第36話 さようなら(Side.アカリ+エイベル) ★

2022/03/08に加筆修正しました。

アカリざまぁ回です。





 エイベルは世界からアカリが消えたのを確認して、冥界と下界の狭間……創造神・ディミオルゴが管理する空間の一部に来ていた。

 死した者は、生まれ変われる様に必ずこの場所に流れ着く。例外はない。ショウもミツキも一度はここに来た。もっとも、ここに着いた瞬間に神がかっ攫って行ったので、ものの数秒しかいなかったが。


(もう少し早くこうなってほしかったよ)


 アカリが犯した罪の重さを考えれば、そう思わずにはいられない。以前のエイベルでは考えられない感情だった。


「もう、もう!! 一体なんだっていうのよ!! どうしてショウさんはわたしを選んでくれないのよ!?」

(そんなだからだよ)


 暗闇でしゃがみ込んで泣き喚くアカリに、溜め息を吐く。幸せが逃げて行くと云われるが、そうでもしないと胸に溜った幾つもの感情が溢れかえって、上司の様についうっかり殺してしまうかもしれない。それだけは何としても避けたい。上司と一緒なんて嫌だ。


(あんな事されて好きになる方がどうかしてるだろうに)


 相手の気持ちも考えず一方的に好意を向け、挙げ句の果てには相手の愛する人を害したのだ。それで好きになってもらえる等と、どうして思えるのだろう。嫌われていても憐れんでもらえるだけマシだ。それに気付いていれば、もっと違う未来があっただろうに……。


「あ、エイベルあんた!! 一体今までなにし、て……」


 エイベルに気が付いたアカリは、どうして助けに来なかったのかと詰め寄ろうとして、その動きをピタリと止めた。

 彼女の瞳が捉えたのは、エイベルが持っているモノ――血生臭さを漂わした、生首。

 首の切断箇所は毟ったように歪だ。恐らく本当にそうしたのだろう。斬首した跡ではない。

 生首のギョロギョロとした血の色をした目は、偶然だろうか、アカリを凝視している様だ。


「別世界のモノに手を掛けるのは御法度なんだけど……しょうがないよね? あの子を俺の目の前で殺そうとするんだもん」


 そう言って、アカリに向かって生首を投げる。

 飛び散る体液は空中で霧散して消えて行き、まるで意志を持っているかの様に真っ直ぐアカリに向かって転がっていった。


「君があの少年から受け取って使った悪魔だよ」


 死んだ筈の悪魔と焦点が合い、アカリは「ひっ!」と悲鳴を上げた。彼女を見る赤い目は、どこか恨めしそうにも見える。


「そ、そんなのどうでもいいから!! 早くショウさんの所に連れて行って!! 今度こそあの女を始末してやるんだから!! それに……あの初期設定ヒロイン! ヒロインしてないと思ったのに、なんで学園で取得する“裁きの光”を発動させてるのよ! しかもわたしに向かって靴投げてきたのよ!? ふざけるんじゃないわよ……あの女も一緒に葬ってやんないと気が済まないわ!!」


 髪を振り乱しながら激怒するアカリを、男はなんの感情も持たず見下ろしていた。

 己の過ちを自覚することなく罪を犯していく様は、滑稽で、憐れだった。だが今は、それすら感じない。あるのは早く絶望の底へ沈めたいという感情のみ。


「残念だけど、君はもう彼らの下には行けないよ」


 以前は、この瞬間に笑っている自分を想像していた。だが実際訪れた今、エイベルは笑う事が出来なかった。普段なら上がる口角も上がろうとしない。貼り付けた笑みすら浮かべる事を、感情が拒否していた。


「人の救済も考えものだよね」

「はぁ?」

「君みたいな人間には、初めから救済なんて必要ない、ってこと」


 人間の魂の救済は厳しいようで優しい。

 地獄で生前の罪を償うという話しがあるように、魂の救済場所がどこの世界にも必ず存在している。そこで何年、何十年、三百年と、犯した罪への罰を受けていれば、刑期を終えた時に、また輪廻の輪の中に戻る事が出来る。

 前世の罪だけなら、アカリはそれに該当していた。悲しい事に、人一人分の命の代償はそんなものだ。ミツキを殺害したアカリの罪は、百年以内に償いきれるものだった。

 だが、今世でもアカリは罪を犯し続けてきた。それはエイベルが彼女の魂を消滅させるために仕組んだことだが、そこまで行くのに時間も、被害も相当出してしまった。救済などなければ、被害は最小限に抑えられたのに。


「君は死んだ。あの聖女の光で、罪に汚れた君の身体は浄化されるとともに消滅した……身体が耐えられなかったんだよ」


 眉間に皺を作っていたアカリの目が、大きく開かれた。どうやらやっと意味が……エイベルの話しが、初めて伝わったらしい。

 後戻り出来ない現実に、アカリの瞳に動揺と、微かな絶望が浮かんでいる。


「は……? わ、わたしが、わたしが何したっていうのよ!?」

「したでしょ、色々。前世ではミツキを……ショウを入れたら二人だね。今世ではクローム家の三人と御者の四人。合計六人もの命を犠牲にした。それに加えジュード家を崩壊に向かわせたり、神の愛し子であるノエルと、聖女マリアへの殺人未遂ま……小さいものまで入れたらもっとあるよね」

「そ、そんな事で?」

「そんな事? 十分罪だし、特に愛し子と聖女への危害は大罪だよ。創造神・ディミオルゴ及び我が主もお怒りだ。それに……君は悪魔に身を捧げ過ぎた。魂は汚れきり、二度と生まれ変われない。俺が報酬でもらった君の寿命も、底を尽きたし」


 決め手は、少年から渡された呪符で悪魔を召喚した事だ。

 この世界にも独自の悪魔召喚の方法がある。その簡易用を用いて悪魔と契約したことで、もともとドス黒かったアカリの魂はヘドロの様になり、再生が出来ない状態になってしまった。救済に意味なしと烙印を押されたのである。


「ちょ、ちょっと待って……アンタがわたしから持っていったのって」


 震えるアカリに、エイベルは「やっとか」と呆れ果てた。

 エイベル自身はしっかり確認していた。だがそれを軽く流したのはアカリだ。そんなの別にどうでも良いわ、といわんばかりに気にも留めていなかったのはアカリの責任。今更驚く方が、絶望する方がどうかしている。


「ひ、卑怯よ!!」

「だから? 悪魔なんてそんなものだよ」

「返して!! 返しなさいよ!!」

「君の願いを叶えた報酬なんだから、返すわけないでしょ」

「わ、わたし、まだ死にたくない!!」

「死にたくないも何も、もう死んでるんだって」

「嫌よ!! ショウさんのところに帰る!!」

「帰れないし、そもそも君の場所じゃないでしょ? ほら……迎えも来たしね」


 闇の向こう側から、不協和音に負けないほど不気味な鎖と蹄の音が聞こえてきた。

 アカリも気付いたのか、目をこらして見つめて――絶叫しながら一目散に駆け出した。


「……馬鹿だね」


 逃げられる訳ないのに。


 何処までも続く闇の中を逃げるアカリの首に、鎖が巻き付く。突如として巻き付かれたため反動で首が絞まり、後ろに倒れた。


「い、いや……たすけて」


 本気で怯える少女を見ても、助ける気は起きない。

 マーガレットとして、一人の村娘として生きていれば、こんな事にはならなかったのに。


「……さようなら、大罪人のお嬢さん」


 馬に引き摺られながら闇に消える少女の悲鳴が響き渡る。

 一人の少女の魂が、完全なる終わりを迎えた。


「……今まで見逃して下さりありがとうございました」


 世界に静寂が戻ったのを確認すると、エイベルは振り返って、背後にいる者に向かって礼を述べた。


「……どういたしまして?」


 世界をまとめ、管理する創造神――ディミオルゴは、怒気を孕んだ笑みを浮かべている。その意味を、エイベルは理解していた。


「ボクが言いたいこと、わかってるよね?」

「はい……覚悟はとうに出来ています」


 別世界のモノを害するのは大罪だ。それは創造神・ディミオルゴが治める空間で適用される。今いるこの空間は、彼の領域の一部……裁くには丁度良い場所だった。


「斬首でもなんでも、なんなら消滅でも構いません」


 エイベルに嘘はなかった。悪魔を殺した時……否、その前から、彼はいざという時は罪を犯す事を決めていた。その結果死を迎えたとしても、心残りはない。強いて言えばもう一度ノエルに会いたかったが、目的のために守らなかったのだ。そんな贅沢はとてもじゃないが言えない。これ以上アカリの悪意が迫らない様に出来ただけマシだった。


(恋い慕うなんて感情を知らなければ、きっと今頃逃げてたけど)


 こうなる事は予想済みだった。だから当初は創造神から逃げるために色々準備していたのだが、ノエルに出会った事で全てが変わってしまった。

 ノエルに心を独占された今、彼女のために、彼女を想う己の心のために、逃げる事を放棄した。

 恋は人を変えると、ミツキたちの世界ではいわれていたが、まさか自分が体験するとは予想外で、そして楽しかった。


「潔い」

「貴方の前では誰もがそうでしょうに」

「そんなことないよ。前に人間だった時は、馬鹿にされてアッサリ殺されたし」

「それは魔力も持たない人間に転生したからじゃないですか。今の姿なら誰も馬鹿な真似は出来ませんよ」


 あはは と笑うディミオルゴに、エイベルがゲンナリした。こういう相手は疲れるのだ。上司の次に関わりたくない相手である。


「じゃあ、ボクの身体も限界に近付いてるから、さっさと終わらせよう――エイベル」


 創造神に名を呼ばれ、エイベルは怪訝そうに顔を歪めた。

 名前は大事だ。特に何かしらの契約時には必ず必要になってくる。それが自分より格下の相手ならどうにでもなるが、上の者に呼ばれるのは駄目だ。名を呼ばれた瞬間から服従の効力を発揮して、自由がなくなる。今回の場合は服従の意味を感じ取った。エイベルは彼の駒になったのだ。


「……何の真似です?」

「ちょうど下僕が欲しかったんだよね。それも下級精霊やちっさい悪魔より強くて、自由が利く下僕が」

「死んだ方がマシですね」

「君自身が死を司る存在なのに、消滅させたところで何の意味もないじゃない。君みたいなのが嫌がるのは大体束縛だしね。なら束縛ついでに手伝いでもしてもらおうかと思って」


 ニコニコと笑みを浮かべる男に、エイベルは初めて悪寒を感じた。

 これは罰だ。だからエイベルに拒否権はないしするつもりもないが、アカリ同様、消える時はまともな消え方は出来ないだろう。そう感じるのは、きっと間違いじゃない。エイベルは初めて逃げたくなった。


「ボクにこき使われながら、君のせいで死んだ子の側で存在し、好きな者が他の男と一緒になって幸せになる様を見つめる……最高の罰だと、そう思わない?」



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