第22話 治療
(……ここか)
レンは、治療クリニックと表示された建物の前に立っていた。
つい先ほどまで、到着した先発の自衛隊員達が渡界の打合せをしている様子を眺めていた。後続の別部隊と併せて150名の特派部隊らしい。
先ほど、タガミを交えて引き継ぎの挨拶を終え、レン達は個々の自由意志で帰国できるようになった。
「レンさん……だったよね?」
声を掛けられて振り返ると、髪を背で束ねた同い年くらいの少女が立っていた。
「フレイヤさん?」
両膝に大きなポケットの付いたカーゴパンツに、大きめのパーカーを羽織ったラフな格好だったから、一瞬誰だか分からなかった。
「怪我の治療?」
「眼を治してもらおうと思って」
レンは、自分眼を指差して見せた。
「それ、最初の時に治さなかったの?」
「借金が嫌だったから」
レンは小さく笑った。
「ああ、確かに。マイナススタートはきついよね」
フレイヤが頷いた。
「私はその借金の支払いに来たの。完済しないと"鏡"に弾かれて日本に帰れないみたい」
「そうなんだ。どうやってチェックしてるのかな?」
「分かんないけど……レンさん達のおかげで生きて日本に帰れる。本当にありがとう。助かったわ」
フレイヤがお辞儀をした。
「いや……ナメクジが塩にびびってくれて助かったよ。あいつ、銃だけじゃ難しかった」
「……怖かった。あんな化け物がいるなんて……イチかバチかの治療渡界だったし、こっちに来るまでは死んでもいいやって思ってたけど。偶然ポータルポイントが見つかって、日本に帰れるかもって……あの時、急に命が惜しくなっちゃって」
生きて帰れるかもしれないと思った途端、体が竦んで思うように動けなくなったらしい。
「見かけたモンスターの情報もタガミさんに?」
「うん。タガミさんが纏めて自衛隊に渡すみたい。あと、異探協にも同じ物を提出した方が良いって言われた。政府から異探協に情報が届くまで時間がかかるんだって」
「そうなんだ。ああいうの先に知っていたら、もっと楽だったと思うな」
レンは頷いた。
「それより聞いた? 今回は50人ずつ、3つの部隊が来るって」
「さっき見たよ」
精強そうな特派部隊達に、戦技教練卒の人間がちらほら混ざっていたようだ。
「私達は、バラバラに18人だけだったのに……なんか、腹立つ!」
「あっちに支給された装備がどんなのか気になるな」
64式小銃より威力があって、軽くて壊れない小銃が理想だ。そういう銃があるのかどうかは知らないが……。
「絶対、最新式ばっかだよ。私達のって、廃棄寸前の中古品だったって話じゃん」
「でも、弾の威力は高かったらしいよ。重いけどね」
「ふうん……レンさんって、学校は戦技専?」
「演習で眼が見えなくなって退学処分」
「うわぁ」
フレイヤが顔をしかめた。
「まあ、今から治るんだけど……たぶん」
「そうなったら、復学? また戦技教練やるの?」
「もう行きたくないな」
仮に復学できるようになっても、レンには学校に通っている時間がない。できるだけ早く準備をして、またゾーンダルクに渡らないといけない。
「日本に、帰還者の会というのがあるらしいよ」
フレイヤが言った。
「なにそれ?」
「ゾーンダルクから生きて戻った人達の集まり。特派が全滅した時に、緊急招集されるんだって」
「面倒臭そう」
レンは眉をひそめた。
「あはは……だよねぇ」
「そういうのって、異探協から勧誘があるのかな?」
渡界の時は、時間が無くて帰国後についての説明を受けていない。渡された資料も、ゾーンダルクについてのことばかり書かれていた。
「何だかんだ言って、がっちり連絡先とか抑えられそうじゃない? 絶対、自由にはさせてくれないよ」
「う~ん……まあ、日本に帰ってみないと分からないか」
「おっ! フレイヤ……と、レン君?」
クリニックの前で立ち話をしていると、少し年上に見える二人の少年が近付いて来た。どちらも、レンより背丈があって肉付きがいい。
(ヤクシャさんと、バロットさん……だったよな?)
レンは、二人の顔を見て小さく会釈した。
「いやぁ、参ったよ。ウィルが結構ぎりぎりでさ。他人からは借りられないし、マジで焦ったぜ」
ヤクシャが笑いながら言った。
「何の怪我でも一律、5000ポイントだからなぁ。ウィルにしたら、50万だぜ……高過ぎだろ」
バロットもぼやいている。
「50万」
レンは、クリニックを見た。
義眼のままでも、不便は感じていないのだが治療をするべきだろうか。
「レン君は眼か。まあ、治せるもんは治しといた方が良いと思うぜ?」
「高いけど、ウィルなんて、ステーションでしか使えねぇんだから」
「でも、50万ポイントかぁ」
レンは顔をしかめた。
「ははは……それじゃあ、俺達はお高い治療費の支払いだ」
ヤクシャが笑いながら、レンの肩を軽く叩いてクリニックに入って行った。
「じゃね、レンさん。私も行くわ」
フレイヤが小さく手を振って、クリニックの扉を開ける。後を追って、バロットも入って行った。
(う~ん、分かっていたけど……50万か)
レンは、難しい顔で考え込んだ。
なかなか勇気のいる額である。もちろん、眼には代え難いと分かってはいるのだが。
次回、渡界する時に、弾薬や手榴弾を買い込むつもりだったから、できるだけウィルを残しておきたい。
(でも、まあ……ステーションの治療がどんなのか興味があるし……やってみよう)
レンは、クリニックの扉を開けた。
ひんやりとした清涼な空気に包まれると同時に、ホテルのチェックインと同様、扉を開けると周囲の景色が一変して、いきなり診察室らしき場所になっていた。
清潔な部屋の中に、机と丸椅子、近くに白い寝台があり薬箱が置かれている。壁の一方は純白のカーテンで仕切られていた。
「あら、初めて見る顔ね?」
カーテンを開けて姿を見せたのは、はっきりとした目鼻立ちをした大柄な肢体の美女だった。豊かな胸乳が、白衣の胸元を大きく盛り上げている。胸のネームプレートには、"ナンシー"と印字されていた。
「あ……えっと、この眼を治せますか?」
レンは、女医の美的迫力に気圧されながら、自分の眼を指差した。
「ええ、できるわよ? 元の眼にする? それとも、ゾーンダルク産の生物の眼をつけましょうか?」
ナンシーが艶のある笑みを浮かべながら、机上で小さく指を鳴らした。
途端、大きなディスプレイのような枠が浮かび上がり、そこにレンの姿が映し出された。
「まず、あなたの本来の眼がこれね」
画面の中で、レンの両眼がやや茶色がかった黒瞳になった。
どうやら、施術後の様子を見せるための画面らしい。
「次は、ゴブリン・レンジャーの眼」
「ごぶ……?」
レンの瞳が青紫色になった。
「あと、面白そうなのは、泥沼人の子供の眼ね」
瞳が消えて、眼全体が黄土色に塗り潰された。
「気に入らない?」
「元の自分の眼がいいです」
「そう? なんか、つまんないわね。あっ! 片眼ずつ色違いとかどう?」
ナンシーが何かを思い出した顔で画面に指を走らせた。
「嫌なの?」
「嫌です」
レンはきっぱりと言った。
ここで曖昧な返答をすると大変なことになる。そう確信した。
「う~ん、じゃあ仕方ないか。君の元々の眼をそのまま再現しちゃうわよ?」
「お願いします」
「……はぁ、退屈な治療ね」
ナンシーが残念そうに溜息を吐いた。
「では、こちらに……座って少し顎を引いて顔を前に出して」
言われるまま、レンは壁際の寝台へ腰を下ろし顔を前に出した。
「それじゃあ、楽にしててね。すぐに終わらせるわ」
「よろしく、お願いします」
「驚かないでね?」
ナンシーが口元を綻ばせ、自分の額をなぞるように指で摩った。
すると、ナンシーの額が縦に裂けて、額の中央に金色の眼が現れた。
(うわっ……)
レンは、思わず身を退いた。
「さあ、あなたの眼を蘇らせましょう」
そう言って、ナンシーが手を伸ばしてレンの頬を掴んだ。白磁器のように冷たい手だった。
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レンは、クリニックで眼の治療を行った!
女医ナンシーは、三ツ目だった!
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