第50話 空の箱

(月……か)


 着陸した船を見下ろせる岩山で、レンはHK417を抱えて座っていた。

 遺棄された浮遊島らしく、かなり古びていたが大型の船渠ドックが7つもあり、ブロック状に解体された船も残っていた。マキシスのおかげで動力炉の再稼働に成功し、船渠以外の地下施設も利用できる状態になった。

 荒涼とした岩塊からは想像がつかない近代的な地下施設である。日本の都心部にある駅地下のショッピングモールのような広々とした地下街は、居住区や商業区、工業区などに区分けされていて、ミルゼッタの話では5000人程度の居住者が暮らしていたのではないかと言っていた。

 残されていた記録によると、浮遊島に人が住まなくなってから52年が過ぎている。


 地下施設の調査は後回しにし、先ずは船の応急修理を行うことにして、ミルゼッタとマキシスが船渠備え付けの工作用の魔導器を動かしていた。

 浮遊島に到着してから10日間、当面の寝泊まりは船渠の事務所で行っている。その間、レンとユキは交替しながら浮遊島の地表を探索していた。


 浮遊島はアーモンドの種子のような形状で、歩いて回れる上部の面積は5平方キロメートルほど。表面に見えている施設は船渠だけだった。


(島の下側は見えないけど……)


 レンは船渠の方を見た。

 魔導の照明が、右に左に忙しなく動いている。魔導具を使用しなければならないものはマキシスとミルゼッタが担当し、それ以外はケイン達が分担して作業しているらしい。ほぼ24時間体制で、誰かしらが船の修理を続けていた。


(みんな、凄いな)


 レンは冷たい岩に背を預け、夜空に浮かぶ大きな月を見ながら細く息を吐いた。

 吐いた息が白く煙って見えるほど、浮遊島の夜気が冷え切っている。


(この島も、偽神が創造したのかな?)


 高度約8千メートルだというのに、少し寒く感じるだけで呼吸が苦しくない。

 補助脳によれば、浮遊島全体をエネルギーの膜が覆っているらしい。

 休眠していた島の動力炉を起動すると、人が生活できる環境が生成される仕組みになっているのだという。


(こんな島があって、空を自在に飛ぶ技術があるのに……)


 それでも、地上で暮らすことはできないらしい。

 宗教的な忌避感かと思っていたが、どうやら現実の問題として、地上に降りることができないようだった。

 ファゼルダやデシルーダといった大国ですら、地上や海上を支配地にすることができず、水や土などを採取するために揚陸艇を差し向けて、掠め取るようにして大地の恵みを得ているそうだ。無論、幾度となく地上入植の試みは行われたらしいのだが……。


(確かに、モンスターは強かったけど……そこまでか?)


 巨大な要塞船を地上の何処かに置いて城代わりにすれば良い。丈夫な壁、エネルギーの障壁で囲っておけば、モンスターの襲来にも耐えられるはずだ。

 スズメバチに空を、ゴブリンに城壁を守らせておき、大型のモンスターを魔導砲で仕留めれば……。


(まあ……そのくらい、とっくにやってるか)


 レンが思い付くようなことは全て試した上で、地上で暮らすよりも、空の浮遊島で暮らした方が安全だという結論に達したのだろう。


(……要塞船でも防げないモンスターがいるのか)


 例えば、帝王種だという真っ赤な巨鳥はどうだろう?

 要塞砲では、あの巨鳥の羽根に弾かれるかもしれない。あいつの嘴なら船の外装甲くらい食い破りそうだ。


(あいつ……幼鳥だったな)


 レンは、紫色を帯びた夜空を見上げた。

 陸地で遭遇したモンスターは、どれも地球のものより大きくて強かった。

 海洋で見かけた魚も巨大だった。

 それなのに、マキシスやミルゼッタのような人間は地球人とサイズが変わらない。


(おかしいよな?)


『高濃度ナノマテリアルを保有する種と、ほぼ保有していない種が存在します』


(どっちも、倒せば討伐表示が出るけど……あの銀色の文字って魔法だよな?)


『魔素子の凝縮によるものです』


(……討伐表示は、渡界した人間、一人一人の目の前に表示される)


 レンは足下に視線を落とした。


(個別に、全員の状態を監視して、リアルタイムに討伐結果を集計? 貢献度も査定しつつ?)


 そんな面倒なことを、偽神や使徒が手作業で行っているとは思えない。

 位置の監視は簡単だ。そのためのボードだろう。ボードは、渡界時に強制的に与えられる。非常に便利なものだが……。


(全員の行動を監視して、戦闘があればその結果を評価して表示?)


 レンは首を捻った。

 レンが偽神だったらどうするだろう? そんな面倒な作業を一々自分でやるだろうか?


(ああ……そうか)


 レンはボードメニューを表示した。手からEBCを浮かび上がらせる。


(こうやって表示できないだけで、似たようなものが体に入っているのかも)


 渡界者個々人の行動を判別し、評価するためのプログラムのようなものが……。

 ボードに追加された【デスカメラ】や【エンカウンターカメラ】なども、そうしたプログラムで管理されているに違いない。


(【マップ】は位置情報の発信か。【アイテムボックス】は何だろう?)


 この世界で神を称している存在が、レン達の情報を集めて何をするというのか?

 すでに十分な力を持っているように思うのだが?

 核兵器でも破壊不能な"鏡"をいくつも生み出し、異なる世界を繋ぎ合わせて行き来できるようにして……。


(……遊び?)


 より良い娯楽を生み出すための仕掛けなのかもしれない。


(偽神のゲーム作りに付き合わされている?)


 根拠は何もないが、レンの中では一番しっくりくる仮説だった。


(そんなの分かっても、どうしようもないけど)


 どこかに、この世界を創造した存在が居る。

 恐らく、銃や爆弾ではどうにもできない存在だ。真っ向から力で解決するのは絶望的な相手だ。

 地球では、"鏡"一枚傷つけられないのだから……。


(そんなことは、みんな分かってる。分かった上で渡界を繰り返している)


 大氾濫スタンピードを防ぐだけなら、最少人数に絞るべきだ。大人数を送り込んでも、今回のレン達のように大海原に放り出されれば無駄に命を散らすことになる。


 日本政府は、何かレン達の知らない情報を掴んでいるのだろうか?

 訓練された優秀な人員を異界へ送り込む動機は何だろう?


(今回の調査隊は人数が多かった。戦技校上がりだけじゃなくて、本物の自衛隊員も大勢来ていた)


 戦闘要員に加えて、研究者ふうの人間も大勢混じっていたようだ。

 何か、危険を冒してでも人員を投入するべきだと判断する材料が見つかったのでは?


(本当なら、ケインさん達も政府のチームに選ばれていたんだよな)


 レンは船渠へ目を向けた。

 人の声がしたようだったが、あまり切迫した感じではない。


『集音情報を補正して再生します』


 補助脳のメッセージと共に、記録されたケインとマイマイのやり取りが再生された。マイマイが組み上げた魔導器が正常に作動したと言って騒いでいる。今から祝杯をあげるらしい。


("マーニャ"はどこにいるんだ?)


 どこで何をすれば良いのか。何をすることが正解なのか、どこへ向かえば良いのか、まったく分からない。

 2度目の渡界も、ここまで何の成果も得られていない。

 ただ海原に放り出され、ファゼルダのスズメバチ、デシルーダのゴブリンと交戦し、巨大な魚から逃げ回っただけだった。


(偽神に、使徒ちゃん、マーニャ、それから……巨大な生き物)


 この世界がゲームを模したものだとするなら、それぞれの立ち位置は何だろう?


 異世界人であるレン達をプレイヤーとするなら……。

 偽神は制作者であり運営者。

 使徒ちゃんは、運営側のスタッフ。

 マキシスとミルゼッタ、アイミッタは異世界人と接触した現地の住人。

 襲ってくる巨大な生物は、行動を抑制するための存在。


(ファゼルダやデシルーダの戦争も予定調和の内……設計通り?)


 ゾーンダルクのあらゆることが、偽神の創造物だと仮定するなら、ミルゼッタ達がファゼルダから逃れてレン達と遭遇したことも、予め決められていたのかもしれない。


(考えたらきりがないけど……)


 "マーニャ"は何だろう?

 制作側なのか? 運営側なのか?

 "使徒ちゃん"のような偽神による創造物なのか?


 レン達のようなプレイヤー側ではないことは確かだ。明確な根拠は無いが、ミルゼッタのような住人とも違う。


(原始生物だと言ってた)


 崩落現場での"マーニャ"とのやり取りを思い返してみる。


 固有名称は"マーニャ"だと言った。

 自身のことを、"異なる文明が生み出した極めて優れた知能体"だと言った。


(星の位置がズレる前に手術を終わらせる……って言ってたよな?)


『記録に存在しません』


 視界中央に、補助脳のメッセージが表示された。


(あの時、白衣姿で……あの時の映像は?)


『記録に存在しません』


(……マテリアルの改良をして待ってるって言ってたから、敵じゃないと思うんだけど)


 "マーニャ"を生み出した"異なる文明"というのは、ゾーンダルクの偽神が創造した文明だろうか?

 崩落現場に、粘体の体を借りて来ていたようなことを言っていた。観測用の素体を試験運用していたと……。


(試験運用? 観測用?)


 誰が何のために? 地球側を調査していたというのか。

 レンは大きく息を吐いてから、星々が賑やかな夜空を振り仰いだ。


(……ん?)


 見上げたそこに、何かが浮かんでいた。


(えっ!?)


 レンは、慌ててHK417を構えた。



 - 398,044m



 補助脳が測距する。


(そんなに離れてるのに……これか)


 レンは半ば呆然となりながら星空に紛れて浮かぶ物体を見つめた。


 半透明の立方体が浮かんでいた。測距の距離が正確なら、とてつもなく巨大な正六面体だ。

 巨大過ぎて距離感がおかしくなるが……。


(そんなの、もう宇宙じゃないか?)


『視覚に頼った測距値です。誤差は存在します』


(いや、それにしたって……)


 目を凝らすレンだったが、夜空の色を透過するような色合いをしていて立方体の細部が見て取れない。補助脳が最大限の補正表示を行っているにも関わらず、大きな立方体であることしか判別できなかった。


(あんなのが……あそこに偽神が?)


『不明です』


(宇宙に浮かんでいるものが見えるのか?)


『月は地上からでも観測可能です』


(……そうか)


『気象条件が整えば、衛星も目視で観測できます』


(そうなのか)


 レンは頭上を見上げたまま小さな溜息を吐いた。









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"マーニャ"の手がかりは依然として掴めない!


衛星高度に、謎の正六面体が浮かんでいた!

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