第2話 崩落事故

(う……?)


 矢上蓮ヤガミレンは、全身を襲う激しい痛みに顔を歪めた。


(なにが……起きた?)


 眼を開けているつもりだが、真っ暗で何も見えず、呼吸も難しい状態だった。どこか狭い場所に腹ばいになって倒れている。後頭部に石か何かが当たっていて、首を動かすことができなかった。


『あら? まだ自我が残っているのね』


 いきなり、知らない女の声が聞こえた。


(だっ……誰だ!?)


 蓮は慌てて声を出そうとしたが、どういう状態になっているのか、口を動かす事はできなかった。


『ウフフ……脳を強化できていない原始生物との間で、思念通話ができることが確認されたわ』


 耳元で若い女の声がする。


(……原始生物?)


『待ってね。君の知能でも理解できるように調整してあげるから』


(あ、あなたは……?)


『えっと……君が理解できる情報に直訳すると、"異なる文明が生み出した極めて優れた知能体"という表現になるみたいよ?』


(知能……体?)


『奇妙な情報の積層体を見付けたから覗きに来たんだけど……つまんない物だったから、暇潰しに散策してたの。あ~あ、こっちの世界は面白いって聞いてたのになぁ……全然、面白くなかった』


(な、なにを……言ってる)


 蓮は、這い上がってくる寒気に身を震わせた。


『あら? もう生命活動が停止しそうね。こっちの生き物は、生命力が低すぎてつまらないわ』


(死ぬ……のか……こんな……嫌だ)


『もしかして、まだ生きていたい? それなら生き延びる方法があるわよ?』


(……し、死にたく……ない)


『そうなの? それじゃ……やったことがないけど、私の手術を受けてみる?』


(しゅじゅ……う……うける)


 蓮は、寒気に震えながら呟いた。


『では、生体を改変する因子を注入しちゃいましょう。生存確率は、7%を下回るけれど……適合できたら、蘇生準備時間を入れて約6時間くらいね。そんなに待っていられないから、何をやったのか分かるように手紙を残しておくから後で読んで』


 薄れる意識の中で、そんな声を聞いたようだった。



***



(そして、倒壊した演習棟の残骸の中から救い出された)


 蓮は、戦技校の生徒による迫撃砲の誤射で、近接戦闘用の演習棟ごと吹き飛ばされて生き埋めになったのだ。

 救出され、病院に搬送されてから三ヶ月。

 意識が戻らないまま眠り続けていた蓮が覚醒したのは、つい十日前のことだった。


(発見された時には、両目を失っていたらしいけど……)


 眼球だけが圧壊していたが顔に傷はほとんどなく、大量に出血した跡はあるものの衰弱しておらず、集中治療室に運ばれた時からバイタルサインが安定していたらしい。

 事故現場の唯一の生存者ということで、かなり念入りに調べられたが、両目を失い、記憶が部分的に喪失している他は問題がなく、意識が戻った翌日には立ち上がって軽い運動ができるまでに回復していた。


(記憶は、あまり戻らなかった)


 ただ、瓦礫の中で身動きできずに死にかけていた時の記憶だけははっきりと覚えている。


(あれは幻覚なんかじゃない。確かに、あの時にあそこに何かが居たんだ)


 だから、蓮は死ななかった。

 でも、どうやって?

 崩れて埋もれた瓦礫の中に、どうやって入って来た?

 あの声の主は、蓮の命をどうやって繋ぎ止めたのだろう?


(……分からないことだらけだ)


 蓮は小さく息を吐いた。


(分からないと言えば……この手紙だけど)


 蓮は目の前に浮かんで見えている封書を見た。

 白い封筒で、表面には『被験者様へ』とだけ書かれている。裏側を覗き込むと、真っ赤な蝋で封がしてあった。いったい、どこの国の様式なのだろう。

 蓮の目には、はっきりと見える封筒だが、見舞いに訪れた叔母や香奈には見えていなかった。病室を訪れた医師や看護師にも見えていないようだった。蓮に宛てた手紙なのは間違いない。


(いつまで放置していても仕方がないし……読んでみよう)


 蓮は、棚に置かれた目覚まし時計を見た。義眼の焦点が合うまで少し待つ。

 午後9時を回ったところだった。しばらく、病室に看護婦は回ってこない。


(開けてみよう)


 蓮は、浮かんで見えている手紙へ手を伸ばした。

 手にとって開こうと思ったのだが……。


(うっ?)


 いきなり手紙が光って、勝手に開き始めた。

 そこに見えないナイフがあるかのように、封が切られ、内から折り畳まれた紙が出てくる。



 ポーン!



 小さな電子音が聞こえ、見えている紙とは別に、情報端末の画面のようなものが目の前に現れた。


(タブレットの画面みたいだけど……これがあるんなら、手紙とか要らなかったんじゃ?)


 真っ白な画面の中央に、銀色をした蜂のような絵がある。


(アイコン?)


 蓮は、指を伸ばして押してみた。


「うっ……わっ!?」


 いきなり、蓮の視界が暗転し、白い英数字が目の前に現れて高速で流れていく。

 とても目で追えるような速さではない。


(……たぶん、あの声の人が何か仕込んだんだよな?)


 倒壊した瓦礫の下で聞こえてきた声の主による"何か"だろう。

 あの時、声は"生体改変"だと言っていたが……。


(この病院で精密検査を受けたのに、異常は見つからなかった)


 しかし、蓮の体に異変が起きているのは確かだった。


(ぁ……)


 目の前で、英数字の羅列が停止して明滅していた。



■ Type Silver Hornet ver.1.09 rev.2.02


■ Visual Aid Device,and Visual Aid Program


■ T.L.G.Nightmare -mirror


■ Augmented Reality sys


■ Augmented Brain sys


■ B.NEMS Control sens


■ Auto download 100%


■ Silent install 100%


■ Defferential file download 100%


  ・

  ・

  ・

  


(なんだ、これ?)


 出来が悪いプログラムの説明書きのような表示を見ながら、蓮が顔をしかめた時、



 ポーン!



 また、電子音が聞こえた。


 直後、


『ハァ~イ、マイチャイルド! 眼が覚めましたか?』


 元気な声と共に、ビジネススーツの上に白衣を羽織った二十歳前後の女が現れた。見るからに気性の明るそうな雰囲気で、胸元が豊かに盛り上がり、腰はぎゅっとくびれ、すらりと脚が長い。

 ただし、身長は20センチほどしかない。


「あ、あなたは……」


 蓮は思わず話しかけていた。それくらい自然な存在感だった。


『先日の知能体ですよ? 忘れましたか?』


 当たり前のように返事が返ってくる。


「知能体……あっ!? あの時の!」


『この姿は、君と同じ知的生物を模倣して構築したものです。私に固有の容姿は存在しません。君の視覚を拡張して表示しているだけですから、そこに実体はありませんよ? ちなみに、この会話は、君の脳内にある言語を利用して変換しているので、おかしな表現になっていたら、全部君の頭が悪いからです』


 何のつもりか、白衣の女がその場でくるりと回って見せた。白衣の裾がひらひらと舞う。


『私の固有名称は、マーニャです』


「まーにゃ?」


『先日の手術で、君の体の半分以上を特異なナノマテリアルに換装しました。これって、用語はちゃんと訳されていますか? 様々な役割を与えられた微少な疑似生命の集合体って言った方が伝わる? プログラムの表記も、君が理解できるような簡易表記に変換してあったはずだけど?』


「えっ?」


 いきなりの話で、理解がまったく追いつかなかった。


『まあいいわ。さて、君の国には、命の恩は命で返すというルールがありますね?』


 マーニャが片手を腰に当てて、得意げな顔で蓮を指さした。


「いえ、そんなルールはありません」


 蓮は即座に否定した。


『あら? そうでした?』


 軽く目を見開いて、マーニャが首を傾げる。


「もちろん、助けてもらったことは感謝していますけど……」


 だからといって、命を差し出せと言われるとさすがに腰が引ける。


『まあ、いいです。もう、先払いで生体実験をやっちゃいましたから』


「生体実験!?」


 蓮の顔が引き攣った。崩落で生き埋めになっていた時に行われた手術の事だろうと理解はしているのだが、実験と聞くと気分が良くない。


『瓦礫に圧し潰されて、君の体は半分以上が損壊していました。肉体を修復して生命を維持するためには最善の措置でしたよ?』


「この体がおかしいのは分かりますけど……」


 蓮は、無意識に心臓の辺りに手を当てていた。


『あの時、私が観測用に試験運用していた素体を、君の肉体を復元するために使用しました。稀少なマテリアルを惜しみなく消費したんですから、しっかりと感謝して下さい』


 マーニャが言った。


「よく分からないけど……どうやって、僕が埋もれていた場所まで入って来たんです?」


 あの時、蓮は文字通り生き埋めになっていたのだ。


『使用していた素体は粘体でしたから。わずかな隙間があれば、どこへでも入り込めたのです』


「粘体……スライムみたいな? 生き物なんですよね? そんなものがいるの? というか、どうやって手術をやったんです?」


 訳が分からない。蓮が理解できる領域を超えてしまっている。


『う~ん……君の基礎知識が、絶望的なくらいに不足しています。どんなに詳しく説明をしても理解は不可能でしょう。君に説明をするのは、悲しいくらいに時間の無駄遣いです』


「そうなんですか?」


『あの時、君は瓦礫の下で死にたくないと言いましたよ? 不思議な力で命を救われた……そう理解しておけば良いのではありませんか? どうせ、技術的な説明を行っても理解できないんですから。そうでしょう?』


 マーニャが首を傾けて、蓮の顔を覗き込む。


「僕は……どうなるんですか? このまま生きていけるんですか?」


 蓮は、マーニャを見つめ返した。


『生命維持を保証できる期間は、せいぜい3年くらいです。もしかしたら、もうちょっとあるかな? とても運が良かったら5年いけるかも?』


 マーニャが腕組みをした首を傾げた。


「……3年」


 蓮は、暗澹とした表情で俯いた。

 どうやら、あまり長く生きられないらしい。


『なので、3年以内に私の施設まで来て下さい。さくっと体細胞を入れ替えて延命してあげます』


「入れ替え……?」


『それまでに、マテリアルの改良と調整を行って準備しておきます。このマーニャの名にかけて、人間の平均寿命くらいは劣化しない体細胞を用意してみせましょう!』


 マーニャが力強く宣言した。


「……その、マーニャさんの施設はどこにあるんですか?」


 居場所が分からないのではどうしようもない。


『ゾーンダルクですよ?』


「ゾーンダルク……やっぱり、"鏡"の向こう側なんですね」


 そうだろうとは思っていたが……。


『ゾーンダルクは、地球産の生き物には少し厳しい環境ですが、慎重に行動すれば大丈夫です。寿命は短くても、体は問題なく動くはずですし……あっ、そうだ! 君の死亡率を下げるために、観測用に埋設してある補助脳を君用に最適化しておきましょう』


 マーニャが蓮の頭を指差さしながら言った。


「補助脳って……僕の体、どうなってるんです」


 蓮は頭を抱えたくなった。


『あっちとこっちの素材が混じっていますけど、君の自我が維持された生命体であることに変わりはありませんよ? 術後の経過は良好ですし、強制融合させたナノマテリアルの拒絶反応が落ち着いたから、補助脳の調整を行いましょう。あと、そちらの医療機関が準備した義眼をチューンアップする因子を組み込んでおきます』


「義眼を?」


『擬似神経を侵食させて、義眼の動作性能を向上させる医療用マリオネット・システムです……これ、ちゃんと訳されていますか?』


 マーニャが首を傾けて訊ねる。


「あの……そういうのができるんなら、ここで体の細胞を入れ替えたりできないんですか? わざわざゾーンダルクへ行かなくても……」


『遠隔で操作できるのは、元々備わっていたオプション機能の解放と微調整だけです。体全部となると、新しいマテリアルを準備しなければいけません。今は、細胞の入れ替えなんかできませんよ?』


「……そうですか」


 蓮は、溜息を吐いた。


『さて、ゆっくり説明をしている時間はありません。星の位置がズレる前に、さっさと終わらせましょう。界境をまたいだ遠隔手術は時間の制約があって、かなり危険なんです。気合い入れますよぉ~!』


 マーニャが、メスらしき刃物を握って笑顔を見せた。


「えっ……ぎぃっ!?」


 いきなり、蓮の頭で激痛が爆ぜ、視界が断絶した。



 ピィーーー……



 異常を報せる警報音が鳴り響き、ナースステーションに控えていた看護婦達が慌てて駆けつける騒ぎになった。




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レンは、マーニャに命を救われた!


レンは、補助脳を搭載した!


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