闇夜に泣く鬼

ちい。

プロローグ

第1話 幽閉されていた少女

「さよなら……一緒にいれて本当に幸せだったわ……」


 その言葉を最後に彼女の首は刎ねられた。


 私の足元へごろりと転がる彼女の首。泣いているような笑っているような顔をしている。私はその首を抱いた。抱いて泣いた。


 首を刎ねた役人達はそれを黙って見ているだけだった。誰も止めようとしない。


 最後の慈悲なのだろう。大罪を犯し処刑された彼女。その彼女に拐かされて十三年間、育てられた私。産みの親の顔なんて知らない。


 私が拐かされたのは産後間もない赤ん坊だったから。私が母親と呼ぶのは彼女だけだったから。


「ああああぁぁぁぁーーーっ!!」


 思い切り泣いた。山々に響き渡る位の声で。


「許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さない、許さないっ!!」


 私は彼女の傍らに落ちていた両刃の剣を掴んだ。そして、その場にいた役人達を全員殺した。


 彼女が私の為に作った純白のワンピース。それが役人達の返り血で深紅に染まっている。


「お母さん……」


 私はまた泣いた。






 それから私は一人で生きた。


 彼女から教えて貰った事を思い出しながら、泥水を啜り、人を騙し、そして殺し生きてきた。


 何年経ったのだろうか。


 彼女を失って。


 一人、暗い陰の中に引きこもって。


 今日もまた、生きる為に人を殺そう。そう生きる為に。


 私は前々から目を付けていた屋敷の前に立った。


 臭う。

 

 私の嫌いな臭いがする。


 幸せそうな家庭の臭い。


 私は湾曲した歯を持つナイフを二振り手に取った。


 ククリナイフ。


 彼女が私に遺した唯一の形見。このナイフでたくさんの人を傷つけ殺した。初めて手にとった時と比べ研ぎすぎて刀身が細くなっている。それでも、鋭さは変わらない。


 殺るか……時間だ。


 とんっと地面を蹴った私は、その屋敷の周りを囲っている塀の上に立った。






 月のない闇に包まれた夜。朔夜。


 庭に植えられた木々の枝に生い茂る葉が風に揺らされ、互いの体を擦り合わせ音を出している。私は塀の上から音もなく屋敷の敷地内へと降りた。


 やっぱり臭い。鼻がひん曲がりそうだ。


 だから殺す。


 一片の光りさえない闇夜は、私にとって居心地が良い。陰の中で生きてきた私にとてもお似合いの夜。


 広い庭だ。


 この様な金持ちの住む屋敷でさぞかし幸せな生活を送っているのだろう。そう思うとナイフを持つ手に力が入る……と、その時だ。


 つんと鼻をつく幸せの臭いとは違う臭いがした。


 この臭いは……悲しみの臭い。なぜ……この胸糞の悪い幸せの臭いの中に。


 しかし、その臭いはすぐに消えた。まるで私に勘違いだと思わせる様に。だが、勘違いではない。確かに臭った。


 私はその臭いに興味が湧く。幸せの中にある悲しみとは……屋敷の裏口に着いた。


 カーテンの閉まった窓。


 そこから零れる光り。


 カーテンの隙間から見える室内。そこにいたのは、この屋敷に仕える使用人達の姿。


 三人。


 それぞれが窓へ、そして、裏口の扉へ背を向けている。そっと扉のノブに手をかけた。ゆっくりと扉が音無く開いていく。


 するりと滑り込む私に誰も気づかず、喉を斬られ死んでいく。


 抵抗なく滑り込むナイフの刃。


 噴き出す鮮血が部屋中を染めていく。


 ひゅうひゅうと空気の漏れる様な音で何かを言おうとしている一人の使用人が私へと手を伸ばす。


 放って置いても死ぬ。騒がれること無く絶命する。


 しかし、私はその使用人へ歩み寄ると、天井を見つめてぱくぱくとさせている口へ踵に思いっきり体重を乗せて踏みつけた。


 使用人の体がびくりびくりと痙攣しているのが靴底から足裏、膝、そして私の脳まで伝わってくる。


 そして、私はすぐにこの部屋から出ずに、テーブルに置かれていた幾つかのパンに食らいついた。もしゃもしゃと口に入れては飲み込み、また口に入れる。


 久し振りのまともな食事にありつけた。


 腹が膨れた私は部屋の扉を僅かに開き、廊下の様子を伺った。人の気配すらない。流石にこの時間になると別棟になるここには誰も来ないのだろう。






 薄暗い廊下に出る。


 仄かに照らす壁掛けランプの灯り。


 その灯りがゆらゆらと私の影を揺らしている。廊下の先からあの臭いがしてくる。迷いなく進んでいく。


 ゆっくりと進む。足音を立てずに。


 さらに臭いが濃ゆくなってきた。目の前には大きな扉。その扉の隙間から反吐が出そうな程に溢れ出てきている。


 ちっ……私は思わず舌打ちをしてしまった。ここ最近で一番、胸糞の悪くなる臭い。だが、またあの臭いがした。あの時よりも強い。


 悲しみと……そして……


 憎悪がこもっている。


 面白い、面白い。


 私は思わずにたりと笑ってしまう。ぞくぞくと痺れてくる背筋。かつてない程に強い、その臭い。この噎せ返る様な幸せの臭いの中に混じる、これ程までの悲しみと憎悪の臭い。


 私は見たくなった。


 その臭いの根源を。その臭いを出す人間の顔を。


 私は大きな扉の方ではなく、その横へと伸びる暗い通路へと進んだ。僅かな灯りさえない通路は鼻を摘まれても分からないだろう。また歩を進める毎に臭いだけではなく、その密度まで濃ゆくなっていく。先程までの廊下の三分の一程の通路。大人の男であれば身を縮めて歩かなければなるまい。


 ぞわりと立つ鳥肌に私はぶるりと身震いをした。すると、目の前に頑丈そうな鉄の扉が現れた。私の掌程の南京錠がかけられている。


 ひんやりとしている。


 私は小さな声でまじないを唱えた。ぽふっと言う音と共に、三センチ程の火の玉が南京錠を照らす。


 埃がついていない。


 この扉は一日に数回は開けられている。


 また、呪いを唱えるとかちゃりと南京錠がその役目を放棄した。落ちないように手に取ると、ずしりと重たい。


 それを床に置くと扉を開けた。先程よりもむわりとした臭いが私を包んでいく。


 悲しみ、怒り、憎しみ、そして絶望感。


 扉の先にある地下へと続く階段を降りていき、その臭いの元へと急いだ。


 厳重であった。


 先程の様な扉が幾つもあり、奥に進めば進む程に鍵も複雑になっていく。だが、私にとってそれを解除する事はさほど難しくはなかった。


 私の知っている呪いは彼女から教わった生き抜く術の一つ。


 じめりと湿気が体に纏わりついてくる。普通の人間には不快なこの通路も、私は大好物であった。


 奥へ奥へと進んで行く。


 最早、これがあの屋敷の地下だという事さえ忘れてしまいそうである。なにか山奥の洞窟をお宝目指して探検している様な気になってしまう。


 お宝……そう、あの臭いを放つ人間。


 そして、私の目の前に最後の扉が現れた。


 なぜ、それが最後の扉と分かるのか。簡単である。


 その扉を見た私は、またにたりと笑みが零れてしまう。






 鋼鉄製の扉。


 だが、今までと違うのは上半分が鉄格子で出来ている。近寄らないと中が見えない。足音を忍ばせて近付く私。鉄格子一本の太さが三センチはあろうか。まるで猛獣でも捕らえていそうな程の頑丈さ。


 そして、遂に私は扉の前に辿り着いた。


 扉の中を覗き込んだ私。


 僅か6.5㎡程の部屋。


 狭い部屋の床に汚れた食器が置いてあり、それ以外は毛布かと思われるボロ布が一枚と枕と呼ぶには悩んでしまう物体が一つあるだけだった。その部屋の隅に膝を抱えた人影が上目遣いでこちらを睨んでいる。


 私はその人影とばちりと目があった。


 それはとても幼い少女であった。


 ぼさぼさでべとついた髪、泥にまみれた洋服。その洋服から出ている痩せこけた四肢。幼い少女らしく丸くふっくらとした頬ではなく、私が隠れ住むゴミ溜めスラムの路地裏に住む孤児達と変わらぬ骨ばった頬をしていた。


 驚いた……あの臭いの根源の主が、この様な幼子とは。


 暗いのでよく分からないが、年の頃は七歳程か。


「お前は……この屋敷の娘か?」


 無言でこくりと頷く少女。


「その娘が何故、こんな所にいる。座敷牢より酷いぞ?」


 むわりと臭いが濃くなっていく。


 幾つか質問をしたが、何も答えない。


 ただ、家族の事を聞くと臭いが強く、その密度が濃ゆくなる。


「名はなんと言う」


 返答を期待せずに尋ねた。しかし、少女は小さな声で私の問いに答えてくれた。


「……レーヌ」


 レーヌ……女王と言う由来のある名前。だが、この扱いはとても女王にするものではなく、奴隷に……否、獣以下の扱いだ。


 私をじっと見つめる少女。目はまだ生きている。


 ここから出せと。


「良い目をしているな……」


 本当に面白い。


 面白すぎて叫びたくなる。


「私はアドリアナ。どうだレーヌ、私と一緒に来るか?ここよりは少しはましな生活は出来ると思うぞ」


 私の言葉に目を大きく見開くレーヌ。ゆらりと立ち上がり扉へと近付いてくる。


 あぁ……決まりだな。私は呪いを唱え扉を開けた。

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