第60話 フィッシュオン!


(マノントリの調子はどう?)


 暗く閉ざされた操縦席コックピットで、レンは補助脳に問いかけた。

 実験機の動力炉を起動する前の点検中だった。場所は、アイミル号の後部格納庫だ。

 実験機の外では、取り付けた銛の最終チェックと、船尾のクレーンから引き出されたワイヤーロープの接続が行われている。


『とても機嫌が良いです』


 視界に、補助脳のメッセージが浮かんだ。


(……マノントリの?)


『はい。高揚しています』


(そうなの?)


 レンは首を傾げた。

 "自我ある宝珠"というくらいだ。感情があっても不思議ではない気はするが……。


(まあ、不機嫌になるよりいいのか)


 レンは深く考えないことにした。気にしたところで、レンにはどうにもできない。


 バイザーに、起動状況が羅列されていく。

 今回は、全ての項目が滞ることなく"成功"していた。


(本当に、機嫌いいみたいだ)


 レンは目を閉じて息を吐いた。


『ケインだ。レン君、起動状況はどうなってる? エラーは出てるか?』


 ケインから魔導通信が入った。


「全項目が"成功"になっています」


 レンは目を閉じたまま答えた。


『おっ? 今日は良い感じじゃねぇか?』


「はい。良さそうです」


『マイマイよ~。クレーンのワイヤーは200メートル引き出してあるから、後はレン君が引っ張り出してね? ゆっくりよぉ? 急加速なんかしたら、クレーンのアームが折れちゃうからねぇ~?』


 マイマイが念を押す。少し乱暴な試験飛行を行ったことにより、レンの信用度は落ち気味だった。


「了解です」


『操縦室、キララよ。周囲に飛影は無いみたい』


 アイミル号は、第九号島の下方100メートルに位置していた。忌避領域である海面から500メートルまでは余裕がある。


「いつでもいけます」


 レンは、操縦桿スティック推力制御スロットルレバーに手を置いた。

 それに反応して、視界が明るくなり、バイザーに機体の外が映し出される。機体の各所にある"目"が正常に機能していた。

 

もりのワイヤー接続は完了だ。待避するぜ』


 ケインの声が聞こえた。

 銛先から押し棒、機体の後部にある留め金にかけてワイヤーロープが這わされ、ワイヤーロープが床を伝って格納扉の外へと続いている。その先は、アイミル号のクレーンだ。


『操縦室、キララよ。マイちゃんも言ったけど、ゆっくり出てね? いきなりドカンは無しよ?』


「大丈夫です」


『ワイヤーロープを引きずって飛んでいることを忘れないでね?』


「はい」


『ケイン、格納扉を開けて。マイちゃん、レン君が出るわ。クレーンのリールを緩めて』


 キララの指示が飛ぶと、前方を塞いでいた格納扉が上下に分かれて開き始めた。

 

「行きます」


『ゆっくりよ!』


「……了解です」


 レンは苦笑を漏らしつつ、じわりと機体を浮き上がらせて前進させた。

 滑るように水平移動を始めた機体だが、わずかに後ろへ引かれる感覚があった。


「ワイヤーが床に引っかかっていませんか?」


『引きずっているだけだぜ』


 ケインの声が聞こえた。


(これが引きずっている感覚か。思っていたより後ろが重たい)


 取り付けた銛によって重心が前に寄るだろうと思っていた。しかし、実際に動かしてみると、繋がっているワイヤーロープの重さに引っ張られて、やや機首が上がり気味になる。


『レン君、どうだ? 行けそうか?』


 ケインが訊いてくる。


「予想より、後ろ重心でしたけど、このぐらいなら大丈夫です」


『クレーンに繋がったワイヤーに引かれるからな。機動性能はかなり落ちてるぞ? 危ないと思ったら、銛を切り離して捨てるんだ。いいな?』


「了解です」


 レンは、推力制御スロットルレバーをじわりと引いた。

 実験機が、やや機首を斜め上に向けたままスルスルと進んで格納庫から外へと滑り出る。


(……かなりブレーキがかかる。ワイヤーに引かれているのか)


 澄み切った空へ機体を滑らせつつ、機体の挙動を確かめると、レンは首を捻ってアイミル号を振り返った。

 船尾にある大型クレーンから垂らされた細いワイヤーロープがレンの実験機に向かって伸びている。どこかに絡まったりはしていない。


「クレーン、目視しました。ワイヤーロープに絡みはありません」


『マイマイよ。こっちからも見えるわ。そのまま、少し引っ張ってみて』


「了解」


 マイマイに言われるまま、静かに機体を降下させていく。

 すぐさま、軽い衝撃があって機体が揺れた。前もって引き出してあったワイヤーロープが足りなくなったのだ。


『リール逆転させるよぉ~』


 マイマイの声と共に、クレーンから垂れているワイヤーロープに余りが出る。

 それを待って、レンは機体を下げた。

 クレーンの特大リールが逆回転をして巻かれたワイヤーロープを出し、それに合わせて機体の高度を下げる。じりじりするような作業を繰り返して、レンの実験機は海面めがけて高度を下げていった。

 ゾーンダルクで忌避領域とされる500メートルに侵入し、さらに高度を下げる。


『海面まで100メートルです』


 補助脳のメッセージが浮かんだ。


「予定の高度に到達。ここで様子を見ます」


 レンは、アイミル号に報告を入れた。


『了解よ。気をつけてね』


 キララの声が応える。


(魚は?)


『直下に、高濃度ナノマテリアル反応です』


 補助脳のメッセージが赤い。すでに、こちらを捕捉して待ち構えていたらしい。海中を追尾してきていたのだろう。

 

 

- 873.1m

 

 

「ロープを追加で50メートル出して下さい。魚が上がって来ました」


『やっちゃえ、レン君! スピアフィッシングだぁ!』


 マイマイの興奮した声が聞こえ、ワイヤーロープが追加で垂らされた。 

 

 

- 412.7m

 

 

「アイミル号、衝撃に備えて下さい。直下から、巨大魚が浮上中です」


『こちら、ミルゼッタ。了解よ!』


 500メートル上空のアイミル号から返事が返る。

 ここまでは、すべて想定した状況だ。

 

 

- 186.9m

 

 

 浮上してくる魚との距離を見ながら、レンは実験機を空中で停止させた。

 海面から100メートルを維持。

 弱い風が吹いているだけで、波頭は小さくいでいる。


『さらに、5体が接近してきます』


 こちらを狙って上がってくる個体とは別に、5匹の巨魚が集まってきているらしい。

 

 

- 79.3m

 

 

 測距値が大きく減ると同時に、鋭く口の尖った巨大魚が海面を割って躍り上がって来た。

 前回交戦したダツに似た巨大魚だ。

 同じ個体かどうかの見分けはつかなかったが……。


(まだ遠い……)


 牙の並んだ口がレンの実験機を捉えようと大きく開かれる。その口腔を真上から覗き込みながら、レンはぎりぎりまで空中停止を続けた。


(……ここっ!)


 直後、推力制御スロットルレバーを思いっきり引いて急加速した。

 繋がっているワイヤーロープごと、大きく前へ移動するなり、強引に180度ターンをして機首を返す。

 機体が嫌な軋み音を鳴らし、首が捻じ切れそうな圧がかかる。


『フェザーコートが発動しました』


 視界に浮かんだ補助脳の警告メッセージを横目に、レンは目の前を迫り上がっている巨大な魚体を見上げながら、推力制御レバーを引いて、フットペダルを床まで踏み込んだ。

 実験機が巨大魚めがけて突進する。

 急加速で真後ろへ体が押しつけられた直後、



 ジャッ……



 なんとも言えない柔らかな衝撃が機体に伝わった。


(刺さった!?)


 そう感じた瞬間、レンは機体を急停止させつつ衝撃に備えた。

 わずかな間があり、ドンッ……という激しい衝撃と共に機体が弾かれる。ほぼ静止しかけていた機体が、巨大な魚体に当たって跳ね飛ばされていた。

 

 意図しない方向に機体が飛ばされ、視界の天地がめまぐるしく回転する。


(……銛は?)


 離れていく巨大魚に目を凝らしつつ、レンは操縦桿を細かく動かし、回っていた機体を立て直した。

 狙っていた頭の付け根には当たらなかったかもしれない。ただ、銛先は無事貫通したはずだ。


『下から、別個体5』


 補助脳のメッセージが浮かぶ。


(機体の損傷は……)


 レンの意思に反応して、バイザーに各部の状態が表示された。

 機首右側が歪んだだけで、他に損傷した箇所はなさそうだ。



- 61.9m



 縮まる距離数を見ながら、レンは機首を海面に向けて降下させた。魔導式30ミリ機銃を撃ちながら、一瞬で海面すれすれへ降りて水平方向へ向きを変えて急加速する。

 やや遅れて、巨大魚が海面から飛び出したが、出方が中途半端だった。

 狙った獲物を見失い、浮上してきた勢いで飛んだだけだ。

 レンは大きく後方へ機体を宙返りさせ、まだ空中にいる巨魚めがけて魔導式30ミリ機銃の光弾を浴びせた。

 ダメージは与えられない。ただの挑発である。


『レン君、やったよぉ! フィィィシュッ! オォ~ン!』


 マイマイの歓声が聞こえてきた。クレーンでの吊り下げに成功したらしい。銛先がしっかりと掛かったということだ。


(どこに刺さったんだろう?)


 視線を上空へ巡らせると、補助脳が吊された巨大魚の頭部を拡大表示した。

 胸びれの付け根近くを銛先が貫いている。思惑通り、貫通した銛先が横向きになって、抜けない状態になっていた。


(……大きい)


 改めてみると、とんでもなく大きな魚である。

 全長は50メートルを超えているだろう。

 ワイヤーロープの巻き上げを開始していたが、吊されている巨大魚の尾びれがまだ海面を叩いていた。


『キララよ。しっかり引っ掛かってるわ。クレーンで吊ったままアイミル号の高度を上げて安全高度まで引き上げるわよ』


 巨大魚が身をよじり、胴体から尾にかけてを振って暴れている。吊り下げているクレーンと巻き上げ機、そしてワイヤーロープがどこまで耐えられるだろうか。


「他の魚を引き離してから向かいます」


 レンは、大きく機体を捻って、海中から食いついてくる巨魚を回避しつつ、魔導式30ミリ機銃を海面めがけて乱射する。

 青白い光弾が海面を叩いて飛沫を上げる中を、ホバー機のように軽く後部を振りながら海面すれすれを擦過し、海面上に幾重にも円を描いて挑発する。


『さらに接近してくる大型の個体がいます』



- 377.2m



(数は?)


『浮上中4、停止中8』


(吊り下げた魚はどうなった?)


 操縦桿スティックを倒しつつ、推力制御スロットルレバーを引いた。跳ねるように右側へ高速移動した機体の横を、青光りする太い魚体が過ぎる。


『海面から121メートルまで上昇』


(……もう少しか)


 海中から迫る光点を回避して急加速しつつ、跳ねるように真横へ機体を振り回す。

 機体を左右に振って巨大魚の口腔を避け、遅れて食い付いてきた別の巨大魚めがけて急降下すると、巨大魚の目玉にデルタ翼の先を擦過させて抜けた。

 そのまま、海面すれすれまで降りて機首を上げ、波間を急加速して海中に潜む巨魚の群れを挑発する。

 

『ミルゼッタよ。吊したままの操船に慣れてきたわ。そろそろ、魚の尾が忌避領域を抜けるはずよ』

 

「了解。そちらに向かいます」


 真横から海面を割って飛んで来る巨大魚の口を横目に見ながら、レンは機体を捻って巨魚と巨魚の隙間に機体を入れ、機首を上げるなりフットペダルを床まで踏み込んだ。

 

(……思ったより多かった)


『探知範囲内に89体います』


 どこから集まってきたのか……。

 レンは、海面付近で狂乱状態になっている巨魚の群れを置き去りに、一気に加速してアイミル号を目指した。


「レンです。状況は?」


『キララよ。今、ユキちゃんが撃ってるわ。なかなか、弱らないけど……クレーンもワイヤーも大丈夫そうだから、このまま九号島まで運ぶわ』


 キララの声が明るい。

 アイミル号の船底に設けた銃座からM2重機関銃の火線が伸び、巨大魚の目の周囲を中心に銃弾を浴びせ続けている。

 ゾーンダルクのモンスターが簡単に死んでくれないのは経験済みだ。根気よくやるしかないだろう。


(焦ってワイヤーロープに当てるわけにはいかない)


 レンはユキの射線を迂回しながら機体を上昇させ、大きく揺れている巨大魚の腹部を正面に狙える位置で静止させた。


(来てないよな?)


 念のため海面へ目を向けたが、海面直下を巨大な魚影が行き来しているだけで、上空のアイミル号めがけて飛び出してくる個体はいなかった。



- 359.3m



 吊した巨大魚の尾びれから海面までの距離が表示された。

 ミルゼッタの言っていた忌避領域には届かないが、この高さは安全圏なのだろう。


(腹部を狙う)


 レンの意思に応じて、M2重機関銃の照準が巨大魚の腹部へ点った。



 タタタタタタッ……



 M2重機関銃の作動音が伝わり、放たれた銃弾が巨大魚の腹部に命中して鱗を割り、内部へ吸い込まれていく。弾が尽きたら、アイミル号に戻って給弾すれば良い。時間はかかるかもしれないが、このまま続ければ仕留められるだろう。


(長期戦だ)


 そう思っていると、


『高濃度ナノマテリアル塊を探知しました。位置を投影します』


 いきなり、補助脳のメッセージが視界中央に表示された。


(……ナノマテリアル塊?)


 久しぶりに目にするメッセージだった。

 すぐさま、巨大魚の鰓蓋エラブタの下方に青白い光円が点る。


(あれを撃てば……?)


『高濃度ナノマテリアルの回収を推奨します』


 視界中央に、補助脳のメッセージが表示された。


(回収って……無理だろ?)


 空中停止が可能な機体だとは言え、レン自身は防護板に囲まれた操縦席の中だ。機体から出て巨大魚に移乗しろとでも言うのだろうか?

 九号島に運んだ後にやるなら分かるが……。


『5メートル以内に接近すれば80%以上を吸収摂取可能です』


(5メートル……その距離なら銃で撃ってもいいのか?)


『銃弾ではナノマテリアルが飛散します。摂取率が大きく低下します』


 補助脳のメッセージが視界中央を占拠し続ける。


『特殊なナノマテリアル塊です。鮮度を失うと、極端な性質劣化が起こります』


(いや……鮮度と言われても。まずは倒すことが先決じゃないか)


『鋭利な棒で貫くことを推奨します』


(棒って……もう、銛先が無いよ?)


『押し棒で十分です』


 補助脳が食い下がる。

 視界に、実験機の機首から伸びるもりの押し棒が表示された。銛先が外れているが、押し棒は機首下から10メートル先まで突き出している。


(こんな棒じゃ刺さらないだろ?)


 押し棒の先は丸みを帯びていた。取り付けた銛先を押すための棒なのだ。何かに刺さるような形状はしていない。


鰓蓋エラブタが開くと、隙間からナノマテリアル塊を目視できます』


 鰓蓋エラブタが開いた瞬間に機首の押し棒を突き入れろということらしい。


(それって、棒が届く場所にある?)


『届きます』


 補助脳が断定した。


(へぇ……そう)


 レンは、巨大魚の鰓を見つめた。巨体を揺らして暴れる弾みで、時々、鰓蓋エラブタが開いて中の赤いエラが見える。それだけだった。

 エラが見えるのはごく短い時間で、すぐに分厚い鰓蓋エラブタに隠れてしまう。


『棒の照準補正を行います』


 赤いクシ状のエラの奥に、[+] マークが点灯し、鰓蓋エラブタの縁が強調表示される。斜め下で待機して、鰓蓋エラブタが開いた一瞬を狙って突撃するしかない。


(照準補正って……もりは一回しか使用していないのに?)


『微少ですが、命中率の上昇が期待できます』



- 117.9m



 機体からナノマテリアル塊までの距離が計測された。


鰓蓋エラブタから、その塊までの距離は?)



- 3.4m



 押し棒が届く位置である。理論上は……。


『高濃度ナノマテリアルの塊です。極めて有用です。全量摂取を推奨します』


 気が進まないレンを諭すように、補助脳のメッセージが浮かぶ。


(……分かったよ)


 レンは、大きな溜息を吐いた。






======


スピアフィッシング作戦は、成功した!


高濃度ナノマテリアル塊は、目の前だ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る