第89話 出会いと別れ
「これが、ラーメンなの?」
ソファーに腰掛けたナンシーが、チタン製のコッヘルに入ったインスタントラーメンを覗き込んだ。
「野外で時間が無い時に食べるものです。あの……この島にできたフードコートで、ちゃんとしたラーメンを食べることができますよ?」
レンは、角煮の缶詰を開けてラーメンの上に乗せながら言った。
「今は、これに興味があるわ」
ナンシーが湯気の上がるコッヘルを手に取り、フォークで麺をすくい上げた。
突然、島主の館に現れて、レンと話があるというから応接室に通したのだが……。
(なんで、ラーメン?)
レンは、ナンシーを見た。
襟のある白いシャツに細身の黒いズボン、黒いサンダルという格好で、丈の長い白衣を羽織っている。
「ふうん……面白い味ね」
レンが用意した味噌ラーメンを口に含み、ナンシーが味わっている。
奇妙な状況だった。
「この世界に、大きな変革が起きようとしているわ」
ナンシーがレンの視線に気付いて微笑した。
「……みたいですね」
レンは小さく頷いた。
「渡界人の意見を聞きながら、アップデートの準備をしているの。あなたも、知っているでしょう?」
ナンシーがコッヘルをテーブルに置いた。
「はい。ピクシーメールで連絡がありました」
「あくまでも、創造主が用意した枠組みの中……という制約はあるけれど、渡界者の意見を取り入れて、世界を改変することになるわ」
そう言いながら、ナンシーがフォークの先に緑色の破片のような物を挟んでいる。
「それは、ネギ……フリーズドライといって、乾燥させたネギという野菜を刻んだものです」
「これが野菜?」
「……お湯でふやかすと、それっぽくなるんです。フードコートのラーメンには、ちゃんと生のネギが入っていますよ」
「そうなのね」
ナンシーがフォークの先に挟んだ小さなネギを口に含んだ。
「その……世界は、どんな感じになるんですか?」
レンは、冷たい炭酸水が入ったマグカップを差し出した。受け取ろうとしたナンシーの手がレンの指に触れる。
直後、レンは横に置いていたHK417を掴んで、ナンシーめがけて引き金を引いていた。
ダダダダッ! ダダッ! ダダダッ!
銃声を響かせ、HK417が空薬莢を吐き出す。
「よく……気づいたな」
顔面から胸元にかけて被弾したまま、ナンシーだったものが笑みを浮かべた。
レンは、HK417を構えたまま補助脳の観測情報に目を通した。
「この体は作り物だ。破壊したところで意味はないぞ?」
「ゾーンダルク……なのか?」
レンは問いかけた。
「……ほう? 私を知っている? ただの子供ではないようだな」
「どの、ゾーンダルクだ? 色々いるんだろう?」
マーニャは、多数のゾーンダルクが存在していると言っていた。
「驚いた。我らが複数いることを認識できているのか?」
ナンシーだったものが、どろりと溶けるように崩れて床に広がった。
ダダダダダ……
レンは、床に広がった黒い粘液めがけて、7.62×51mm 弾を撃ち込んだ。
「……天使気取りが来た。おまえと遊ぶ時間は無さそうだ。また
溶け崩れたものが、黒い粉になって消え始めた。
(天使?)
レンはHK417の弾倉を入れ替えながら、床に視線を巡らせた。
『ナンシーと極めて高い近似値でした。偽者だと判断した要因は何でしょう?』
補助脳が問いかけてくる。
(手が温かかった)
普通の人間のような体温が感じられる手をしていたのだ。本物のナンシーの手は冷えたガラスのような質感である。
『高エネルギー体が出現します』
補助脳のメッセージと共に、部屋の天井付近にオレンジ色のマーカーが点灯した。
(これも、銃弾が効かないやつかな?)
レンは壁際まで退がって、HK417を構えた。
『不明です』
補助脳のメッセージが表示された時、眩い白光が室内を包み込んだ。
瞬時に視界が補正処理され、元の視界に戻る。
(閃光弾?)
『100万カンデラです』
(そこまでじゃないのか)
閃光弾ほどの光ではないようだ。
(ここで、ぴかぴか光るくらいなら、さっきの化け物を追いかけていけばいいのに……)
レンは予備の弾倉を確かめながら唇を尖らせた。
補正された視界の中で、白っぽい粒子の渦が凝縮されて球状になってゆく。
(周囲に、他の反応は?)
『ミルゼッタ、アイミッタは休憩室へ待避しました』
(……イーズは?)
『目立った動きはありません』
(そうなの?)
化け物とイーズが繋がっているのかと疑ったのだが……。
『エネルギーが実体化します。測定、開始します』
補助脳のメッセージが表示されると同時に、
キィィン……
硬質に澄んだ音が室内に響いた。
(割れた?)
レンは、淡く光る球体を見つめた。
光る球体の上部に亀裂が入って、サナギから蝶が羽化するように、青白い羽が外に出てきた。
続いて、真っ白な人間のような背中が覗き、後方へ反り返るようにして上半身が現れる。外に現れたマネキンのような禿頭に、濡れたような緑色の髪が生えて伸びていく。
(ナンシーさんじゃないな)
全体に起伏が乏しい幼児の肢体だった。裂けた球体が幼児の肢体に纏わり付いて、膝丈ほどの白っぽい衣服になった。
(アゲハチョウとか? そういう蝶だっけ?)
青白かった羽が、白と黒の柄に覆われた大きな蝶の羽になっていた。もしかすると、蛾の羽かもしれないが……。
『あああぁ~ 久しぶりの物質世界ですよぉ~』
緑色の髪をした幼女が大きく伸びをしながら声を上げた。
真っ青な瞳がレンを捉える。
『おやおやぁ~? 帝王種を討伐した渡界者さんですねぇ~?』
「……まさか、使徒ちゃん?」
レンは大きく目を見開いた。
間延びした幼い声に聞き覚えがあった。
『はいはい使徒ちゃんですよぉ~ まだ生きていたんですかぁ? しぶといですねぇ~』
あわあわと欠伸をしながら、幼女が何かを探す顔で周囲を見回した。
『不正接続者はどこへ行きましたかぁ~?』
「とっくに逃げましたよ?」
『あららぁ~ 逃がしちゃいましたかぁ~』
緑色の髪の幼女が床に降り立ち、先ほどまで化け物が座っていたソファーの周囲を調べ初めた。
「さっきのが……ゾーンダルクなんですか?」
レンは、HK417を抱えたまま声を掛けた。
『ゾーンダルクですよぉ~ いっぱいある汚れた思念体の一部ですねぇ~』
そこに何が見えているのか、何も無くなったはずの床に顔を近づけたまま、"使徒ちゃん"が答えた。
「不正なんとか? 何かやったんですか?」
『不正接続ですよぉ~ あれは、ここに接続する権限を持っていないんですよぉ~』
"使徒ちゃん"が床を平手で叩き始めた。
「……でも、普通に接続できるんですね?」
『小っちゃな隙間を見つけて入り込むんですぅ~ すっごく面倒な奴ですよぉ~ 汚物は消毒しないと駄目なんですぅ~』
「……へぇ」
レンは溜息を吐いた。
のんびりと現れて、消毒も何もないだろうに……。
『かくまったら駄目ですよぉ~?』
いきなり、"使徒ちゃん"がレンを指差した。
「は?」
レンは、軽く目を剥いた。
『汚物をかくまったら、あなたも汚物ですよぉ~?』
「……取り逃がしたのは、おまえが遅いからだろ」
言いがかりをつけられ、レンの眉根が寄った。
『おまえじゃないですよぉ~ 使徒ちゃんですよぉ~』
「もっと速く来たら、退治できただろ? 遅いんだよ!」
レンの目と声が尖る。
『大急ぎで来たんですぅ~ 遅くないですぅ~ 生意気な汚物には天罰をくれてやりますよぉ~』
"使徒ちゃん"が憤慨した様子で空中に舞い上がった。
直後だった。
ガガァ~ン……
いきなり、凄まじい轟音が鳴り響いて視界が激しく明滅した。
(何だ!?)
レンは、床に片膝を突いてHK417の銃口を上方へ巡らせた。
(あ……)
消し炭となった"使徒ちゃん"が床に落ち、白っぽい灰となって崩れていた。
『失礼したわ。ちゃんと躾けておくから、気を悪くしないでね』
いきなり背後から声を掛けられて、レンは慌てて振り向いた。
(補助脳の探知には反応が無かったのに……)
そこに、白衣姿のナンシーが立っていた。黒いポロシャツにブルージーンズというラフな服装の上から白衣を羽織っている。
「今度は、本物……ですよね?」
レンは、HK417の銃口を
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思念体ゾーンダルクと邂逅した!
"使徒ちゃん"と出会い、別れた!
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