第35話 空のような人



 芝生の上に積もった“アカリだったもの”は、風に乗って舞い上がって消えた。空は青々としているのに、心はどうにも曇っていてスッキリしない。


(それでも、終わったか……)


 苦い終わりだったが、アカリとの因縁の戦いは確かに幕を閉じた。彼女の魂はきっと救われないが、どうか心から自身の罪を償ってほしいと思う。


「……ここでの出来事は他言無用だ。父上には俺が報告する」


 周囲の者にそう告げて、俺はウィリアムたちのところに向かおうとして――足下に転がる紙切れに踏み留まった。


「なんだ? これ」


 拾い上げてまじまじと見つめる。半分焼けてしまっているが、模様……いや、魔方陣が書かれているのに気が付いた。何かで擦ったような染みは血のようにも見えるが、煤で黒く汚れているため確かではない。


(戻ったら、ディルクに見てもらうか)


 紙切れを胸ポケットに仕舞い、今度こそ皆の場所へと向かう。脳裏に浮かぶのはいつの間にか消えていた、あの黒いモヤの中にいたモノだ。あれは本当に悪魔だったのかのかも含めて確認してもらった方が良い……その内俺自身でわかるように勉強しなければ。

 そんな事を考えながら歩いていれば、先に気付いた、というより、ずっと俺を気にしていたノエルが駆け寄って来た。それだけで俺の胸はいっぱいになった。これは夢か? 夢なのか? 夢ならどうか覚めないでくれ……


「殿下、助けて下さりありがとうございます……私がいながら、申し訳ございません」


 ノエルは俺の下にたどり着くや否や、頭を下げて謝罪し始めた。

 いやノエルは悪くないよ。悪いのはアカリと職務放棄してた騎士と一緒に来なかった俺だよ?


「いや……ノエル嬢が無事で良かったよ」


 そんな事無いよ、と言いたいところだけど、その思いは呑み込んだ。かばったところで、きっとノエルは納得しないだろう。責任感の強い彼女の思いを否定したところで何も救えない。なら、彼女の謝罪を受け取って、その上で無事を喜んだ方がノエルも受け入れてくれる筈だ。


「あ、あのっ」

「ん?」

「……不謹慎ながら、殿下のご活躍に、感動致しました」


(うっ!!)


 頬を染めて微笑むノエルに、思わず口元を覆って顔を背けてしまった。

 そんな可愛い顔は反則だ。赤い目元も相俟って、その破壊力に俺の心臓が保たない。


「で、殿下?」

「いや、ゴメン……ノエル嬢が可愛くて」


 言ってから、はたと気付く。

 しまった。つい本音が口から飛び出した。

 アルフレッドの王子口調が消えて、考えた言葉そのままが出てくるようになった弊害をここで実感したくはなかったが、口から出た言葉は戻ってはこない。


(ふざけてるって、幻滅されたかな)


 ノエル以上に不謹慎だったのは自覚している。だから不安になってノエルの様子を横目で窺えば、愛しい人は先程以上に真っ赤になって瞳を潤ませていた。


「と、取りあえず、無事で良かった。でも、これからは、孤児院内でも騎士を連れて歩くこと。これは命令だよ?」

「はい……申し訳ございませんでした、殿下」

「……それ」


 ノエル自身も騎士を外に置いておく事に思うことはあったのだろう。反省している彼女にこれ以上追求するつもりはないけれど、今までに四回耳にした言葉はそのままにしておけなかった。


「それ……とは?」

「その、呼び名。殿下じゃなくて、名前で呼んでほしいな」


 そう言えば、ノエルは目に見えて困り始めた。眉尻を下げて見てくる様も可愛らしいけど、ごめんね。これだけは譲れないんだ。


「名前で呼んだ方が、もっと仲良くなれると思うし」

「しかし……」

「俺もノエルって呼びたい。いや、呼ぶ」


 そう言って「ノエル」と名を呼べば、彼女は小さな声で「ずるいです」と呟いた。

 なんだこの可愛い生物わ。こんなに可愛いのにアルフレッドは何も思わなかったのか? 信じられない……そんな罪深い事を犯していたなんて!


「ちょっと! ノエルを困らせないでよ! あ、困らせないで下さい!」


 言い直しながらも威勢の良い声に目を向ければ、そこにはピンク色の髪の少女とウィリアムが眉間に皺を作って俺を睨んでいた。

 ちょっと、なんでウィリアムまで俺を睨むのさっ。


「いくら婚約者でも迫るのはよくないぞ」


 どうやら無理矢理言わせようとしている様に見えたらしい。

 何でよ。俺お願いしてたよね?


「はぁ~。わかったよ。これ以上はまた今度ね」


 俺の言葉に二人の眉間の皺が濃くなった。いいじゃんか、別に。好きな子にアタックぐらいさせてくれよ。

 対してノエルは頬に手を当てて困り果てている。うん、可愛い。


「じゃあ……代わりにそこの君、名前は?」


 俺を睨む少女の名を問う。

 予想は当たっているだろうけど、俺は敢えて彼女名を尋ねた。


「マリア……で、ございます」


 渋々といった体で名乗るが、嫌々ながらも取ったカーテシーは貴族令嬢並に綺麗だった。

 そしてやっぱり、彼女は【学園グランディオーソの桜】のヒロインだ。ゲームのマリアの様な印象はどこにもないけれど、先程の“裁きの光”の発動も含め、彼女がヒロインで間違いない。


「見事なカーテシーだね。俺はアルフレッド・ノーブル。よろしく、マリア嬢」


『ノエルを貶めなければね』という言葉は心の中だけに留めた。

 ここに到着して初めて彼女を見た時、マリアはノエルをかばうために身体を張って守っていた。そんなマリアが将来ノエルを貶めるとは到底思えないが、やはりゲームでの印象が強く、駄目だと思っていてもそんな風に勘繰ってしまう。


「……ノエルが、勉強の合間に教えてくれてるから」


 ぼそぼそと呟きながらもまるで林檎の様に頬を赤くする彼女に、どうやらなかなか素直ではないのを感じ取る。

 これはあれか、ツンデレか? ツンデレなのか?

 ゲームのマリアと違い、目の前のマリアは本当にヒロインらしくなかった。比べるのも失礼だけど、目の前にいるマリアの方が断然好感が持てる。


「そう……良い関係が築けているようで良かったよ」


 俺の言葉が意外だったのか、マリアは目をパチクリとさせた。

 きっと嫌味の一つや二つは言われると思っていたのだろう。実際彼女たちの仲の良さに嫉妬しているが、それはそれだ。日々重圧に耐えるノエルの良い気晴らしになっているのなら俺は何も言わないし、むしろノエルのためになっているなら大歓迎だ。


「……アンタ、変わった王子だね」

「アンタじゃなくて、せめて名前で呼んでくれない?」

「王子に名前呼びって不敬なんじゃないの?」


 そう言って笑うマリアは、晴れた空の様だった。


 


 

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