第3話 復讐を誓う少女

 今にも雨を降らしそうな錆鼠色の厚い雲が地上を押し潰そうとするかの様に覆う薄暗い空。


 この様な天気であるからか、いつもよりも肌寒さを感じる。そんな憂鬱になりそうな日の午後、私はとある屋敷へと招集された。屋敷に到着すると、そこには警察と私の所属する特務部隊の人間達が忙しく動いている。


「お待ちしておりました、レオンティーヌ隊長」


 出迎えてくれた特務部隊のカルラ副隊長が私へと敬礼する。それに答礼した私をカルラが屋敷の中へ案内してくれた。広い廊下を真っ直ぐ進んでいくと、一際大きな扉の前で止まるカルラ。そして、その扉をがちゃりと開く。


 臭いな……とても臭い。


 開いた扉から、むわりと悪臭が溢れ出し私の体を包んでいく。


 部屋に足を踏み入れた私の目に四体の転がる死体が入ってきた。この屋敷に住む夫婦とその十歳になる娘。そして、メイド長の女。首を鋭利な刃物で斬り裂かれ絶命している。


 部屋中に飛び散っている血痕。


 そして、本来であれば白くふかふかとしていたであろう絨毯が四人の血を吸い、ごわごと硬く固まった錆色へと変色していた。


 悪臭の根源はこの血ではない。


 この部屋に残された残留思念。


 しかも、それを発していた人間はまだこの屋敷にいる。


「他の部屋で死んでいた使用人達も皆、同じ殺され方です」


 一通りの報告をカルラから聞くと、第一発見者であり通報してきた使用人がいる部屋へ移動した。その部屋の扉をノックしようとした時である。


 あの悪臭がする。鼻の曲がりそうな程の悪臭。しかし、副隊長は平然としている。何故ならそれは他の者は臭う事ができない感情の臭い。


 


 扉をノックし部屋へ入る。そこには数人の警官と特務部隊隊員に保護された使用人がいた。


 やはり、臭い。


 あの悪臭の根源はここにいる。密度が違うのだ。だが、怯えた顔をしてこちらを見ている使用人からではない。


 私は使用人の前に行くとその肩を掴み横へずらした。使用人の影から幼い少女が現れた。





 七歳程の少女。


 銀色をした絹糸の様な美しく長い髪。大きなリボンのついたカチューシャが良く似合う。場違いなフリルのついたドレスを着ているその少女は大きな目でレオンティーヌをじっと見ている。


「当主の末娘、デシデリアです」


 ぞろりとその少女の体からあの悪臭が流れ出してきている。


 この子か。


 昨晩は使用人と共に親戚の家に泊まりに言っており事なきを得たデシデリア。そのデシデリアに近付こうとした時である。特務部隊の隊員が部屋へと入ってきてカルラに耳打ちをした。それをまたカルラが私へと伝える。


「わかった……すぐに向かう」


 私とカルラは、特務部隊隊員に案内され部屋を出た。


「ここです」


 特務部隊隊員に案内されたのは、本邸と別棟の繋がる大きな扉の前。隊員の話しではその脇に隠し扉があると言う。壁にしか見えない。だが、隊員がそっとその壁に触れると、ゆっくりと隠し扉が開いた。先の見えない真っ暗な狭い通路。カルラが呪いを唱えると三人の前に小さな炎が浮かんだ。





 本当に狭い通路である。大人が一人、やっと通れる位の通路。そして、いくつかの鉄の扉が三人の前に現れたが、全て鍵は外されていた。地下へと続く階段を降りると、鉄格子のついた扉の先にある狭い部屋へと辿り着いた。床に転がる汚い食器と枕だと思われる物体が転がっている。


 ここに人がいたのか?


 人ではなかったなら獣か?


 食事を与えられていたと思われる汚れた食器の中にスプーンがある。やはり、ここにいたのは人か。私はこの窓さえない部屋に幽閉されていた人間を想像する。


 僅かに残る悲しみ、怒り、絶望の臭い。


 しかし、誰かが連れ出したのだろう。外からしか掛けれないはずの鍵が全部外されていた。


 もう一度、使用人とデシデリアの元へと戻り、その事を尋ねてみた。しかし、使用人もデシデリアも知らないと答えた。これは強盗に見せかけ、地下に幽閉された人間を助ける為の殺人なのか?それとも、偶然に地下牢を発見したのか。いくつかの線で調べる必要がありそうだ。カルラへその旨を伝えた。


 そして、部屋を出ようとした私の制服の裾をデシデリアがぎゅっと掴んだ。


 国内外の犯罪者やテロリスト達から『死神』と恐れられている特務部隊隊長の私。


 顔面蒼白となった使用人が慌てて謝りながら私の裾から手を離すようデシデリアへと伝えているが、全く聞き入れず、さらにその小さな手に力を込めた。


「……私を……私を強くしてください」


 俯きながら蚊の鳴く様な声で私へと言うデシデリア。


「……」


「あなたは強いのでしょう?お願いします、私を強くしてください!!」


何も言わない私へ、今度はしっかりと私の目を見て叫ぶ様に言った。あの悪臭が強く、そして濃ゆくなっていく。


「カルラ、この子を私から離せ」


 カルラが私から嫌がるデシデリアを離した。カルラの腕の中で暴れるデシデリア。


「いいか、デシデリア。私は特務部隊隊長だ。復讐の為の手助けなどできない」


 そう言い残すと私は部屋をでた。部屋の中からデシデリアの泣き叫ぶ声が聞こえる。


 私は無視して屋敷を後にした。






 それからしばらく経った日の事である。


 あの屋敷で起こった殺人事件は殆ど何も進んでいない。恐らくは……と言う人物の特定はできている程度である。しかし、証拠も何もない。


 そんな時である。


 私は上官に呼ばれ、本部へと向かった。本部に着き秘書官に挨拶をすると、こちらへと上官の元へと案内された。


 秘書官と共に上官の執務室へ入った私は思わぬ人間と再開した。


 大きなソファの上にちょこんと座る少女。


 美しく輝く銀髪、黒のリボンのついたカチューシャ。そして、やはりこの場に似合わない純白のワンピース姿。そうデシデリアである。


 嫌な予感がする。


 デシデリアの親は各方面に顔の効く実力者だった。


「やぁ、レオンティーヌ。忙しい所をご苦労さま」


 にこにこと笑顔を浮かべている上官と対照的に、無表情で私を見ているデシデリア。


『デシデリアを特務部隊予備生訓練所に通わせる』


『お前の家に住まわせ、通わせろ』


 上官の言葉。


 無茶苦茶である。嫌な予感がしたが、その更に上をいっていた。


 あれからデシデリアは使用人に協力を頼み、親戚の力を借り、各方面へと手を回したようである。


 その結果がこれだ。


 訓練所に通わせるだけではなく、私の家に住まわせる。


 頭が痛かった。


『生活費その他はデシデリアが受け継いだ遺産から払われるので心配するな』


 そんな問題ではない。


 私は隣を歩くデシデリアを見た。


「本当に良いのか。お前が育てられてきた様な生活ではないぞ?」


 私の言葉に頷くデシデリア。そのデシデリアが私の手を握ってきた。小さなくて柔らかい掌。なんの苦労もなく幸せな家庭で育てられてきた証。


 そのデシデリアが自ら厳しい道へと飛び込んだ。一体、どれくらい持つだろうか。


 すぐに音を上げ逃げ出すだろう。私はそう思った。それで良い。現実を見せて平穏な生活へと戻してやろう。俯き、下ばかりを見て歩いている幼い少女。


 私とデシデリアの生活が今日から始まった。

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