第32話 切っ掛けは些細なことだけど(マリア視点)
※マリアとノエルの出会いの話しです。
アタシが教会付属の孤児院に来たのは二年前。八才の時だった。
それまではスラムのボロボロになった廃屋や屋根裏……色んな場所を転々としていた。父親はアタシが四才の頃に亡くなり、母親は八才になったアタシを置いて男と去って行った。同時に母に家から追い出されたので、家もない。寒空の下生きていくようになったのは、その時からだ。
父母は元々良いところの坊ちゃん譲さんだったらしい。両家から反対されて駆け落ちして一緒になったようで、頼れるような親戚はいなかった。
近所付き合いは始めこそ良かったけど、父親が亡くなる前に母親が家を空けるようになってから悪くなった。アタシ自身は近所の手伝いをしていたから関わりはあったけど、それでも家を失った時にその関係はなかった事にされた。
困った時には頼ってくれ……そう言われていたからいざ頼ったら、『困るから来ないでくれ』と言われ扉を閉められた。
親戚もいない。頼れる人もいない。そんな状況では、屋根のない生活を送っても仕方ないと、幼いながらに考えていた。
生きていれば腹は減る。捨てられた残飯を漁ることは日常だ。何日も食べるものがない時は川の水や食べられそうな雑草で空腹を紛らわした。
いつまで生きて行くのだろう。いつになったら楽になれるのだろう……自分で死ぬ手段を選べないのに、そんな事を日々考えていた。
今いる教会にたどり着いたのは、深紅の綺麗な髪の少女を見かけた時。
その日は身体が熱くてぼんやりとしていた。空腹を感じないのは良いけど、怠い身体が余計怠くなったのは最悪だった。
どうしよう。声を出すのも億劫で、過ぎゆく人々を眺める事しか出来ない。
そんな時に目に留まったのが、スラムではお目に掛かる事の無い深紅の薔薇のような髪だった。
緩く癖のある長い髪を靡かせるのはアタシと同じくらいの少女。衣服からして、貴族なのは一目瞭然だった。こんな場所に貴族が来るのもおかしい話しだけど、それ以上に少女の髪色に惹かれて目が離せなかった。
(きれい……)
おぼつかない足取りで付いて行く。誰かに置いて行かれるなんて今に始まった事じゃないのに、どうしてもそのまま見送るのは嫌だった。
『ま……ま、て』
自然と声が出た。でもきっと聞えないだろう。少女との距離はそれなりに開いている。
(ま、まって……!)
赤い髪が、大きく揺れる。
クルリと振り返った少女と目が合った。
『……あなた』
小さな口から発せられた声を最後に、アタシの目の前は真っ暗になった。
ふと気が付いた時には彼女はいなかった。代わりにふかふかのベッドに横になっている事に驚く。身体が重くて動けなかったけど、どうやら悪い事にはなっていないようで安堵した。
『まぁまぁ! 起きてくれたのね』
そう言って側に寄ってきたのが、孤児院を任されているシスターだった。
彼女曰く、教会に慈善活動をしに来た貴族の令嬢がアタシを連れてきたのだという。意識も朦朧としていたので夢のような気がしていたけど、どうやら実際の事らしい。夢ではなかったと、ほんの少し嬉しくなった。
『ノエル様は連れて帰るって仰ったけど、先ずは生活に慣れる事から始めましょうって事になって、うちで過ごす事になったのよ』
シスターの言葉に、アタシはただ頷いた。屋根があってベッドで眠れる生活が出来るだけで満足だった。
それからアタシの孤児院生活が始まった。
人と関わる事がなかったせいで、どう付き合えば良いのかわらなくて、独りで過ごす事が多かった。それが苦に思わなかったのが余計独りに拍車をかけていたと、今なら思える。
見かねたシスターが、教会での仕事を教えてくれた。参拝する人を案内したり、外の掃除ばかりだったけど、何もしないでいるより良かった。
(……あの子、いつ来るんだろう)
そんな日々の中で気になるのは、アタシをここまで導いてくれた深紅の髪の少女。聞けば何やら忙しいようで中々来られないようだ。なら仕方ないと諦めるしかないけど、それでもあの赤は常に頭の中にあった。
そんな彼女と再会したのは、アタシが教会に来てから三ヶ月が経った頃だった。
『よかった。元気になったのね』
参拝者の案内もなく掃除も終わりやることがなくなったから、裏庭の木の上で一人ぼんやりと過ごしていれば、真下から柔らかな声が話しかけて来た。
ギョッとして地面を見下ろせば、そこにはあの深紅がいた。
『ねぇ、降りてきて、一緒にお話しましょう?』
屈託のない笑顔で話しかけてくる。確かに会いたかった筈なのに、妙な緊張が身体を強ばらせて、返事をする事も出来なかった。
結局、『もう時間……次はお話出来たら嬉しいわ』と言って彼女は帰っていった。何も話せず無視するようになってしまった自分が恨めしい。
(次は……話せるかな)
そう期待と決意をするも、次に会った時も結果は変わらず、アタシは話す事が出来なかった。
次こそは、また次は……顔を見る回数は増えていくのに、話しかける回数はまったく増えない。
このままじゃ呆れられてしまう……どうしようと焦っていれば、少女は驚く事を言い始めた。
『あなた、スラム出身なのでしょう? そんな貴女にお願いなのだけど……私にスラムの事を教えてほしいの。出来ればスラムに赴いて』
駄目ですか? とお願いしてくる少女に、いつかと同じように木の上にいたアタシは、ギョッとして少女を見下ろした。
貴族の令嬢が何を言っているのか。スラムなんて危ない場所、連れて行けるわけないじゃん! と考えていれば、見上げてくる少女はにっこりと微笑んだ。
『もちろん、タダとは言わないわ。貴女に勉強を教えてあげる。貴女賢いから、直ぐ覚えられると思うわ』
ダメかしら? 小首を傾げながらそんな事を言ってくる。
『……なんで?』
純粋な疑問だった。どうしてアタシなのか。アタシ以上に適任の人はいるだろうに。
『そうね……貴女の髪の色が綺麗だったからかしら』
『……髪?』
『そう、髪。淡いピンク色の花みたいな髪。綺麗って、思ったの』
その言葉に、その笑顔に、何とも言えない感情が芽生えて胸を占めた。
同じだと、髪が綺麗だと思った事が一緒な事に背中がむず痒くなる。普通なら『見たとこそこかよ! ガリガリだったところは!?』と突っ込んでいるけれど、アタシが彼女に思ってたのと同じようにアタシを見てくれた事が、嬉しい。
『……変なの』
『おかしい?』
『おかしくないよ。でも、変なの』
数秒見つめ合って、同時に笑い出す。
なんでも良いんだ。些細なことが切っ掛けなんて多々ある。その切っ掛けが同じな事が、なんとも変で、心が満たされた。
『アタシ、文字も書けないし読めないよ?』
『知ってるわ。でも、勉強したいのは知ってる』
『……なんで?』
『よく孤児院の本棚の前で本を眺めているし、シスターに紙とペンが欲しいってお願いもしていたから』
違った? と、言われて、アタシは頭を掻いた。
(見られてたのか……)
知られて、途端に恥ずかしくなる。
本を眺めていたのは、文字が読めるようになれば彼女に手紙ぐらいは書けるようになるかもしれないって思ったから。紙とペンは本を写し書きすれば文字を覚えられるようになるかと思ったから……理由までは気付かれていないと思うけど、見られていた事はとてつもなく照れくさい。
『……スラムに行く時は、アタシの言うことちゃんと聞いてよね』
『わかったわ』
『前みたいにそのままで歩いちゃダメだよ!』
『護衛の方もいたけれど……そんなに駄目だったかしら』
『ダメだよ。あそこは貴族に対して良く思ってない人の方が多いから……次行く時はマント必須だね』
木から降りて、改めて少女を見る。
惹かれた深紅の髪に似合うアメジストの瞳は、今まで見たものの中で一番澄んでいた。
『ピンク色の髪も綺麗だけど、青い瞳も澄んでいて綺麗ね』
またしても同じ事を考えていた事に、アタシは嬉しくなった。
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