第23話 生還


「自分は、アサイだ。タガミは調査隊と一緒にゾーンダルクへ渡った。代わりに、自分がステーション駐在となる」


 中背ながら、肩幅のある逞しい体付きの四十過ぎの男だった。日焼けした温和そうな顔の左頬にいくつか火傷の痕がある。


「第九期の探索士は、みんな帰還済みですか?」


 レンは、鏡面を見上げながら訊いた。


 現在、[ 151 ] 名が渡界中だった。

 50名の部隊が3つ。それに、タガミを加えた人数らしい。


「ヤクシャ、バロット、クロイヌ、フレイヤ、キララ、ケイン、マイマイ、ユキ……うん、君で最後だな」


 リストを手に確認していたアサイが、不意に緊張した面持ちで"鏡"を振り返った。

 レンも"鏡"を見上げている。


「……モンスターに遭遇しましたね」


 "鏡"の数字が、[ 138 ] に減っていた。


「不意を突かれたか」


 アサイが呟いた。

 そのまま、2人とも無言になって鏡面の数字を見つめていた。しばらく待ったが、それ以上数字は減らなかった。


「どうやら、凌いだな」


「そうみたいですね」


 レンは、ほっと息を吐いた。

 何と遭遇して戦闘になったのか。いきなり13人も命を落としてしまったが……。


「それじゃ、日本へ帰ります」


 レンは、アサイに向かって頭を下げた。


「ああ……本当によくやってくれた。ありがとう」


 アサイに声を掛けられながら、レンは鏡面の中へ歩いて入った。

 ぬるっと肌を撫でる感触があり、視界がいきなり変化して、レンは眩しい光に包まれた。

 すぐに靴底が地面を踏み、渡界が完了したことが分かる。

 情報通りなら、富士山の山頂に帰還したはずだ。


(これは……ライト?)


 一瞬、違う場所に出たのかと緊張したレンだったが、すぐに体の力を抜いて眼を閉じた。"鏡"に向けて照射された投光器の光の中に立っているらしい。

 レンは、迷彩柄の戦闘服に防弾チョッキ、頭には鉄帽を被っている。いずれも、自衛隊から支給された品だ。64式小銃を担いでいるし、モンスターに間違われることはないと思うのだが……。


「何者だ? 地球人か?」


 どこかにあるスピーカーから緊張した若い男の声が響いた。

 防塁と防柵を組み合わせた陣地に、迷彩柄の鉄帽がちらちらと見えている。少し離れて、重機関銃の銃座が設置されて、二連装の機関銃がレンがいる鏡の方へ向けられていた。


「NK09ー008……レン。傷病特派から帰還しました」


 レンは、眼を閉じたまま答えた。


「傷病特派だと? 他の帰還者はとっくに戻ったのに、どうしてお前だけこんなに遅れたんだ?」


 若い男が訊いてくる。

 直後、


「阿保か、貴様は!」


 怒鳴り声と共に、ゴッと鈍い音が聞こえ、マイクが悲鳴と苦鳴を拾って響かせた。


「申し訳ない! うちの馬鹿が不快な思いをさせました! すぐに休憩所へ案内します!」


 野太い声がして、大柄な男が近づいてきた。


「……動いても?」


 レンは、薄目を開けて周りを囲む防塁を見回した。銃座に据えられた重機関銃の銃口がレンに向けられている。


(まあ、実際は"鏡"を狙っているんだろうけど)


「もちろんです。あれは時々出て来るモンスターへの備えですから。気にせんで下さい」


 近づいて来た男は、太い眉と大きな眼をした大男だった。首が太く、迷彩服が破れそうなくらい肩や胸板の筋肉が隆起している。


「東堂です。渡界、お疲れ様でした!」


 大男が、背を正して敬礼をした。


「レンです。ステーションで治療をしていて遅くなりました」


 レンは彫りの深い男の顔を見つめてから頭を下げた。


「あの馬鹿たれが言ったことは忘れてださい。さあ、こっちに……休憩所になっていて、温かいうどんか、蕎麦を食べられます。向こうじゃ食えんかったでしょう?」


 グローブのように大きな手でレンの背を押し、投光器の向こうに見えている天幕へ案内してくれた。


「缶詰ばかりだったので嬉しいです」


「糧食の数は足りましたか?」


「ぎりぎりでした。もっと日数がかかっていたら厳しかったと思います。水は確保できたんですが……」


 勧められるまま大きなテントの垂れ幕を潜ると、簡易テーブルと椅子が並び、テーブルの端に丼鉢とコップが積まれていた。


「おいっ、一杯頼む! レンさん、うどんと蕎麦、どっちにしますか?」


「うどんを下さい」


「うどんだ!」


「隊長、そんなに大きな声を出さなくても聞こえますよ。ちょうど出汁を採ったところです」


 湯気の上がる寸胴鍋の前で、捻り鉢巻をした若い自衛官が苦笑している。テントの中には、鰹節の匂いが充満していた。

 レンが席に着くなり、東堂が熱い緑茶と水をそれぞれコップに入れて置いた。


「どうも、ありがとうございます」


「もうちょっと気が利いたものを出したいのですが……」


「いいえ、僕にとってはご馳走です」


 レンは、東堂が出してくれたお茶に手を伸ばした。


「はい、かけうどん、お待ち! 薬味だけなのは、ご愛嬌!」


 威勢のいい声と共に、湯掻いたうどんに出し汁を回しかけて、生姜と天かすを盛ったどんぶり鉢が出された。


「ありがとうございます」


「では、レンさん、もうすぐ下山をサポートする隊員が来ますから、ここで休憩していて下さい。自分は"鏡"の監視任務に戻ります」


 東堂が、レンに敬礼をして出て行った。


「声がデカすぎること以外は、悪い人じゃないよ。ちょっと乱暴だけどね」


 うどんを出してくれた若い自衛官が笑いながら、頭の捻り鉢巻を外した。すらりと背が高く、顔も細面で端正だった。年は二十歳前後だろう。デザイナー服を着て、ファッション雑誌の表紙を飾っていそうな青年だった。クルーカットというのだろうか、短く刈った頭に迷彩柄の丸天帽を被る。


「ありがとうございます」


 レンは、うどんの上に生姜の山を作って天かすを全体に拡げた。


「向こうは、厳しかった?」


 若い自衛官が、レンの向かいに腰を下ろしながら訊いてきた。


「ずっと気が休まらないから、長期滞在は大変だと思います。慣れている人なら、そうでもないんでしょうか?」


「やっぱり、ゴブリン・ガンナーなんかが襲って来る感じ?」


「いえ、山のように大きいトカゲとか、それを食べる鳥とか……あぁ、ミサイルを撃ってくる大きな蜘蛛がいました。銃器を生やしたモンスターは、あの蜘蛛だけでしたね」


 うどんを腹に収め、熱いお茶を飲むと、レンは大きく息を吐いた。

 大氾濫で地球側に出現するモンスターは、例外なく、銃器を生やしている。空を飛んで爆弾を降らせたり、機関銃を乱射したり……。

 しかし、向こうで遭遇したモンスターは、ミサイル蜘蛛以外、銃器は生やしていなかった。


「何かルールがあるのかな?」


 自衛官が首を傾げた。


「どうなんでしょう」


 レンは、水が入ったコップに手を伸ばした。


(こっちでアイテムボックスが使えるなら、食べ物も買い込まないと……あっ、お金は、どうなってるんだろう?)


 生きて帰還した探索士には、国からお金が支払われるようなことをケインが言っていたが、どこでどんな手続きをすればいいのだろうか。


(……すぐに貰えないようだと厳しいな)


 沢山お金が貰えて、払う税金が減るというのは分かっているのだが、いつ支給されるのだろうか?


 控え目に言って、レンの暮らしぶりは良くない。祖母が亡くなってから、わずかな預貯金を使って食い繋いでいたが、怪我の治療費を支払ったらほとんど無くなった。

 入院費用と義眼の代金は、田代の叔母が立て替えてくれていたが……。


(国から貰えるお金で、叔母さんに返済できると良いんだけど)


 手持ちのお金は数百円。祖母がレンの名義で開いてくれた信用金庫の口座にも、8万円ほどしか残っていない。


(今月の家賃と水道代は払ったけど、ガスと電気代が……)


 レンが暮らしているのは、西新宿の細い街路が入り組んだレトロな住宅地にある古びた木造アパートだった。今にも倒壊しそうな建物で、賃料は月額1万5000円、光熱水道費を実費で負担するだけでいいという格安物件だった。


 アルバイトをしなくても、三ヶ月は耐えられる。四ヶ月目からは、じわりと危機感が増し、五ヶ月目には真っ暗な部屋で空腹を抱えて眠ることになる。


(お金が入ったら、叔母さんのところへ挨拶に行って幾らか返済して……また、ゾーンダルクへ戻らないと)


 36ヶ月の内、1ヶ月が過ぎようとしている。


(こんなので、間に合うのかな?)


 同じように渡界を繰り返すだけで"マーニャ"を探し出せるのだろうか?

 渡界前は、向こうへ行きさえすればなんとかなるだろうと、漠然と考えていたが……。


「レンさん?」


「……えっ? あ、はい?」


 名前を呼ばれて、レンは顔を向けた。

 うどんを作ってくれた若い自衛官と並んで、すらりとした女性自衛官が立っていた。カミソリのように細く尖った双眸をした女性だった。


「大丈夫ですか?」


「はい? あっ、美味しかったです。ご馳走さまでした」


 レンは、空になった丼鉢を手に立ち上がった。


「そのままでいいよ。後で片付けるから」


「ありがとうございます」


「異界探索士コード、NK09ー008、レンさんで間違いないでしょうか?」


 女性自衛官が訊いてきた。


「はい」


「伊藤です。これより、五合目まで下山をサポートします。準備は宜しいでしょうか?」


「はい、大丈夫です」


 レンは即答した。


「下山後の予定については、五合目に待機している探索士協会の職員が説明します。下山そのものは問題ないのですが、下山途中や駐車場でマスコミ等の接触があるかもしれません。これを着用の上、何を聞かれても返答しないようにしてください」


 そう言って差し出されたのは、ニットの目深帽だった。

 レンは何も言わずに頭から被った。


「見た目はともかく、暖かくていいですよ」


 伊藤という女性自衛官が、にこりと目元を和ませた。


「うっわ、伊藤さんが女子っぽい!?」


「風間、うるさい!」


「いつも通りです。安心しました」


「風間一等陸士?」


 伊藤の声が低く尖る。


「はっ! 申し訳ありません! 以後、口を慎みます!」


 若い自衛官が敬礼をした。


「……では、レンさん。行きましょう」


「はい」


 レンは、伊藤を追ってテントを出た。


「行きは、特務ヘリで山頂着陸を強行したと聞いています」


「はい」


 九期の傷病特派員が自分で歩行できない状態だったから、特殊なヘリコプターでの搬送が行われたのだ。


「山頂は空気が薄く、少し天候が荒れるだけで危険が増します。緊急事態でなければ、徒歩が安全だと思います」


「どのくらい時間がかかりますか?」


「五合目からなら、山頂まで6〜7時間、下山は3〜4時間ですね」


「登りは時間に余裕がないと厳しいですね」


「まあ、そうなりますね。ですが、安全面を考慮するなら歩いた方が……あっ!」


 何か言いかけた伊藤が小さく声を漏らした。


「どうしました?」


「ごめんなさい。レンさんは傷病特派でしたね。失念していました」


 伊藤がレンに向かって頭を下げた。


「いえ、僕は歩けましたから」


「……下りは膝を痛めやすいので、気をつけて下りましょう」


「はい」


 くるりときびすを返し、伊藤が山道を歩き始めた。レンも、その背を追った。


『探知範囲内に、ナノマテリアル反応があります』


「えっ!?」


 いきなり浮かんだ補助脳のメッセージに、レンは思わず声を漏らした。


「どうしました?」


 先を行く伊藤が振り返った。


 その時、



 ビィー……ビィー……ビィー……ビィー……



 山頂で警報音が鳴り始めた。







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レンは、日本に生還した!


富士山頂で異変が起きた!


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