第88話 ナンシー来島


 三歳児の集団――イーズの商人が帰らない。なんだかんだと言って内港に居座っている。

 <白銀> という位階に加えて、神々の祝福を与えられた地となったことで、イーズの商人の中で第九号島の価値が急上昇したらしい。

 

(……商館か)

 

 レンは、手元の紙を見た。嘆願書である。

 外来者向けの居留地に、商取引用の館を建てさせて欲しいという内容だった。

 

(商館を持つと……取り引きで得た利益の2割? 税金が減るのか)

 

 商館を持たない一般の商人は、利益の3割を税として納める。商館を持つ商人は2割になる。この世界には、そういう決まりがあるらしい。

 

(許可していいのかな?)

 

 ちらと、三歳児代表の顔を見る。にこにこと愛想笑いを浮かべているが、腹の中では何を考えいるやら……。

 

(……まあ、いいか)

 

 少し考えて、レンは嘆願書に許可の条件として期限を切ることを書き足して署名をした。

 後の事は、ケイン達が戻った時に、改めて相談すれば良いだろう。

 

「なるほど、権利は1年更新ということですね。せめて、5年と申し上げたいところですが……承知致しました。信用して頂けるよう努力いたします」

 

 三歳児代表が、署名入りの嘆願書を受け取ってお辞儀をした。

 

「それで、そのぅ……島主様とのお取引ですが……この島で採取される土や水といったものは我々イーズに売って頂けるのでしょうか?」

 

「今後の取り引きについては、もうすぐ戻って来る別の人間に任せるつもりです」

 

 レンは、まったくの素人だ。あまり約束事を増やすつもりはない。

 

「畏まりました。ところで、島主様は何かご入り用の品がございますか?」


 三歳児代表がレンを見上げる。

 

「この世界の勢力図のような物はありませんか? どこに、どういった勢力がいて、どういう国……どんな集団を作っているのか、そういうのが把握できるような資料が欲しいです」

 

「ふむふむ……さすがに全世界の……となると難しいですが、この辺りを含めたリジナーダ空域全図であれば、お売りすることができます」

 

 今、第九号島が浮かんでいる空域は、"リジナーダ"と呼ばれているらしい。

 

「いくらです?」

 

「100万ウィルでいかがです?」

 

「買います」

 

「畏まりました。記念すべき初取り引きになります。75万ウィルでご用意いたしましょう」


 三歳児代表が手元に光る板のような物を浮かべ、小さな指でなぞっている。レン達、渡界者のボードのような物らしい。

 

「他にも、何か入り用ですか?」

 

「ファゼルダとデシルーダについての詳しい資料が欲しいです」

 

 レンが把握しておきたい脅威は、ファゼルダとデシルーダだった。ミルゼッタやマキシスからの断片的な情報だけでは物足りない。

 

「資料となると、あまり……いくつかの情報を纏めた物であればご用意できます」

 

「それでいいです。いくらですか?」

 

「1000万ウィルでいかがでしょう?」

 

 笑みの消えた顔で、三歳児代表がレンを見つめた。

 

「買います」

 

 レンは即答した。

 

「……畏まりました。四日ほど下さい」


 やや強張った顔で、三歳児代表が光る板に指を走らせる。

 

「よろしくお願いします」

 

 どんな情報が得られるのかは分からないが、"ニードルダンサー"2匹分である。無駄になっても惜しくはない。

 

「それでは……今日は、これで失礼します。商品の手配をして参ります」

 

 三歳児代表が真剣な面持ちで一礼をして部屋から出て行った。

 

(どんな情報を売るつもりかな?)

 

 レンは、【ピクシーメール】を使って、イーズとの取り引き内容をユキ宛てに送信した。

 送った情報は、ユキがケイン達と共有してくれることになっている。

 

「とうしゅ? もういい?」

 

 続きの部屋で待っていたアイミッタが顔を覗かせた。

 

「うん、いいよ」

 

 レンは、一緒に待たせていたミルゼッタを見て頷いた。

 

「驚きました。あのイーズが……あんなにへりくだるなんて……」

 

 溜息交じりにミルゼッタが呟く。

 ミルゼッタが住み暮らしていた浮遊島は<黒鉄> にも達していなかったため、他の島と共同購買会という形でイーズの隊商を招聘したらしい。島主以下、恐縮しっぱなしで、まともな取り引きにならなかったのだとか……。

 

 

 リリリン……

 

 

 涼しげな鈴の音が鳴った。

 

(ユキかな?)

 

 先ほど送ったメールの返信だろう。

 そう思ったのだが……。

 

『あ、あのぅ……』

 

 空中に現れたのは、紺色のワンピース水着姿の女の子だった。長い黒髪を頭の左右で結んでいる。

 

「えっと……ケインさんのピクシー?」

 

『は、はいっ……お手紙です!』

 

 水着姿のピクシーが震え声で言って、小さな封書を差し出した。

 レンは、指で摘まむようにして封書を受け取った。

 途端、封書がみるみる大きくなって封が消え、中の紙が目の前に拡がる。

 

(手紙の映像なんか無くして……ボードにメッセージだけを表示すればいいのに)

 

 レンは、空中に現れた紙面を見つめた。

 

『あの……もう、いいですか?』

 

「えっ?」 

 

 声を掛けられて目を向けると、水着姿のピクシーがまだ居残っていた。

 

「ああ、戻っていいよ。ありがとう」

 

 レンが言うと、ピクシーがほっと安堵した様子で胸元を手で押さえつつお辞儀をして消えていった。

 

「どなたですか?」

 

 ミルゼッタが訊いてきた。

 

「ケインさんからです」

 

 レンは、紙面に視線を戻した。

 

(ああ……そんな感じになってるのか)

 

 キララとマイマイが中心になって無茶な要求をぶつけ、ケインが取りなしつつ交渉し、落とし所が見つからない案件は放置して、次の無茶ぶりをやり……その間に、マーニャが政府や企業のサーバーから、独立システムの中にまで入って情報収集をやっているらしい。

 

 

 日本政府との交渉とは別に……。

 

 

・近日中に、大幅なアップデートが行われる。

・渡界者と現地人によるパーティが認められる。

・異なるパーティ同士の集合体"クラン"をギルドの公式規格として導入する。

・連続滞在時間が30日間を超えた者を対象にレベルアップ制度を導入する。

・レベルアップによる能力値の変動を視覚化する。

・討伐ポイントによる戦闘系スキルの獲得。

・異能ポイントによる特殊系スキルの獲得。

・技能ポイントによる創作系スキルの獲得。

・採取ポイントによる採取系スキルの獲得。

・称号による適正値の変動。

・アップデートまでに獲得済みのスキルは全て固有スキルとなる。

・モンスターについての情報を公開する"ライブラリ"の設置。

・大氾濫の試練 <タイムアタック> は、渡界者一人につき一度限り。

・大氾濫の<タイムアタック> による緩和上限は、90日となる。

 

 

 以上が、ナンシーとの折衝で決定したそうだ。

 

「とうしゅ?」

 

 退屈したアイミッタがレンの上着の袖を引っ張る。

 

「……うん、まあ……色々と変わるみたいだから、ケインさん達が帰ってきたら説明してもらおう」

 

 レンには分からない単語がぽつぽつ存在している。

 

(これって、こっちの世界の話だよな?)

 

 まず間違いなく、この物質世界ゾーンダルクが"アップデート"されるという話だと思うのだが……。

 

(なんで、マーニャがあっちのコンピュータに入り込んでるんだろう?)

 

 ただの興味本位で情報を漁っているとは思えない。何かよからぬ仕込みをやっているのではないだろうか?

 

(まあ、いいか……考えても、どうにもならない)

 

 レンは諦めた。

 ケインが報せてきたアップデートも、あれで全部では無いだろう。他にも、折衝中のものがあるはずだ。

 

(たぶん、日本……あっちの世界を巻き込む仕掛けを作ってるんだな)

 

 発案は、キララとマイマイ、ケインだろうか? それをマーニャが面白がり、ナンシーが乗っかった?

 明確な根拠など無いが、そんな気がした。

 

「また、神様から通知……啓示がありそうです」

 

 レンは空中の紙面を消して、小さく息を吐いた。

 

『全文記録しました』

 

 視界に、補助脳のメッセージが表示される。

 

(ボードの既読メッセージに残ってるよ?)

 

『アップデート後に、ボードに障害が発生する可能性があります』

 

(……なるほど)

 

『送受信したメッセージを全て記録しておきました』

 

(ありがとう。気が付かなかった)

 

『エンカウンターカメラの映像も保存しておきます』

 

(うん……獲得ポイント数なんかも)

 

『了解です』

 

 正直、アップデートというものが何なのか分かっていないが……。

 

「……アイミル号の改修は終わったんですよね?」

 

 レンはミルゼッタに訊ねた。

 

「えっ? あ、はい、もう終わっています」

 

「例の……ハープーンガンというのは撃てますか?」

 

 船尾近くに備え付けたというワイヤーロープ付きの銛を撃つ大型砲である。

 

「マキシスさんが試射をしていましたから……大丈夫だと思います」

 

「操船は?」

 

「私と……アイミッタが一緒なら問題ありません」

 

 ミルゼッタが自信ありげに言った。

 

「じゃあ、実験機……アイミスの性能試験を兼ねて、ニードルダンサーを狙ってみましょう」

 

「分かりました。防衛団のダルフォス団長に連絡をしておきます」

 

 ミルゼッタとアイミッタが小走りに部屋から出て行った。

 

(何となく、アイミスが飛びたがっていたし……)

 

 レン自身も、あれこれ考えているくらいなら空を飛び回っていたい。

 今のところ、イーズの隊商は商館と倉庫の建造に注力していて、騒動を起こす雰囲気はない。ケイン達が戻るまで放置しても問題無いだろう。

 

「島主……」

 

 出て行ったはずのミルゼッタ達が戻って来た。

 

「何かありました?」

 

 ある種の予感を覚え、レンはボードの【コスドール】を選択して戦闘準備を行った。

 

「ナンシーさん……様が、いらっしゃいました」

 

 そう告げるミルゼッタの顔から血の気が退いていた。

 

 

 

 

 

 

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マイマイ達が"世界"の規格作りをやっているようだ!

 

第九号島に、ナンシーが来た!

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