第31話 嬉々と危機(後半マリア視点)
※後半「*」の後は本作もう一人の主人公マリア視点です。
青々とした空には白い雲が浮かび、風に吹かれ形を変えて流れて行く。王都は活気に溢れ人々が行き交い、何処からか食欲をそそる良い香りが漂ってくる。花屋の花は生き生きと咲き誇り、日向ぼっこをしている猫たちも気持ちよさそう……上空に浮かぶ真っ白な雲の様に、俺の心も――
「浮かれすぎだ」
「……わかってるよっ」
夢から引き戻されて、ムスッとして窓の外から目の前に座るウィリアムに向き直る。そこには顔をしかめて心底気味悪がっている顔があった。ちょっと、人を得たいの知れないものみたいに見ないでよ。
「いいじゃないか、別に。今日はノエルと初めての公務なんだから」
手に持ってにぎにぎしているハンカチを見る。青い絹の布にリナリアの花が刺繍されたハンカチは、前回のノエルとのお茶会で思わず泣いてしまった時に彼女が差し出してくれたものだ。
そのハンカチが何故俺の手元にあるのか……答えは簡単だ。頭を下げて貰ったからだ。
『ハンカチでしたら、アルフレッド様専用に縫ってプレゼントします』
困った顔で言われてしまったが、これが良いと言って半ば強引に貰ってしまった。『困らせるな』とウィリアムにいわれたけど、仕方ないじゃないか。ノエルの優しさの詰まったハンカチだよ? 欲しくならない訳ないじゃないかっ。
「燃やすなよ」
「わかってるってば」
俺はにぎにぎしていたハンカチをポケットに仕舞った。ウィリアムの言う通り燃やしたら後悔に苛まれそうだったからだ。
「これいつまで続けるんだろう……」
「アルが魔力調整出来るようになるまでだろ」
ウィリアムの言葉に溜め息を吐く。
俺は今、師匠に言い渡された試練に加え、魔法を使いこなすために必要な魔力調整を身体に叩き込む訓練を受けていた。
(強弱つけて手に力をいれるだけなのは楽だけど、それがかえって油断に繋がって危ないんだよなぁ)
そう思いながら、再びにぎにぎと繰り返し手を握る。力を徐々に入れる際に魔力を手に集中させ、力を抜く時は魔力も霧散させていく。魔力調整を始めた時から、手に何も持っていない時は毎日行う事になっている。
(まぁ、危うく火事にさせるところだったからなぁ)
事の発端は数日前、本物のアンジェリカの魂を連れて星古学者の研究室に行った時だった。
戻って来た事を待っているジリアンに伝えるために、ディルクが彼女を捜しに一旦席を外した時のこと。
『……火神蝶舞』
手持ち無沙汰に何となく本棚を眺めていた俺は、一冊の本が気になった。
火神とは、この世界に伝えられている一神で、名をピュールと言う……らしい。らしいと言うのは、アルフレッドの記憶の中に見つけただけで、俺自身が調べた訳ではないからだ。
そんな火神の特技は、やはり炎を使うもの。炎を纏う姿は舞う蝶の様に優雅で、それを真似た火の魔法を【火神蝶舞】なのだと、魔法の歴史書に記載されていた。
(……俺でも使えそうなのあるかな)
興味本位で中を見てみる。きっと始めの方に載ってる物が初級魔法だろうと見当をつけ、標準的な魔力しかない俺でも真似出来そうなものを探して読み進めていった。
(お、これ使えそう)
案の定、初級ページの中に使えそうな魔法を発見した。
読んでみると、それは暗闇の中で松明代わりの炎を灯す魔法らしい。松明が必要な場所に行く予定はないが、覚えておけば何かしら役に立ちそうだと思った。
(えっと……上空に手を上げて、掌を上に向ける。そこで松明の炎をイメージして、魔力を掌に集中させる、か)
本に書かれている通り、掌を天井に向けて腕を高く上げる。松明のユラユラ揺れる少し強めの炎を想像して、体中に巡る魔力を掌に集中させた。
結果は成功だ。だがそれ以上に、失敗の方が強かった。
『……え』
ゴウゴウと、俺を中心にオレンジ色の炎が燃え広がる。
炎はその威力を上げていく一方で、どう見ても松明の範囲を超えていた。
『アルッ!』
慌てたウィリアムの声が届くも、唖然とした俺は何も出来ずに炎の中心に突っ立っていた。
ヤバい、どうすれば良いのかわからない。
そうこうしている内に炎はどんどん燃え広がり、俺は呆気なく炎に呑まれそうになった――その時だった。
『なにしてんの?』
冷静の中に微かな怒気を含んだ声が聞え、その瞬間息の詰まるような冷たい水を頭から思いっ切り掛けられた。
助かった。だけどこの状況は絶対ヤバい。
壊れた人形の様なぎこちない仕草で見れば、案の定そこには婚約者であるジリアンを連れたディルクの姿があった。
『……ちゃんと説明してくれる?』
静かに怒るディルクの後ろでは、ジリアンが呆れた様に眉間を指の腹で揉んでいた。
そこで正直に話した俺は、『まずは魔力調整から始めようか』と良い笑顔のディルクから言われ、現在進行形で訓練地獄に落ちる事になったのだった。
「リオンとリリーシア嬢にも白い目で見られるし」
「自業自得だろう」
「わかってるよっ! でも僕だってあんなになるとは予想してなくて驚いたんだ!」
「そもそも学園に通うまで基本魔法は禁止だぞ」
「……わかって」
「わかってなかっただろう」
「……はい」
盛大な溜め息を吐かれる。ウィリアムの言う通りなので何も言えない。
確かに、魔法は学園に通う様になる十六才まで基本禁止な事はわかっていなかった。しかもどうやら常識らしい。そんな部分も含めてリオンとリリーシアに呆れた目で見られてしまった。
(俺、一応王子なんだけど? 確かに怠け者のどうしようもない王子だったけど? リオンとリリーシアみたいにアカリと正面から対峙する根性もなかったけど?)
内心ブツブツと不服を口にする。言えば言うほど何だか惨めになってくるが、心の中だけだからと言わせてもらう……どうしてゲーム通りの人格に育ってたんだアルフレッドよ! もっと王子らしくしっかり成長しろよアルフレッド! 勉強して知識詰め込んで身体鍛えろアルフレッドよ!
(でも流石にあの青色コンビみたいにアカリと堂々と戦う事は無理)
戦うというより遊んだのだろうけど。
前世の事を思えば顔を合わせたくないのが本音だ。そんな俺の代わりにアカリに会ってくれたリオンとリリーシアにか感謝ばかりだ。白い目で見られたのは心外だけど。
(ジリアンが開発してる映像記録機……前世でいうところの盗撮機、じゃなくてビデオカメラか。それ使ってアカリの挙動を録画するって凄いな)
『今後、ゲームとやらの本番である学園に入学してから起こる参考になるかと思いまして』
そう言って、王宮に映像記録機を持ってきたリリーシアとリオンは、ジリアン立ち会いの下、俺とウィリアム、ディルクとイアンに映像をみせてくれた。
俺も他三人も、映されたアカリの醜態にげんなりとした。特に俺は前世を思い出して思わず白目を剥きそうになる。リオンも俺たちと同じような顔をしているのは気のせいじゃないだろう……エサにされたんだな? 兎に角、見なきゃ良かったと思わずにはいられなかった。
(アカリが異常なだけだと思いたいけど、学園で出会うヒロインがアカリタイプだったらどうしよう……)
そしたら死ぬ。身体は死ななくても心は死ぬ。リリーシアが怒っていて怖いと泣き真似をしつつ、リオンに撓垂れ掛かり極悪の笑みを浮かべるアカリと同じタイプの人間がヒロインとか冗談じゃない。あんな奴が聖女認定されるとか教会大丈夫か!? と思わず突っ込んでしまう程無理だ。嫌だ。俺は認めない。
(ヒロイン……出来れば賢くノエルの味方になってくれるような子が良いな)
都合の良い事ばかりだが、強制力や別の脅威の可能性を考えるとそう思わずにはいられない。
そんな事を考えながら、俺たちはノエルとの公務先である教会へと向かった。
*****
どうしよう……
今日、ノエルが教会に来た。いつもと服装が違うからどうしたのかと尋ねれば、今回は個人的な活動ではなく、婚約者との公務なのだと言っていた。
『マリアの事も紹介するわね』
『え、いいよアタシわ』
『私の大切なお友だちだもの。ちゃんと紹介させて、ね?』
のほほんとした笑みを浮かべてお願いしてくる仕草は反則だと思う。こんなの男じゃなくても弱くなるじゃんか。結局アタシも頷いてしまった……ノエルが嬉しい事ばっかり言うからだ。
『そんで、その婚約者は?』
『もうすぐで到着されるはずよ』
『ふーん?』
そう言って、アタシとノエルはいつもみたいに勉強をしながら婚約者殿が来るのを待っていた。
だがやってきたのは見るからにヤバそうな少女だった。
「あはは……み~つけた!」
髪は孤児のアタシ以上にボサボサ。目の下は濃い隈が浮かんでいるし、肌も爪ボロボロ。上等な衣装の筈なのに所々破れているのに加え、赤い染み――血も付着している。みすぼらしい子どもならスラムにはたくさんいるけど、生きる以外の狂気を孕んだ子どもは早々見かけない……逃げた方がいいタイプだ。
「……ノエル、絶対アタシの後ろから出ちゃダメだよ」
少女の目的がわからない上に、こんな危険生物を貴族の令嬢であるノエルに近づける訳にはいかない。孤児で学がなくてもそのぐらい判断出来る。
「な~んでヒロインがヒーローしてんのよ。てかアンタがいるせいでわたしがヒロインになれなかったじゃない。そこの悪役令嬢もショウさんにも初期設定ヒロインにも愛されてるって意味わかんないんだけど。ショウさんもヒロインの座もわたしのよ、わたしの、わたしのぉぉぉ!」
どうしよう。言っている意味がわかんない。
ノエルを振り返れば、彼女も困惑した顔をしていた。そりゃそうだよね。ヒロインとかヒーローって何だし。悪役令嬢って何だし。ショウさんって誰だし……意味不明なことばっかり過ぎて何処から考えればいいのかわからない。
「……アンタ、なんでそんな傷だらけなの?」
少女の言い分は放っておいて、目に付いた事を聞いてみる。少しでも気の狂った少女の気を逸らしたかった。
「ああ、これ? 可哀想でしょう? お外に出してもらえなくて、思い切って窓から飛び出してきたの。怖かったわぁ」
そう言ってメソメソと泣き始めるけど……涙出てないし。口元笑ってるし。おまけに怖いのはアンタだよ! と言ってやりたい。
「ノエル。裏口からシスター呼んできて。それまでアタシが相手しててるから」
「で、でも……あの子、大丈夫そうには見えないわよ?」
「だからこそ。ノエルは貴族のご令嬢なんだから、何かあったらタイヘンでしょ? アタシは少なからずこういう奴の相手は出来るから、ノエルは自分の身の安全を考えて」
ノエルは貴族。それに、アタシにとっては大切な友だち……姉のように思ってることは秘密だけど、そんな彼女だからこそ、安全な場所に逃げてほしい。
「……そんで? そんな可哀想な少女が、なんでこんな裏庭に来たの? 神様やシスターたちは表の聖堂だよ」
何かしら理由があって教会にきたのなら、シスターや神父、神様に会うために聖堂に通じる表から入る。けれどここは裏庭。しかも孤児たちが遊ぶ専用の裏庭な故、教会の外側から入らないとたどり着けない……彼女の用事は明らかにアタシたちだ。
(時間稼いでノエルを逃がさなきゃ)
相手は丸腰に見える。しかもアタシより華奢だ。取っ組み合いになっても勝てるだろう。出来ればあの子の後ろにある竹箒には気付かないでほしい。
(ノエルの婚約者、だっけ? まったく、何処で道草食ってんのよ!)
未だ到着しない貴族の坊ちゃんに、溜る鬱憤をぶつけた。
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