第86話 ゲームチェンジャー
第九号島の町は、真水の循環が始まった他は大きな変化は見られなかった。
ただ、『先進技術研究所』『酒類研究所』『製粉所』などの研究施設はびっくりするくらい拡充していた。
モンスターの解体場の隣に、『素材研究所』という建物が新設され、大きな倉庫群がずらりと並んでいる。
ダァン!
M95対物狙撃銃が銃声を響かせた。伏射を行っているレンの肩に反動がくる。
『4ミリメートル下方』
補助脳のメッセージが浮かぶ。
(1キロで4ミリなら悪くない)
照準器越しにターゲットシートの弾痕を確かめて、レンは静かに息を吐いた。冷たい引き金に指を触れ、静かに絞っていく。
ダァン!
『5センチメートル上方』
(……意識すると駄目だな)
レンは眉根を寄せた。手早くボルトを引いて次弾を装填する。
補助脳のサポートを切った状態で射撃訓練を行っていた。補助脳がオーバーヒートした時に備えた訓練である。
ダァン!
『2ミリメートル上方』
(2ミリとか誤差だろ)
レンは、次弾を装填せずに身を起こした。
9ミリ自動拳銃、HK417自動小銃、M95対物狙撃銃の順で行った射撃訓練は終了だ。
次は、戦技教練で教えられた筋トレのセットメニューを行い、その後は重い戦闘背嚢を背負って船渠周りを走る。
ミルゼッタやアイミッタ達と町中を見て回ったり、マキシスに依頼されて"アイミス"を飛ばす他は、黙々と体力作りを行っていた。
いつか、また試練がある。
そう思っている。
(装備を身に付けたまま走れないと駄目だ)
身軽になって走っても意味が無い。対物狙撃銃を抱え、背中の背嚢に弾薬箱を入れた状態で走れるようにならないと……。
(フル装備で何キロだっけ?)
『銃弾数と使用する照準器によって変動します』
(だいたいで良いよ)
『M95が、12キログラム、HK417が5キログラム、12.7×55mm 弾を100発入れた弾薬箱が17キログラムになります』
他にも戦闘背嚢には水と戦闘糧食、予備の弾倉なども入っている。
(それで……試練の時、走ったんだよな?)
今更ながら、よく動けたものだ。レンは自分の手の平を見つめた。ゆっくりと握り拳を作り、緩めて指を伸ばす。
(マテリアルがどうとかで……体の力が強くなった?)
『マテリアルによる筋力の上昇値は数パーセントです。別の要因によって、身体能力値が上昇補正を受けています』
(別の要因って?)
『不明です』
(……どのくらいの補正?)
『瞬間的に8倍の出力量に達しました』
(出力……腕の力とか?)
『全身です』
(いつ?)
『計測されたのは、ゴブリンガンナーによる迫撃を回避した時でした。エンカウンターカメラの映像を再生しますか?』
(そんなことができるの?)
『マーニャにアップデートされて以降、ボードの情報層にアクセスできるようになりました』
まったくの新情報である。
(……映像を見せて)
レンは溜息を吐いた。
視界に、長方形の枠が開き、戦闘映像が流れ始めた。画面下にタイムラインが表示されている。
『同時に、7発の迫撃砲弾が飛来しています』
(あれ? なんか視界が……)
情報が表示されていない、すっきりとした視界だった。
『エンカウンターカメラには、肉眼が捉えた情報しか反映されません。そういう仕様のようです』
(そうなんだ)
戦闘中のレンの視界には、補助脳による観測情報や推奨回避ルート、モンスターまでの距離、フェザーコートの残量、獲得した時間数など、様々な情報が表示されている。エンカウンターカメラは、補助脳が補正する前の"生"の映像を記録しているらしい。
(……確かに、これ……)
戦闘背嚢を背負い、対物狙撃銃を抱えたまま、降り注ぐ迫撃砲弾の間を走っている。
(あっ……)
迫撃砲弾が進行方向に落ちた。瞬間、視界が右から左へ流れた。激しい爆発音を置き去りにして、かなりの速度で待避している。
『ここで、瞬間出力が8倍に達しました』
(骨とか……血管とか、そういうの大丈夫だった?)
生きているから大丈夫だったのだとは思うが……。
『筋力が増したのではなく、発生する出力のみが増加しています』
(どういうこと?)
『スキル"パワーヒット"と同様の事象です』
(……体の力が出るスキル?)
『情報内に、該当するスキルは存在しません』
(じゃあ、何?)
『不明です』
素っ気ない補助脳の答えにレンが唇を尖らせた時、
ピピピッ!
小さく信号音が鳴り、後方に小さな熱源が現れた。
『アイミッタです』
射撃場後方の防護壁にある小窓に、アイミッタの顔が覗いた。振り返ったレンを見て、窓越しにアイミッタが手を振っている。
(呼びに来た?)
仕草からして訓練の見物では無さそうだ。
レンは、使用した銃を【ランドリーボックス】に入れ、射撃場を出て岩塊をくり抜いて作った準備室へ入った。予備のターゲットシートや交換用の支持器が置かれた中を歩き、狭い通路を抜けて防護扉を開けると、アイミッタが待っていた。
「何かあった?」
「あるの」
「え?」
「いまからあるの」
「……今から?」
レンは、童女の顔をまじまじと眺めた。
その時だった。
リリリン……
【ピクシーメール】の着信音が鳴った。
『書留です』
凜とした雰囲気のピクシーが現れた。20代半ばくらいの女性である。ユキのピクシーだった。
「きた!」
アイミッタが嬉しそうに声をあげる。
(ああ……このピクシーが来ることが"視えた"のか)
アイミッタが持つ不思議な能力の一つだ。
『こちらに、ご捺印をお願いします』
ピクシーが、どこからともなく白い板を取り出した。
「……印鑑は持ってないけど?」
『サインで結構です』
ピクシーがペンを取り出した。
レンは黙ってペンを受け取り、白い板に名前を書いた。と言っても、"レン"の二文字だけである。
『こちらになります』
ピクシーが差し出したのは茶色い封筒に入った分厚い書類だった。
『それでは、失礼します』
物静かな声と共に、ユキのピクシーが一礼をして消えていった。
「ユキのピクシーだったけど……」
レンは、受け取った封筒の封を切り、壁際にある長机の上に書類を出した。
(日本から……ピクシーメールが届くようになったのか)
ナンシーにリクエストした要望事項の一つらしい。
(経緯報告書……なんか、ユキらしいな)
レンの口元に笑みが浮かぶ。
ステーションでの出来事、日本へ移動してからの交渉内容が、箇条書きにしてある。別紙には、日時と訪問先、面会相手、交渉内容が簡潔に纏めてあった。それぞれの交渉についての、ケイン達の所感も添付してある。
・異界探索者同士が結成するユニットを支援するための仕組み作り。
・渡界者が持ち帰った素材専門のマーケット構築。
この2つは、細部を詰める方向で調整に入ったらしい。
・レンの功績を称えて、功労金5兆円を支給する。
・異界探索協会のステーション支部の設置。
・異界探索協会が管理する渡界者情報の刷新。
・デスカメラ映像を遺族が閲覧する権利。
・エンカウンターカメラ映像を一般人が閲覧できる仕組み。
これら5つは、検討すると言われて保留になったそうだ。
一方で、マーニャがナンシーに掛け合って、"大氾濫"の猶予期間を改変する試練は、渡界者一人につき一度しか権利が発生しないという内容のワールドアナウンスを流してもらうことになったようだ。
他にも、"鏡"の大氾濫から出現するモンスターの脅威度を一定レベルで頭打ちにする案について交渉中らしい。
(渡界者情報……クラン? ランキング? インフォメーションセンター?)
何を目指しているのか分からない構想が色々と書いてある。
どうやら、ケイン達は、日本政府にあれこれ要求をする一方で、渡界者を取り巻くルールを独力で変えてしまうつもりらしい。
エンカウンターカメラの映像をアーカイブで配信するシステムは、すでにマーニャが構築してしまったそうだ。ステーションのシーカーズギルド内に、素材マーケットボードという物を設置済みなのだとか。
書類全てに目を通してから、レンは大きく息を吐いた。
「だいじょぶ?」
すぐ横で、アイミッタが見上げている。転がっていた箱を足場にして、なんとか机上に顔を覗かせていた。
「なんか、色々書いてあるけど……」
レンは、アイミッタを抱き上げて机に座らせた。
「よく分からなかった」
「ユキは?」
「元気そうだけど、まだ交渉……話が終わってないみたいだね」
「ふうん」
「……ご飯食べようか」
そろそろ昼食の時間だった。
「うん!」
「まだ、魚を出す店しかないけど」
レンはアイミッタを抱き上げた。
今のところ、解体場に持ち込んだモンスターは巨魚だけだ。地下街にオープンした飲食店には、魚を使った料理と麺類、お酒が並んでいる。
「らーめん、おいし!」
アイミッタが嬉しそうに言う。
そこへ、ミルゼッタがやってきた。やや緊張した面持ちである。
「何かありました?」
「来ました! イーズです!」
ミルゼッタが言いかけた時、
ビィィィーーー……
いきなり、大きな音が鳴り響いた。
間を置かず、レンの目の前に白く透ける亡霊が現れた。
『島主様、防空隊から報告です。イーズの交易船から入港要請がありました』
亡霊の頭上に吹き出しが現れた。
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ピクシーメールが、日本から届くようになった!
第九号島に、イーズの商人が来た!
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