第30話 壊れた人(アカリSide視点)

 

 アルフレッドたちが本当のアンジェリカを解放してから数日後の事だった。


――おかしい


 ジュード家で与えられた自身の部屋で、この数日アカリは妙な胸騒ぎを覚えていた。

 アンジェリカとして攻略対象の家に住んで初めて感じる違和感に、眉を寄せて部屋の外を窺う。謹慎のせいで半ば引き籠もりのようになって以来、外の事が何もわからない。


(なんだろ……妙に、静か?)


 普段邸の中を行き来している従者たちの気配が、この数日の間やたらと少ない。呼んだら直ぐ来る位置で待機させている侍女の気配も何も感じず、あるのは背中がザワザワとする焦燥感。芽生えた感情は、確信を得て膨れ上がった。

 

「ちょっと! 出ていなさいよ!」


 何もない空間に向かって声をかける。すれば瞬きの間に男は現れ、いつもの様にニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて「呼んだ?」と小首を傾げた。その仕草が、余計アカリの不機嫌を増長させる。


「遅いわよ! ねぇ、外の様子を見てきてくれない? 何だか最近邸の雰囲気が違うのよ」


 口調はきついがその目は不安の色を浮かべている。初めてみるものだった。てっきりこの女には恐怖というものが存在しないのかと思っていたぐらい珍しい。


(まぁ、大体の愚か者って皆そうだけどね)


 男は微笑む。物優しげなこの顔で突き落とされた時の絶望感は壮絶なのを知っているから。

 そんな事は知らない彼女に、男は相変わらずな態度で「その必要はないよ」とアカリの指示を断った。


「なんでよ!」

「なんでって……わかってるんでしょ?」

「わかってたら命令なんてしないわよ!」

「じゃあ、何でそんなに怖れてるの?」


 言葉に詰まる少女の姿に、男は笑みを濃くさせた。

 もう少しでこの女は終わる。本当ならもっと早くに終わる予定でいたが、彼女が派手にやらかして、且つ大人しくする他なくなった事で予定が狂ってしまった。

 本来男は予定を狂わされるのを嫌う。しかし今回ばかりは違っていた。


(この娘は確実に堕としたいからね。罪を重ねるなら大歓迎だよ)


 悪魔である己が、自身と同じ性質の彼女を嫌悪する事に苦笑する。そして一人の少女に恋い焦がれる事も……。そんな私情も相俟って、来るその瞬間が楽しみで仕方ないのだ。


「わかってるでしょ? この後どうなるのかも含めて」

「何がよ! 何も知らないわよ! 」

「最期ぐらいみっともなく喚くの止めたら?」


 対するアカリは、男の様子に息を呑んだ。

 目の前の男の声音は冷たく、向けられる目も鋭さを増している。こんな風に接せられることは初めてだった。もっとも、そう思っているのはアカリだけで、窮地に追い込まれた事で初めて男をまともに見ただけなのだが。


「知りたいなら教えてあげるよ」

「い……いいえ! やっぱりい」

「君が偽物アンジェリカなのがバレたよ。みんな君をどうするか決めてる最中だ」


 被せ気味に告げられた真実にアカリは目を見開く。

 バレた。バレてしまった。元々いつ知られても可笑しくはなかったが、今回とうとう自分がアンジェリカではない事が完全にバレてしまった。

 心の片隅にひっそりと存在していた不安が一気に膨れ上がり、アカリの胸中を傷付けながら圧迫していく。

 彼女の中にあるのは、今後の生活と破滅への恐怖。何故、どうしてという考えすら浮かばない。

 混乱しているアカリに、男は呆れたように溜め息を吐いた。


(ここまで来ないと何も感じないのは、もう病気レベルだよなぁ)


 終末の足音が聞えてから恐怖に駆られる。そんな者を幾度となく冥界の馬に繋いで引きずって行ったが、その中でも、アカリはトップレベルで愚かだった。


(まぁ、これで彼女は魂ごと消滅するだろうし、任務達成ってことで良いかな)


 一人の魂を破滅させるために長い年月をかけてしまったが、これであの不憫で可愛い人の危機も去ったと思えば報われる気がする。あの子を溺愛する上司も満足してくれるだろう。暫く休んでも許してくれるかもしれない。


(休みが取れたら彼女のもとに……)


 想像して、思わずニヤつきそうになる。これからの事を考えるだけで楽しくて仕方ないのに、こんな風に一人の人間に執着するようになった自身にも可笑しくて笑えてくる。

 愚かなのは一体どっちなのか……そんな疑問も笑えてしまうからしょうがない。

 男はそれらの感情を隠しながら、アカリにラストオーダーを訪ねた。


「もう心残りはないかな?」

「あるに決まってんでしょ!? まだ逆ハーもしてなければショウさんとも一緒になってないし、あの女の断罪だってまだ済んでないじゃない!」

「絶体絶命の中まだそんな事考えてたの?」

「いいじゃない別に! それが目的なんだから!」


 アカリの切羽詰まりながらも告げた願いにまたも呆れる。未だにゲームのような非現実的なやり取りが出来ると思っているところが哀れで可哀想だ。前世でもっとまともな両親の下に生まれていれば……と考えるが、本質的な部分は関係ないかと考え直して、アカリがどうするのかを嬉々として眺めた。


「バ、バレたならまず逃げなきゃよね? でもじゃあその後は? 家に帰る? でもあんな田舎なんて嫌よ。だったらショウさんの所に行く? ショウさんなら迎え入れてくれるわよね? そうよ……ショウさんのところへ行きましょ!」


 名案とばかりに瞳を輝かせたのもつかの間、「やっぱり待って」と、今度は顔を青白くさせて何やらブツブツと呟き始めた。

 男は見慣れているので何も感じないが、見慣れない者はその不気味さに距離をとるだろう。乱れた髪やボロボロになった肌や爪、濃い隈が出来た目元を見れば余計にだ。それほどまでに、アカリはマーガレットだった時の健康的な少女の面影はなくなっていた。


「このままショウさんの所へ行っても、あの初期設定のヒロインが来るようになるのかもしれないのよね? あの女も未だに排除されてないどころかヒロインと一緒に行動してるし。なんで? ヒロインはわたしよ? わたしが設定したヒロインなのに何で他がヒロインしてるのよ。ショウさんはわたしのよ? 初期設定ヒロインだからって人のものとるなんて酷いじゃない! あの女も諦めてないみたいだし。わたしのショウさんよ! わたしの、わたしの、わたしのわたしのわたしのわたしの」


 壊れた。

 そう見えた矢先、アカリはふらりと立ち上がると、ノロノロとした足取りで窓辺に近付いた。その目は焦点が合っていない。


「わたしのショウさんのために、あの二人を排除しなきゃ」


 瞬間、アカリはロックのかけられた窓に突進するように飛び込んで、そのまま外へと転がり出た。

 窓ガラスの破片で顔や腕が傷つくが、もう何も感じない。アカリの中にあるのは、前世からのショウへの執着と、敵認識した少女二人への憎悪だけだった。


「待っててね、ショウさん。今すぐ目を覚まさせてあげるから」


 物凄い勢いで去っていった少女の背を見送りながら、男は自分も愛しい人の下へ向かおうとして……思い留まった。


(……君はどうするんだろうね?)


 思い浮かぶのは、金色の髪に翡翠の瞳を持つ、この国の愚かな前世持ちの王子。

 大切な人のために変わろうと努力しているみたいだが、果たしてあの狂気から彼女たちを守れるのか、なんとなく、気になった。


「ちょっと観察してみても良いかな」


 まるでオモチャを見つけた子どものように、男は異臭を放つ廃墟と化した室内で一人笑った。



*****



「そこのお嬢さん」


 見つかったら捕まると、壊れた頭でもそう考えたアカリは、誰も通らないようなジメジメとした路地裏を突き進んでいた。そんな彼女に話しかけたのは、フードで顔をスッポリと隠した老人だった。


「何か嫌なことでもあったのかい?」

「うっさいわね! わたしは今急いでんのよ!」

「まぁまぁ、そんな焦んなさんな……お嬢さんに良い物あげるよ」


 そう言って、老婆が差し出したのは一枚の紙だった。


「お金じゃないの?」

「お金なんかよりよっぽど価値があるさ。一度だけだが、これは願いを叶えてくれるんだから」


 ピクリ と、アカリの手が反応する。老婆はフードの下で笑うと、反応したその手に紙を握らせた。


「いいかい? 願いごとをする時に、お嬢さんの血を一滴垂らすんだよ」

「……そうすれば願いが叶うの?」

「ああ、そうだよ。ただ、さっきも言ったけど、それは一回しか使えないからね。よく考えてから使うんだよ」

「……ふんっ。いいわ、もらってあげる」


 アカリはドレスのポケットに紙をしまうと、再び物凄い勢いで歩き始めた。何処へ向かえばいいのはわからない筈なのに、迷わず進むその違和感には気付いていないようだった。


「……さようなら、転生者さん」


 俺も転生者だけど。


 老婆がいた場所には、朱色の髪をした少年が一人笑っていた。


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