第21話 契約(Side.アカリ+エイベル) ★

※アカリSideの話です




「どうしてよ!!」


 苛立ちのままに叫ぶと、アンジェリカ……もといアカリは、掴んだクッションを感情に任せて壁に投げつけた。

 雑に扱うせいで布地が傷み、投げた拍子にとうとう破れてしまった。

 中の詰め物が外に飛び出し、床に散らばる。その光景が、余計アカリを苛立たせた。


「まったく、ストレス発散にもならないじゃない!!」


 手応えがないのに加え、床も汚れてしまった。何をしてもどうしても沸き上がる怒りと焦りを持て余し、アカリの精神はヤマアラシの如くトゲトゲしていた。


「どうしてよ……アルフレッドに会えたところまでは良かったのに!!」


 ベッドに飛び込んで、寝っ転がりながら親指の爪を噛む。何度も繰り返し噛んだせいで、爪だけではなく指先まで傷んでいた。


 アカリがジュード家に着いて与えられた部屋は、家具も十分揃った、令嬢に相応しい空間だった。

 だが数ヶ月経った今、可愛らしい家具の半分が破損してボロボロになり、所々壁紙も剥がれ、カーテンも薄汚れている。ストレスの捌け口となり、既に処分された物も多々あった。沢山あったぬいぐるみなど、今では一つとして残っていない。


(ウィリアムは王宮に行ったきり帰って来ないし、シェリルも花嫁修業って婚約者の家に行っちゃったし! ていうかあの女! 男隠してたなんて生意気よ!! 知ってたらわたしが貰ってたのに!!)


 お前はヒロインになりたいんじゃないのか? と、思わず突っ込みたくなる事を考えるアカリは、今度は手元にあった枕を何度も殴りつけた。だが、ポス ポス と気の抜けた音しか出ず、怒りは発散されるどころか溜る一方である。


「ちょっと!! お腹空いたんだけど!!」


 声を荒げて空腹を訴える。実際腹が空いた訳ではなかったが、やけ食いをして怒りを抑えようと考えての事だ。

 だが、アカリの声に応える侍女は一向に姿を現さない。

 遅い遅いと怒りメーターがまた上がっていくが、そう言えば侍女を下がらせたままだったと思い至り、サイドテーブルの上にあったベルを掴んで、煩いほど何度も鳴らした。


「如何なさいましたか?」

「お腹空いたの!! クッキーなりなんなり持ってきなさい!!」

「承知致しました」


 間を置かず現れた年長の侍女はそう答えて一度下がると、一分も待たずに紅茶とクッキーを持って部屋に戻って来た。

 事前に用意されていたのだろう。冷静であればその意味に気付けるのに、興奮状態のアカリはそこまで気が回らなかった。


「ふん、おそ」

「では、失礼致します」


 アカリが何か言う前に、侍女は颯爽と部屋を出て行った。何も云わせまいという、まるで腫れ物に触るような態度が、益々アカリの神経を尖らせる。


「どいつもこいつも! わたしはアルフレッド王子の婚約者になるのよ!? こんな扱い、許されないわよ!!」


 ベッドから飛び降りて、テーブルに置かれたクッキーを手に取る。そのままボリボリと貪りながら、自分はヒロインだと喚き続けた。

 口から落ちる食べカスがドレスや床を汚すが、そんな事は気にも留めない。

 今アカリが気にしているのは、ショウの生まれ変わりであるアルフレッドに近づけない事なのだから。


「やっと会えたと思ったのに!! あれから一度も会えないじゃない!! しかもこの前呼ばれたお茶会の後から部屋から出してもらえないし!! わたし、何もしてないのに!!」


 理不尽だ! と憤怒するアカリだが、勿論何もしていない訳がない。

 王子相手に不敬を働き、お茶会の主催を貶めただけでなく、その婚約者に色目を使った。謹慎になるのに十分な行為だが、アカリにはそれが理解出来ない。


「リオン様は確かに優しかったけど、なんだかんだあのモブ令嬢に惚れてるみたいだったし、一体どういう事よ!! 乙女ゲームと同じにしてくれたんじゃないの!? もしかして……エイベルの奴、ウソ吐いた!? あのクソ悪魔!!」

「嘘吐き呼ばわりは心外だなぁ」


 アカリが罵倒した瞬間、それは音もなく部屋に姿を現した。

 闇に紛れそうな黒髪に、青白く冷たそうな肌。それに映えるような、血に飢えた深紅の瞳を持った男が、呆れた目を彼女に向けて、溜め息混じりに口を開いた。


「何度も言った筈だよ。『既に出来上がった世界を元から変えるのは不可能。ただし、一部を想像に近い形に変える事は可能だ』って。それに合意したのは他でもない、君だよ?」


 知らないなんて言わせない、と、青年の声がアカリを貫く。その声は凍えそうな程冷たいが、恐怖より怒りが勝っているアカリには効かないらしい。目の前の男の様子など気にも留めず、彼女は不満を訴えた。


「でも、お願いした乙女ゲームみたいに進まないじゃない! せっかくショウさんの魂を封印してノエル……いえ、あの女に対して無関心にさせたのに! せっかくわたしがエディットした完璧なヒロインの姿で転生したのに!!」

「だから何度も言ってるでしょ? ゲームみたいな世界であって実際は別物だって」

「わたし、そんなの知らない!! こんなの無効よ! 払ったもの返して!!」 


 何払ったか知らないけど! と怒鳴り散らすアカリに、エイビルは堪える事なく盛大な溜め息を吐いた。


(命令だから仕方ないけど……早く終わらせたいな)


 エイベルは上司から承った命令と、アカリと初めて契約した時の事を回想して、後悔と気怠げさに項垂れた。




*****




 悪魔であるエイベルは全てを見ていた。


『どうしてよ!! わたしは何も悪くない!! 悪いのはショウさんとの仲を妨害してきたあの女が悪いのよ!!』


 法廷の中央で喚く少女――アカリを見ながら、呆れた様に息を吐く。裁判官も眉間に皺を作ってウンザリしていた。お互い大変ですね と、心の中で労をねぎらうくらいには疲れている。


(脚抱えて川に落すなんて、確実に殺す気が無いとそんな持ち上げ方しないでしょ)


 故意じゃなくても罪に問われる行為なのに、脚を持って確実に落すという悪意の塊を、どう解釈すれば「何もしていない」になるのだろうか。

 既に考える事を放棄しているのか、はたまた自分は本当に何も悪くないと思っているのか……恐らく後者だろう。エイベルから見ても、アカリの価値観や言い分は幼稚なものばかりであった。


「はぁ……これ以上“あの方”を怒らせないでよ」


 勘弁してよね、と、上司の怒りを思い出して、まるでしなびた野菜のようにげんなりとした。


 悪魔・エイベル

 それが彼の名であり種族であるが、悪魔というには少し語弊がある。

 エイベルは悪魔ではあるが、その役目は死神に近い。それも救いようのない人間を更に堕としてから魂を連れていくのだから、純粋な死神より質が悪かったりする。

 

 そんなエイベルがフジモト一家に憑いたのは、同じ死神悪魔な上司にそう命令されたからだ。

 上司はフジモト家にやたら固執していた。勿論、良い意味ではなく、物凄く悪い意味で。

 フジモト夫婦とその娘・アカリに対して、上司は報告が上がる度に死のオーラを放っていた。そのオーラで何人も犠牲になったが、その度に笑顔で『ごめんね、つい』と謝罪にならない謝罪をするのだから、被害を被った者からすればたまったもんじゃない。

 上司の怒りの理由を、エイベルは聞いた事がない。しかし悪魔の中でも温厚な上司がここまで怒るには、それ相当の理由が有るのだろうと勝手に考えている。要は、他人事なのだ。

 だが、両親と血の繋がらない長女・ミツキへの異様な執着には興味があった。

 至って普通の少女であるミツキの何処が気に入ったのかと、エイベルは不思議で仕方なかった。


 そしてある日、事態は急変した。

 アカリがミツキを殺したのである。


 ミツキの死に上司は嘆き、彼女の命を奪ったアカリへの怒りで、周囲にいた下等悪魔が一瞬にして塵と化した。その時はいつもの謝罪もなかったらしい。

 当時、エイベルは別の用事で出かけていて命拾いした。後から現場は悲惨な状態だったと同僚に聞いた時は、「居なくて良かった」と冷や汗をかいたものだった。


『徹底的に落せ』


 上司の命令に、エイベルは素直に従った。殺されるのは真っ平だ。


 そして現在……


「ねぇ、お嬢さん」


 囚人服に身を包んだアカリの目の前に、エイベルは人の良さそうな笑みを浮かべながら姿を現した。


 形も確定して刑務所に入ったアカリは、他の受刑者とトラブルを起こし、その騒動の隙に脱獄した。

 細い身体の何処にそんな体力があるのかと不思議に思うほど、アカリは立ち止まる事なく刑務所から離れて行った。

 そして夜になり、アカリは身を隠すために廃墟と化した神社に入り込み、身を縮こめて寒さに耐え始めた。

 そんな彼女の前に、エイベルは姿を現したのである。


「悔しくない?」

「……え?」

「こんな風に追い詰められるの、悔しくないかと思って」


 努めて優しく、そして興味を惹くように語りかける。

 逃げられては困るのだ。上司の命令通り彼女を落さないと、今度は自分が塵になる。失敗は許されない。


「俺が手伝ってあげるよ。勿論、対価は貰うけど」


 その誘いに、アカリはニヤリと笑う。

 簡単に釣られた少女に対し、彼もまたニヤリと笑った。


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