第4話 奴隷だった少女
夜空にこれでもかと自己主張する満月の明かりさえ届かない暗い路地裏に、ぼろぼろの衣服を身に纏った少女が、小枝を思わせるか細く骨の浮いた四肢を縮めて、まるで球体の様に丸くなり横たわっていた。私は、その少女をつま先でこつんとつついた。
ぴくりと動く少女。
どうやら死んではいないようである。
私は少女の横に屈みこむと、羽織っていたボロ布を捲った。四肢同様、骨の浮いた痩せた体。所々に殴られたのであろう、真新しい痣や治りかけの傷が無数に見える。少し捲っただけでこれだけの傷や痣を発見できた。一体、全身にはどれほどあるのだろうか。
傷だらけの少女の薄い胸が浅く上下している。
奴隷なのだろうが、四肢には
買うなら十五、六歳程が良いと言われている。
一から教育しやすく、また、日常の仕事だけではなく、特殊性癖の持ち主ではなくても楽しめると言うのがその理由らしい。
それに男女は問わない。男は女の子を、女は男の子を買う。否……同性を選ぶ者も多いと聞く。
裏では質の高い奴隷を売買するオークションもあるらしいが、詳しくは知らない。
虫の息。
放っておけば死ぬだろう。それも少女の運命だ。
七歳位の少女。
白く長い髪は泥に塗れ、身に纏うボロ布と比べても変わりのない汚れた体。
私はその少女の頬に触れた。幸福な家庭に育てられていたならば、ふっくらとして丸く柔らかだったであろう頬。幼い少女とは思えない程に頬は薄く固かった。
「ううん……」
少女の唇が動く。
思わず頬から指を離す私。微かに瞼を開いた少女の双眸に私は目を奪われた。深い深い緑色をした半透明の宝石。まるで翡翠を思わせる瞳。私と目が合った少女は、寝転んだまま起きようとせず、痩せこけて汚れた全身を震わしながら、私をじっと見つめている。
怯えている。
それはそうだろう。路地裏に棄てられ、気がつくと知らない大人から覗き込むようにして見られているのだ。
縮めていた四肢をさらに自分の体へと引き寄せ、身を守ろうとしている。私はどかりと少女の横に座った。
びくりとする少女。まるで怯えた小動物であった。
さて……どうしたものか。
私は思案する。
殺すか……
どうせこのまま放っておいても死ぬ。
間違いない。
ならば、せめてひもじく苦しみ餓死せぬように楽にしてやるのも良かろうなぁ……私は刀を鞘から抜いた。少女の目が大きく開く。零れそうな緑眼。美しいその瞳に私の姿が映っている。
「のぉ……ぬしは幾つじゃ?」
私の問いに少女が戸惑う。
何も答えない少女。
否、答えられないのであろう。自分の歳さえも分からぬ。奴隷として今まで飼われていたのならしようのない事だ。奴隷に年齢を知る必要はない。ただ、ご主人様の命を忠実に守れれば良い。
弱肉強食。
弱ければ死ぬか奴隷。それ以外にない。そんな世の中だ。
それこそしようがないのだ。
「ならば名は?」
それも答えない。名は無いのか。奴隷でもその呼称位はある。名前さえつけて貰えず棄てられたか。
憐れなり。名もなきまま生を終える。
「のぅ、幼子よ……このままでは死ぬぞ」
「……嫌だ」
はっきりとした強い口調。一瞬だがその翡翠色の瞳に力がこもったのを私は見逃さなかった。
生きたいと言うのか。そう思うのか。
面白い面白い面白い。
私は少女の白髪を掴むとぐいっと引き起こした。歪む少女の表情。その少女の顔に私は鼻先が触れそうな程に顔を近づけた。
「生きたいか?」
無言で頷く少女。
良かろう。生かしてやろうぞ。
「ぬしは私を雇え。ぬしが生きるために働こうぞ」
私の言葉に驚きを隠せない少女。
「何故?」
「気紛れじゃ。私の気が変わらぬうちに答えを出せ」
じっと私の目を見つめている。
「私は……何も持っていません」
「金か?金はぬしが生きて……生き抜いて稼げるようになったら払え」
さらに驚く少女。私はにたぁっと笑うと刀を鞘へと納めた。
「さあさあさあ、どうする?!このまま死ぬか、それとも私を雇い生きるか。二者択一ぞ?」
「生きる」
はっきりとした強い口調であった。みすぼらしく痩せこけた体に似合わぬ瞳に宿る光り。
ぞわりと私の体に電流が走る。
「ふへっふへっふへっ……良い顔付きじゃ。ならば私を雇うか?」
力強く頷く少女。
「私の名は
「夕顔……傭兵」
「そうじゃ。しかし、ぬしに名がないのは不便じゃのぉ……」
夜空を見上げた。丸く大きな月が浮かんでいる。
「
「赫映?」
「そう……ぬしの瞳にぴったりじゃ」
そう言うと私は赫映を立たせた。下肢に力が入らないのかよろりとふらつく赫映。
それでもしっかりと地に足をつけて踏ん張っている。ろくに食事も取れなかったのだろう。
「ふへっ、危なかしいのぉ。まずは風呂と食事じゃな」
私も赫映の隣に立ち上がるとその小さな掌を握った。強く握ると壊れそうな掌。その赫映の掌に力が入り私の手を握り返す。
「生き方を教えてやる」
私は赫映にそう言うと、闇の中へと歩き出した。
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