第57話 飛翔


 閉ざされた暗闇の中……。

 静まりかえった狭い密閉空間で、レンは静かに呼吸を繰り返していた。



 ポコッ……ポコッ……ポココッ……



 どこからか液体の中を気泡が移動する音が聞こえてくる。操縦席の後方に何か積んでいるのだろうか。


  被っているヘルメットのバイザーに、起動状況を表す文字の羅列が延々と映し出されている。こうした長時間の起動調整は、一番最初だけらしいが……。


(QGSPって……何だろう? "失敗"のままだけど……)


 表示される英数字の列の一つが点滅したままになっている。他は、すべて"成功"になっていた。


『レン君、聞こえる?』


 ヘルメット内蔵のスピーカーから、キララの声が聞こえてきた。


「はい、聞こえます」


『ジャイロの調整にもう少しかかるわ。船の大きさが変わって、マノントリが混乱してるみたい』


 新造した小型機に、デシルーダの白い船に載せられていたマノントリを移植したそうだ。未だにマノントリというものが理解できていないが、ケインは制御用のAIのようなものだと言っていた。

 素体のことを考えると気味が悪いが……。

 "自我ある宝珠マノントリ"は、渡界者が使用できないはずの魔導具を、島の外で使用するためのカラクリには必要不可欠だった。


 ポンプ作戦が失敗に終わった後の反省会で、


「姿形は変わっても、"自我"があるならでしょ? そうよね? ちゃんと自我があるのよ? 生き物でしょ? 元がヒトなら、でしょ? 形なんか関係ないでしょ? その辺の細かい線引きなんかしてないんじゃない? ゲームやって遊んでいるような神が創った世界なんだから」


 という、酔っ払ったキララの発言によって始まった戦闘機開発計画だった。


 "自我ある宝珠マノントリ"はゾーンダルクのだから、"自我ある宝珠マノントリ"に頼んで魔導具の操作をしてもらえば、仮に第九号島の外に出ても、魔導具を使用することができるのではないか?

 機体の魔導装置を制御しているのは"自我ある宝珠マノントリ"であり、渡界者はマノントリに希望を伝えているだけだから、渡界者が魔導具を操作しているわけではない。"自我ある宝珠マノントリ"は魔導具ではなく、ゾーンダルクである。


 詐欺のような理屈だったが、実際に試してみたら、マノントリを介して魔導具の操作を行うことができてしまった。


「……分かりました」


 レンは、小さく息を吐いた。

 着慣れない航空服を着せられている。マイマイが試作した魔導式の耐Gスーツだった。

 素材が何なのかは分からないが、ウェットスーツを着ているような感覚で、ぴったりと肌に張り付いている。その上から、これもマイマイが試作した防護服を着ていた。

 ヘルメットから防護服、戦闘靴まで真っ黒である。

 将来的には宇宙服を作るつもりらしい。その前段階の試作品ということだった。

 スキンスーツ並の薄い宇宙服を作るつもりだったらしく、日本にいる時から実験を繰り返していたそうだ。


『心配しないで。ちゃんと飛ぶわよ』


 キララが穏やかな声で語りかけてくる。


「試験飛行にしては、なんだか大袈裟な感じですが……」


『そりゃあ普通の飛行機じゃないもの。モンスターがウヨウヨいる中に飛び込んで資源を採って来るための強襲戦闘機を目指しているんだから。実験機でも、かなり気合い入ってるわよ』


 資源不足の中で作った試作機である。飛空艇と同様に浮動炉で浮かび、加速用の推進器に、"スーパーチャージャー"を取り付け、大気中の魔素子を大量に取り込んで過給し、強力な出力の発生を誘因することに成功した。そういう説明だった。


(やっぱり、ポンプは駄目だったのか)


 雲の上から海面にまで届かせるパイプを作れなかった。そもそも、そんな重量物を安定して吊り下げることが困難だった。おまけに、用意できるポンプが小さ過ぎた。


 酔った勢いで、バケツを海面まで垂らして汲み上げる方が現実的だという話になり、それをやるくらいなら、船で海面近くへ降りて汲み上げた方が効率的だという結論に達した。


 そして、小型の実験機が新造された。

 元々の計画では、ゴブリンの小型艇を改造するはずだったのだが、それでは心許ないということになり、一から設計を見直した結果、細長かったゴブリン艇の面影は無くなっていた。


 形状は、剣尻と称される三角形のやじりのようだった。形状だけならデルタ翼に似ていたが、翼の役割は無く、表面は魔素子を効率よく吸収するための特殊甲殻になっているらしい。

 実験機ということで、全体が灰色に塗られている。

 全長7メートル、全幅5メートル、全高3メートル。

 船首上部にはファゼルダの"機銃雀蜂スズメバチ"から移植した30ミリ機銃2門と、M2重機関銃が内蔵されていた。

 魔導式の30ミリ機銃は、充填式のバッテリーのようなものがあり、光弾を撃ち尽くしても、魔素子を吸収することでエネルギーを補充して、再使用ができるようになるらしい。

 M2重機関銃の方は、装填してある弾帯の弾を撃ち切るか、弾詰まりを起こしてしまうと、帰投するまで使用できなくなる。


(これ、どうやって照準を付けるんだろう?)


 レンは、座席右側の操縦桿スティックを握った。形状は、ナックルガードの付いたジョイスティックである。火器管制用に、人差し指で引くためのトリガーレバー2つと、親指で押すためのトリガーボタンがついている。

 左側には、指を沿わせる溝の付いた推進力制御用のスロットルレバーが、座席足下には強制過給用のフットペダルが1枚あった。


『もうすぐ、バイザーに周囲の映像が投影されるわ』


「機体のどこかに、カメラがあるんですか?」


 電子制御の機械は使用ができないから、何かで代用しているのだろう。


『……カメラというか、目玉ね』


「えっ!?」


『電子機器とか使えないでしょ? だから、私達が考えているようなカメラは再現が難しかったわ』


「それで……目玉というのは?」


『スズメバチの複眼と単眼、それにゴブリンの瞳を組み合わせているんだけど……安心して、マノントリが、映像を解析して人が肉眼で見ているように変換してくれるわ。私も試したけど、酔うような感じは無かったし、とても鮮明よ』


「虫の目とゴブリンの……」


 レンは溜息を吐いた。

 コクピットは、分厚い防護板シールドに囲まれた機体中央部に位置していて露出していない。外の様子は、すべて被っているヘルメットに映し出される仕組みになっていた。

 おかげで、今は真っ暗闇である。

 ただ、補助脳が補正表示をしてくれるおかげで、操縦桿や推進力調節レバー、足下のフットペダル、体を固定するベルトなど見ることができている。


(姿勢指示器……ちゃんとヘルメットに映るのかな?)


 マキシスの話では、デシルーダの新型艇用に最適化されたマノントリだったらしく、ミルゼッタが操船していた船の計器類と同等以上の情報が表示されるそうだが……。


(三胴船を解体せずに済んで良かった)


 資源化を免れた三胴船が、レンの試験飛行に合わせて発進して、上空で待機してくれることになっていた。


(そういえば、あの船の名前はどうなったんだろう?)


 夜遅くまで、ミルゼッタ達と一緒になって船の名前で盛り上がっていたが……。


『う~ん、なんか……かなり特殊なマノントリみたいね。マキシスが調整に手間取ってるわ』


 キララの声が聞こえてきた。


「特殊って、どんな感じなんですか?」


 閉鎖型のコクピットに閉じ込められたまま、もう30分以上過ぎている。


『……マノントリにされた素体が幼いんだって』


「幼い……子供だったんですか」


『能力を優先して調整してあるから、かなり自我が残っているらしいわ。元の白い船を解体した私達のことを恨んでいるんだって』


(……勘弁して)


 レンは胸中で呻いた。

 それでなくても、"マノントリ"という悲劇の産物に忌避感があるのに、元が幼い子供だっただの、自我が残っていてレン達を恨んでいるだのと聞かされると気分が萎える。

 マキシスやミルゼッタが、廃棄するより新しい船に載せて活用した方が良いと、強く勧めたそうだが……。


(地球の電子機器が持ち込めたらなぁ)


『あっ、なんとかなりそうよ』


 キララの声と共に、暗く閉ざされていた視界がいきなり明るくなった。



 ブゥゥゥゥゥ……



 低周波の羽音のようなものが微かに聞こえ始めた。


(これは……)


 レンは身をよじって周囲を見回して息を吐いた。

 前方左右はもちろん、後方や足下まで鮮明に見ることができた。


『レン君、どう? 周りは見えてる?』


「……はい。クリアです。よく見えます」


 レンは、右の操縦桿スティックと左の推力制御スロットルレバーに手を添えた。

 途端、バイザーに次々に情報が表示され始めた。

 魔素子から魔力への変換率、現在貯蓄されている魔力量、動力炉の作動状況、動力炉の継続稼働時間、魔導式30ミリ機銃の発射可能弾数……。


(補助脳が見せている表示と似ている)


『当機のマノントリに干渉し、教育を行いました』


 バイザーの情報の上に、補助脳のメッセージが浮かんだ。


(えっ!?)


『引き続き、情報の補完を行います』


(あ、ああ……よろしく)


 いったい何をやったのか、各部の情報が次々に表示され、起動のためのプロセスが遅滞なく進行する。

 ごちゃごちゃとした文字の羅列が終わると、バイザーから煩い表示が消え去り、メモリの付いた姿勢制御線だけが残った。


(酸素は大丈夫なのか?)


『マノントリが呼吸するため、酸素調節器は大型の物が付いています』


 レンの不安に、補助脳が答える。


『レン君、飛行機の下にロボットアームが付いているから、チャンスがあったら試してね』


 スピーカーから、キララの声が聞こえた。


(アームか……この腕は、どうやって動かすんだろう?)


 補助脳が表示した機体全体図の左右に、四本爪のロボットアームが1本ずつ付いていた。

 今は船尾に向けてデルタ翼の下に格納しているが、ロボットアーム使用時は船首下部を支点に、前方5メートルまで伸ばせるそうだ。昆虫の脚のように節のある細長いアームだった。外観からして、素材や仕組みについては、詳しく聞かない方が良さそうだ。


『魔導式の機銃は魔力の消耗が激しくて、フル充填から700発で空になるわ。給弾に10分くらいかかるみたいだから気をつけて』


 "機銃雀蜂"と交戦した時の感じだと、1分間連射すれば700発を撃ち切りそうだ。


「分かりました」


『私達は、アイミル号で待機しているわ。万一の時はすぐに救助に向かうからね』


「結局、その名前にしたんですね」


 娘のアイミッタと母親のミルゼッタの名前からとった船名だ。


『あはは……ミルゼッタは嫌がっていたけど、マイちゃんが押し切ったのよ』


 キララが愉快そうに笑っている。


「あ……」


 QGPSのステータスが"成功"に変わった。


『うん、調整が終わったみたい。ジャイロと外部カメラが同調したわ』


『どう? 視界に違和感は無い?』


 キララに訊ねられて、レンは改めて周囲を見回した。


 まったく問題ない。

 前方後方、上下左右……顔を向けた方向が視野いっぱいまで見渡せる。

 防護板で仕切られた格納庫や天井の移動式クレーン、床の大型台車、壁面上部に突き出した照明の灯った管制室……船渠ドックの様子も細部まで見ることができた。


「良さそうです。実機のキャノピーより視界が広いです」


 練習用のレシプロ機やグライダーに比べれば、圧倒的に視界が確保されている。


「これ、広域レーダーは無いんですか?」


 補助脳のおかげで、1キロ以内は全方位を探知できるのだが……。


『ごめん、実験中なんだけど安定しなくて……ただ、マノントリは、第九号島の位置を絶対に見失わないそうよ』


「方向が分からなくなっても戻れるということですか?」


『そういうこと。帰投を命じると、勝手に操船して第九号島の近くまで戻って来るらしいわ。多分、自動操縦みたいな感じね。帰る時に試してみてよ』


「……分かりました」


 よく分からないものに身を任せるというのは不安しかないが、実験機として色々と試す必要はあるだろう。


『魚が空中に飛び出してきたら、ロボアームで捕まえてもいいからね?』


「あれ、かなり重たいですよ?」


『大丈夫よ。アームが折れても爪さえ掛かれば……繊維は切れないから、ぶら下げて持って帰ってみて』


「……機会があれば試してみます」


『魔導の通信がどこまで届くか試したいから、頻繁に呼びかけをするわね』


「了解です」


 レンは、一度目を閉じて大きく息を吸った。


『望遠鏡確認で、周囲に飛影なし……ケイン、格納庫の防護扉を開けちゃって!』


 キララの声を聞きながら、レンは吸った息を吐き出した。


『探知範囲に異常なし』


 補助脳のメッセージが浮かんですぐ、前方を封鎖していた分厚い扉が左右に開いていった。



<1号炉>……動作正常

<2号炉>……動作正常

<3号炉>……動作正常

<姿勢制御器>……動作正常

<酸素循環器>……動作正常

<火器管制器>……動作正常

   ・

   ・

   ・


 マノントリによる確認が最終工程に入った。



『いつでも良いわよ。格納庫を出たところで、垂直離陸で船渠ドック上に上昇してみて』


「了解です」


 レンは、操縦桿スティック推力制御スロットルレバーを握った。


(浮上……)


 操縦桿を握って、離陸を意識するだけで、ソリ型の降着装置が、床から浮き上がったのが分かる。

 じわりと推力制御レバーを引くと、機体を軽く振動が揺すった。前方に向かって、するすると進み始める。


操縦桿スティックも、推力制御スロットルレバーも補助具みたいだな)


 事前にマキシスとミルゼッタから説明を受けていたが、搭載されているマノントリが、操縦者の意思を感知して必要な操作を行ってくれるようだ。


(ロボットアーム……爪も……なんか感触があるな)


 操作したわけでもないのに、機体底部のロボットアームが作動し、爪の開閉を行った。その感覚が操縦桿からフィードバックされてくる。


(これが魔素……魔導?)


『機体が格納庫から出ました』


 補助脳が視界右上に俯瞰図を表示した。

 三角形の機体が床上に浮いて、ゆっくりと揺れている。


(……とにかく、まずは慣れよう)


 レンは、視線を巡らせて周囲を確かめた。


「実験機、レン……垂直発進を行います」


『行ってらっしゃい。気をつけてね』


 キララの声が返った。


(さあ、性能試験をやってみようか)


 機体のどこかに搭載されているマノントリに語りかけながら、レンは右手の操縦桿スティックを手前へ倒し、左手の推力制御スロットルレバーを強く引いた。ほぼ同時に、足下のフットペダルを思い切り踏み込む。


『わっ……ちょっ!?』


 キララの慌てた声が聞こえる。

 直後、垂直に機首を起こした実験機が、直上めがけて凄まじい速度で上昇して行った。






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海水汲み上げ作戦は、頓挫した!


資源奪取用に、強襲戦闘機を試作した!

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