第2話 戦災孤児の少女
僅か五歳の幼女が、大人の私の歩調に合わせようと、追いついては離れ追いついては離れ、それでもこの子は一生懸命、私と一緒に歩こうとしている。
たくさん、汗をかきながら。
私と歩いて何が楽しいのか分からない。だが、必死で着いてくるこの子は、私と視線が合うとにこりと笑う。
小さな五歳児。
やはり疲れてしまったのだろう。次第に追いつけなくなってしまった。はぁはぁと息の上がる幼女は半べそをかきながら、それでも泣き言一つ言わずに歩み続けている。
立ち止まる私。
それに気付きたその子の足も止まる。
私はその子の側へと歩み寄った。もじもじとして私を見ている。
私はその子の前に立つと見下ろすようにして見詰めた。
この子と出会ったのは国境沿いにある街の中である。長引く隣国との戦争。その隣国との国境沿いにあるこの街は、昼夜問わず銃声の絶えない激戦地であった。
私はそこへ派遣された特殊部隊の隊長。数多くの極秘任務をこなし、勲章も数えきれない程に授与された。
そして、私の率いる特殊部隊は無事に作戦を成功させたが、また隣国が攻め込んで来る恐れられありとの事で、この街に残った。
酷い有様である。
そこら中に転がる死体。それは兵士だけではなく、年寄りから幼い子供の死体もたくさんあった。また、それらが腐り、蝿が集り、衛生状態も最悪である。
私達は、まず死体を片付ける事から始めた。
まともな死体などない。全ての死体が何処かしらに銃弾を受け穴が開いているか、砲撃を食らい、体の一部が吹き飛び無くなっている死体だ。
死体は数箇所に集められ、山の様に積まれていった。その腐臭でいくら鍛え抜かれた特殊部隊の隊員達も噎せかえってしまう程だった。
その死体の山に油を撒き火を着ける。
それは私がやった。
ぼふっと爆ぜる様な音と共に、その山を炎が包み込んでいく。肉や髪、爪等が焼ける臭いが辺りへと飛んでいく。風に運ばれ、その煙がゆらゆらと揺れている。私はポケットからタバコを取り出し口にすると、それを黙って見上げていた。
それらがひと段落すると、街の警邏を開始した。この状況に便乗し悪事を働く輩が現れるからだ。
案の定、そんな馬鹿共はどこからともなく湧いてきては、私達が始末した。追い剥ぎ、盗人、レイプ。
そんな事をしてどうなる。
しかし、それだけこの街の、……否、近隣に住む人間の心が荒んでいるのだろう。戦禍に継ぐ戦禍。心休まる日などありはしない。
そんな頃の事である。
いつもの様に警邏していた私の後ろを、小さな女児が着いて来ている事が度々あった。戦災孤児だろうか。いつも汚れた身なりをしていた。
それが幾度となく続いたある日の事。
その子が小悪党から攫われようとしている現場に鉢合わせてしまった。どうやら、この様な小さな幼女でも、特殊性癖のある人間からしてみればお宝の価値があるらしい。それを専門に戦災孤児ばかりを狙う人攫いがいる事を噂で聞いた事があった。まさか、それを目の前にするとは思いもよらなかったが。
「その手を離せ」
私は人攫いに剣を向けた。声を掛けたのが特殊部隊隊長である私だと気付いたその男は幼女の手を離し逃げ出そうとした。だが、私はすぐさま追いつき、その首を刎ねた。
「怪我はないか?」
ぶるぶると震えながらも頷くその子は、そのまま俯き、自分のスカートの裾を固く握っている。
怖いのだろう。
人攫いから攫われそうになった事もだが、目の前で人間の首が刎ねられたのだ。
「私はベルナルダ。お前は?」
「……アデリナ」
「そうか、アデリナ。両親は?兄弟は?」
ふるふると首を振る。やはり、戦災孤児なのだ。私はそれから警邏中にアデリナと歩いた。歩いたと言っても、アデリナが勝手に着いて来ていただけなのである。また、時折、食事を与え話しをしてやった。
そして、私が帰還する日が来た。
美しかったであろう亜麻色の長い髪は、全く手入れされておらずぼさぼさで本来の艶を失い、顔も洋服も、見えている四肢、その全身を土と埃と垢で汚れてしまっている。
裸足のその小さな足。
怯えのこもった瞳。
私はアデリナを抱き上げた。
とても軽く痩せた体。
しかし、暖かかった。
驚きを隠せないアデリナの表情。何が起こったのか理解できていない様子である。この様に抱かれる事自体、久しぶりなのだろう。
だが、この子は現状に頭が追いついたのか、照れた様に微笑むと私を、その小さな腕でぎゅっと抱き返してくれた。
「ベルナルダ……」
「アデリナ、私と一緒に来るか?」
私の肩に頭を持たれ掛けて呟くアデリナへ私は尋ねた。これで良いのだろうか。この子は私と歩みを共にしても後悔はしないのだろうか。
そんな事は分からない。
でも、もう私はこの子を、アデリナを抱き上げている。もう引き返すことは出来ないだろう。
「行く」
今日から私とアデリナは共に歩き始めた。
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