カオスネイバー(s)

ひるのあかり

第一章

第1話 退院


れん、もう起き上がれるの?」


 そう訊ねたのは、従姉妹だという少女だった。名前は、田代香奈かな。第二十六学区戦技教練高等部の三年生らしい。少し茶色がかった長い髪をした綺麗な顔立ちの女の子だった。

 矢上蓮は、事故に遭う前、香奈と同じ戦技教練校の高等部に通う学生だったそうだが、よくは覚えていない。

 記憶喪失だという事で、色々と蓮自身について説明をして貰ったのだが、自分についての記憶は曖昧なところが多かった。


「もう大丈夫」


 蓮は、軽く頷いて見せた。

 初対面にしか思えない女の子を相手に、どう対応したものか戸惑いながら、蓮は明るい陽光が差し込む窓へ眼を向けた。

 参加していた演習中に戦技教練施設で事故があり、倒壊した演習棟の中から救助されて治療を受けた。そう聞かされたのが2日前のことだった。

 自分の名前は、矢上蓮。16歳になったばかり。


(そのくらいは覚えてるけど……)


 部屋の壁に掛けられた小さな鏡に、ひどく冷めた目付きの少年が映っている。細作りの端正な顔立ちは、育児放棄して失踪した母の面影があるらしいが、もう母がどんな顔をしていたのか思い出せなかった。


(……困ったな)


 記憶が大きく抜け落ちていて色々と不自由だった。

 完全に記憶を失っているわけではなく、単語や人名など、集中して思考すれば記憶が薄らと蘇ってはくるのだが、その作業が非常に手間だった。

 おまけに、人や物の名前を思い出せたとしても、自分との関わりや自分がどんな感情を持っていたのかなどは、ほとんど覚えていなかった。

 お見舞いに来ている田代香奈についても、従姉妹だとは理解できているが、それは知識としての理解だけだ。会話をしていても、血縁者としての感情が湧いてこない。


「先生がもう退院しても良いって言ってたけど……どうする?」


「退院?」


 香奈の声音に微かな怯えのようなものを感じて、蓮は従姉妹の顔を見た。義眼の調子が悪いのか、焦点が合うまでに1秒近い時間がかかる。


「あのさ、蓮……落ち着いて聞いて欲しいんだけど」


「何を?」


「蓮は、今回の事故で、ほら……両目が義眼になったでしょ? とても良い義眼で、生活するのは問題ないんだけど、学校の規定があって義肢とか……義眼の人は戦技教練を続けられないんだって。退院しても戦技教練は受けられないって、担当の教官が言ってたの。傷病特派の対象者になるだろうって……」


 香奈が伏し目がちに言った。


「そうなんだ?」


 蓮は、どう答えようか迷いながら香奈を見た。香奈は、ひどく言い難そうにしているが、それがどういう意味を持つのか、今ひとつ理解が及ばない。

 入院してから二十日。体は順調に回復し、もう普段の生活は問題なく行えるようになっている。ただ、頭の奥の方がすっきりとせず、あまり強い感情が起こらなかった。


「やっぱり、覚えてない?」


 香奈が探るように蓮の眼を見る。


「よく分からないんだ。頭部を打った時に記憶の障害が起きたんだろうって、担当の医術者が言っていたんだけど」


 医者から直接聞かされたのではなく、廊下で看護婦と医者が話している声を聞いた。


「だって、蓮は、防空隊に入るんだって頑張って勉強してて……なのに、こんなことになっちゃって」


「……仕方がないよ。事故だったんだし」


「だけど……そうだけど、あんまりだよ! 蓮は、ずっと頑張ってたのに! 傷病特派なんて……酷過ぎる!」


 香奈が涙を浮かべながら悔しそうに俯いた。


「そういう決まりなんだから……」


 顔を覆って嗚咽を漏らす香奈から眼を逸らし、蓮は寝台脇の棚を見た。自分のことで、従姉妹が感傷的になっていることに戸惑っていた。


(学校には行けなくても良い。でも、向こう側に行かないと……僕には時間が無いからな)


 棚には、香奈が持って来た渓流釣りの雑誌が何冊か置いてある。事故に遭う前まで、蓮が好んで読んでいたらしい。その本の横に、タブレット型の情報端末が置いてあった。

 あの端末のおかげで、雑多な知識を大量に得ることができた。

 事実と異なる情報も沢山混ざっているから、すべてを鵜呑みにはできないが、記憶が抜け落ちた蓮にとっては有用だった。


「お母さんが、政府の人に会いに行ったみたい。抗議するって」


「叔母さんが?」


 蓮は訊き返した。


「だって、学校指定の実地訓練で怪我をしたんだよ? それで退学になって……傷病特派要員にされるっておかしいでしょ? 今は、ちゃんと見えるようになったんだし……蓮は、戦技教練の成績だって良かったじゃない」


 香奈が憤慨した様子で言った。


「叔母さんは一人で行ったの?」


「ううん、司法書士の人と一緒よ……ほら、町内会の、薬局の息子さん。なんか、そういうのに詳しそうじゃない?」


「ああ……うん」


 司法書士も、町内会も、薬局も……何もかもが分からない。

 蓮は、困り顔で天井を見上げた。また後で検索する用語が増えたようだった。


「体が大丈夫そうなら退院する? 新宿のアパートは引き払って、うちに来たら?」


「うん……まあ、でも……まだ体が痛むから」


 と言いかけて、蓮は口を噤んだ。


「蓮?」


 どうしたの……と続けかけ、香奈が寝台脇の棚へ眼を向けた。

 本の横に置いてあった情報端末の画面に何かが映っていた。


「また、"神の啓示"動画……これ、結構前のやつね。まだ再配信してるんだ」


 香奈が眉をひそめた。

 この"動画"を配信している存在こそが、蓮や香奈のような学生が銃を握らなければいけなくなった元凶だった。



****



■ T.L.G.Nightmare ver.2.03 rev.1.19



 黒い画面に白い文字が点滅して消えた後、長く真っ白な髪をした端麗な容姿の青年が画面に現れた。

 青年は、自らを"創造神"だと称した。

 ゾーンダルクという架空の世界に、真の命を吹き込んだ神であると。

 今では、すっかりお馴染みになった前置きが終わり……。


『異世界交流ゲーム"TLGナイトメア"を楽しんでくれているだろうか?』


 そう言って"創造神"が笑った。


『7度目となる今回の啓示は、非常に残念な報せが含まれる。68番目の"鏡"から渡界する者が現れないまま、24時間が経過してしまったのだ。つい先ほど、定められたペナルティにより、1万匹のモンスターが地球へ遊びに行ってしまった』


 "創造神"の言葉と共に、大きな"鏡"が表示された。

 それは、黄金で縁取りをされた"鏡"だった。古城などに置いてありそうな豪奢な装飾の"鏡"が、宙に浮かんで、ゆっくりと回転している。


『今回、地球を訪れたモンスターは4種類だ。アサルト・ドッグ、ゴブリン・ガンナー、トーピード・フィッシュ、ボンバー・グライダーという、いずれも地球産の銃器で武装した魔物達だ。まあ、地球へ渡ったモンスターの寿命はわずか90日間だから、放置していても繁殖の恐れは無いのだが……この4ヶ月間で17回目の大氾濫となる。半数以上の"鏡"で大氾濫の頻度が増しているようだ』


 "創造神"が指を鳴らして、モンスターの映像を消した。


『毎回、繰り返し説明しているが……"鏡"を利用してゾーンダルクを訪れている地球人が全滅したまま24時間が経過した場合は、その"鏡"が設置されたエリア内に1万匹のモンスターが出現するようになっている。渡界している人数は、それぞれの"鏡"毎にカウントしているから注意したまえ。私としても、せっかくのゲームを楽しんでもらえないのは残念だからな』


 "創造神"が軽く手を振ると、背景に建造物群が表示された。


『さて……これは、先月完成した緩衝空間"ステーション"だ。地球とゾーンダルクの境界に特別な空間を設けて、地球からゾーンダルクへ渡界する者ための設備を用意した。どんな傷病でも治る治療施設、疲労が急速に回復する宿泊施設などがあり、戦闘に役立つ薬品や銃器を購入することができる。武器弾薬の補充はもちろん、ゾーンダルクで負傷した時などには緊急避難地としても利用できるだろう。快適な渡界生活のために役立ててくれたまえ』


 続いて"創造神"が指を鳴らすと、地球の全体図が表示された。

 世界各地で、"鏡"の位置を示す赤い円印が点滅していた。

 規則性の見当たらない配置だった。

 "鏡"が二つ並んでる場所もあり、6千メートルの海溝に置かれていたり、成層圏ぎりぎりに浮かんでいたり、砂漠の中にあったり、大都市の超高層ビルの屋上や有名な寺院、史跡……1ヶ所に1枚と決まっているわけではなく、数枚が並んで設置された場所もある。

 現在、半数近くの"鏡"が、大氾濫スタンピードを示す髑髏マークに変じていた。


『もう少し、大氾濫を抑えた方が良いと思うが……まあ、今回の"神の啓示"はこのあたりにしておこう。せっかく用意したゲームなのだ。楽しんでくれることを心より願っているよ』


 そう言い残して、画面から"創造神"の姿が消えた。



****



(……神というより悪魔だな)


 蓮は、動画が終了したスマートフォンを眺めたまま顔をしかめていた。

 狂言動画ではない。

 過去に配信されたものを含め、"神の啓示"動画で語られたことは、すべて現実の出来事として発生し、地球上の人々を苦しめ続けている。どこの国にとっても、深刻な脅威となっていた。


 "鏡"を領土内に設置された多くの国々が、"鏡"の撤去や破壊を試みたが周辺の地形を変えただけで"鏡"には傷一つ付けられなかった。


 石棺や水棺による封印も試みられたが、コンクリート漬けにしても水没させても、モンスターは"鏡"を囲む壁の外に湧いて出る。


 救いは、発生したモンスターが自然繁殖すること無く、90日後には死滅することだ。そして、モンスターの大氾濫が起きている90日の間は、渡界者を送らなくても、追加の大氾濫が起こらないことだった。


 "鏡"の封印はできない、破壊も撤去もできない。"鏡"を放置すれば、大量のモンスターが溢れ出る。

 結局、"創造神"だと称する青年が言うように、"鏡"の向こうへ人員を送り込んで大氾濫を防ぎ続けるしかなかった。

 大氾濫を防ぐために、"鏡"の向こうへ人員を送り込む。全滅したら、また次の人員を送り込む。これを延々と繰り返すのだ。

 程度の差こそあれ、どこの国でもやっていることは同じだった。そして、どこの国でも"鏡"の向こうへ派遣する人員集めに苦労していた。


「どうせ、今もどこかの"鏡"からモンスターが溢れてるよね」


 "神の啓示"動画が消えてしばらくして、香奈が溜息交じりに呟いた。


「学校でモンスター退治の訓練をしなきゃいけなくなったし……体育の授業がランニングと筋トレと格闘訓練だけとか……もう、滅茶苦茶」


 香奈が昏い顔で俯いた。


(本当に、神……のような奴が居たとして……何がしたいんだ?)


 地球側が疲弊して瓦解していくだけの単調な物だ。変わり映えのしないシーンを眺めていても面白くないだろうに……。


(暇を持て余したのかな?)


 蓮は、ちらと窓の外へ眼を向けた。

 今日は、朝から一度も、警戒警報が鳴っていなかった。

 空には、普通の小鳥が飛んでいる。戦闘ヘリコプターは飛び回っていないし、戦車砲の音も聞こえない。

 こうして窓から眺めているだけなら平和そのものに見える。


「もう……何もかもが、おかしくなっちゃった」


 香奈が俯いたまま溜息を吐いた。


「学校で銃の撃ち方を教わるなんて……おかしいよね? 射撃訓練したら、喉はイガイガ、爪の隙間から鼻の穴まで真っ黒になるし……どこかの学校じゃ、銃が破裂して生徒が大怪我したって」


「整備不良? 模造銃だったのかな?」


 蓮は小さく呟きながら、目の前に浮かんでいるものを見つめた。


(手紙? これって、ARかな?)


 蓮の視界に妙な物が浮かんでいた。

 香奈には見えていないようだったが……。

 赤い蝋で封をされた封書が、蓮の視界に浮かんでいた。本来なら大騒ぎしたくなるような怪現象だが、蓮はこれに心当たりがあった。




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レンは、創造神の"神の啓示"を見た!


レンは、怪しい手紙を発見した!



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