿に逆らうのは愚か過ぎる。島主殿に服従するなら島に残り、従う気がないのならこの場で処分するのである」
タルミンが、他の4人に目を向けた。
「他の人も勇者なんですか?」
レンは、"女王蜂"を見た。続いて、隣の獣のような男、クイーンだという老人……。
「"女王蜂" "モゼス・イーター" "エインテ・クイーン" "澱みの王" を襲名した者は勇者なのである」
プリンスは勇者では無いらしい。
「その……勇者って何ですか?」
「ふむ。島主殿の世界には存在しないのであるか?」
タルミンが首を傾げた。
「勇気ある行動をする人ということならいると思いますが、称号のようなものはありません。いや……ゲームの中にはあるのかな」
レンは首を傾げた。
「こちらの世においては、勇者とは刺客のことである」
「刺客?」
眉をひそめたレンの視界に、単語の意味が表示された。
「そこの"女王蜂"のように闇討ちにするのではなく、災害の源となる巨大な魔物や災いを振りまく凶王などを、力の無い民草に代わって成敗する役目を担う者である」
「成敗?」
訊き返すレンの視界に、また単語の意味が表示された。
「勇者って、殺し屋なんですか?」
なんとなく、想像していたものとは異なるようだ。
「うむ。まごうことなき殺しの請負人である」
タルミンが大きく頷いて、床の4人を見回した。
「ここで野放しにすると、この者共は刺客として島主殿を付け狙う可能性があるのである」
「誰かに依頼されて、僕を狙ってくると?」
レンは、床に膝をついている4人を見つめ、最後にタルミンが摘まんでいる"澱みの王"に目を向けた。
レン自身にとっては、大した脅威にはならないようだが、ケイン達やミルゼッタ、アイミッタなどが狙われると……。
「始末するなら今である」
タルミンが笑みを浮かべて、摘まんでいる"澱みの王"を差し出した。
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"澱みの王"が小さくなった!
勇者は、殺し屋らしい!
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