第11話 笑う魔女

「王に弓引く逆賊の半獣ども! 貴様らは完全に包囲されている!」


 王都の外れにある、寂れた孤児院。一般兵士百名を従えた三十の近衛兵が、崩れ朽ちかけた囲いを蹴り破って侵入していた。それぞれが魔力強化の白銀甲冑で完全武装し、魔道具としての機能を持った剣や槍を構えている。

 聖女教会からの密命により、即時動員可能な最強戦力を全投入。総勢百三十もの大部隊で孤児院一帯を封鎖し、猫の子一匹逃がさないという万全の態勢だった。


「大人しく投降しばくに着くが良い!」


 ヒステリックな怒鳴り声を上げているのは、王弟エルタ。近衛騎士団長にして宰相モーグウェル侯爵の政治的後ろ盾、口さがない連中には“愛人”と呼ばれる優男だ。王とは年の離れた末弟で、性的嗜好により密かに王位継承権は剥奪されている。エルタ個人は平民や亜人に対して悪意も害意も差別意識もない。


 王族と、王族に有用な上位貴族以外の生き物は皆、“”と考えているだけだ。


「孤児院から反抗するものがあれば! いや、逃げる素振りでも見せれば! 即座に殺せ!」


 繰り返し命じているが、いまのところ反抗者も逃亡者も確認されていない。それどころか、誰ひとり姿を見せてさえいない。

 これでは目立った功績を作れないと、エルタの不満は高まる。


 近衛兵は最低でも騎士爵の身分を持つが、高位貴族家の子弟が大半を占める。戦闘職でありながら政治的な意味合いが強く、前線に立つ軍部隊からの風当たりは強い。兵たちは安全な城壁内で着飾った“お飾りの人形おじょうさま”と。そして指揮官である自分は戦闘経験のない“未通王女おひめさま”と揶揄されていることは知っている。

 ここで自分の武を示さないことには、王族としての地位を貶められてしまう。


「ケダモノどもを炙り出す! 弓兵隊、火矢を持て!」

「待ちな」


 孤児院の窓枠をひょいと乗り越えて、僧服の女が中庭に降りてきた。

 越えてきた窓が二階のものだったことで、エルタはわずかに疑問を抱く。いや亜人であればその程度の身体能力はあってもおかしくない。警戒すべき状況だと剣を抜く。刃引きした指揮剣ではなく、王家に伝わる宝剣だ。


「貴様、そこで止まれ!」


 十メートル三十フートほど間を置いて、女は足を止める。よく見るとかなりの高齢で、背は低くずんぐりしている。ドワーフか。やはり汚らわしい半獣だとエルタは鼻を鳴らす。


「なんの真似だ! 抵抗するならば殺す!」

「なんの真似も何も、出てこいっていったのはアンタたちじゃないか。どんだけ怯えているんだい?」

「なッ⁉︎ なんだと⁉︎ もう一度いってみろ、王族に対して不敬な!」

「ああ、ご立派な王子様。あたしは、ここの院長をやってるサルファだ。うちの孤児院に何の用か、訊いていいかい?」

「王家に対する反逆を企てた罪で、貴様らに“隷属の首輪”を下げ渡す! なかのゴミどもを全員、そこに並ばせろ!」


 エルタは女の背後、みすぼらしい畑が連なる中庭を指した。

 サルファと名乗った女は驚いた様子も怯えた風もなく、ただ呆れたように首を振った。


「なるほどね。やっぱり、ってわけだ」

「なに?」

「“深潭しんたん”を攻略した勇者たちが“”にされたって話は聞いたよ。平民の旗印をいだ後、今度は王都内の亜人を檻に繋ぎたいんだろ? 開戦後に背後うしろから襲われないようにさ」


 エルタの目が泳いだのを見て、院長サルファは鼻で笑った。亜人が、一応仮にも王族である近衛騎士団長に対して、だ。思わず頭に血がのぼったエルタは、斬り付けようとしたところでゾワリと背筋が粟立つのを感じた。

 女の目の奥に、青白い魔力のほむらを見た。詠唱もなく可視化するほどの魔力を持つ者など、軍の魔導師団にもいない。


 こいつは、まともじゃない。


「き……貴様、それをどこで」

「知ったかって? そんなもの、聞くまでもないじゃか」


 獣人王の統治する山岳国イルファング、ドワーフの鍛冶王が治める工業国ハイアラン、エルフの族長が協議でまつりごとをなす共和国エーデルマン。王国はその三ヶ国に次々と侵攻しては大小七度の会戦すべてで負け続き。“王国には、もう後がない”と女はいう。

 責めるでもわらうでもひけらかすでもなく、淡々と事実を述べるように。


 静かに穏やかに響いてきた女の声に、なぜかエルタは気圧けおされる。王国軍の頂点に立つ近衛騎士団の長に向かって、明確な愚弄に当たる発言を浴びせられながら咎めることすらできない。


「二ヶ月前の合戦じゃ、南部の穀倉地帯をゴッソリ切り取られたね。このまま秋になれば南部の平民は飢え死にするしかないんだ。もう戦端が開かれるは考えるまでもない。それがってことだけさ」

「……半獣風情が、利いた風なことを」

ね? しかも、、だ」


 なぜ、そこまで知っている。

 目の前の女が口にしたのは王国でも宮廷内部、それも宰相閥の者しか把握していないはずの秘匿事項だ。それを、なぜ亜人の孤児院長でしかない、こいつが知っている。


月追い魔狼ヘイティを仕留めて“紅玉こうぎょく魔珠まじゅ”を手に入れ、亜人の身には毒となる“腐蝕魔素ポリュートマナ”を撒く。なりふり構わず後先も考えず、ってことであれば悪くない手だ。敵を倒すためなら国ごと滅ぶっていうのも、ひとつの生き方だからねえ」

「だ、黙れ!」


 周囲の兵たちに聞かせないがためだけに、エルタは大声で怒鳴りつける。

 情報はどこから、そしてどこまで漏洩しているのか。こいつは、ただの孤児院長ではないのか。


「我ら王国軍は、半獣どもを駆逐、し……人間の楽園を築く! それは成すべき使命であり、成されるべき神の摂理だ!」


 ダラダラと脂汗を流しながら、エルタは必死で虚勢を張る。

 その姿を見て、院長と名乗った女はうんうんと優しげな笑みで頷くだけだ。


「なかなかに良い口上だよ。のお手本でも読んでるみたいにね」

「き、貴様……王国軍のみならず、聖女教会にまで、……楯突く気か!」

「いいや、あたしは何もしないよ。する気もない。ただ、アンタたちがとんでもない悪手を選んじまったってだけさ。上手く進めば大火傷おおやけどってのにさ」

「火矢あァ、はなてぇええええッ! 焼き払え! こいつらを、皆殺しにしろぉッ!」


 怯えと恐慌が臓腑ハラワタを這い回る。エルタは泣き喚くような金切り声で弓兵たちに命じた。


「もう遅いんだよ。何もかも、手遅れなんだ。自分たちが敵に回したものが、目覚めさせちまったものが何なのか、まだ気付いてないのかい?」


 孤児院に向け飛んで行った無数の火矢を振り返りもせずに、院長サルファは呆れた顔で首を振る。

 誰の話だ。それは、どこのどいつのことを指している。いま王国にとって脅威となるようなものはない。すべて処分され、更迭され、力と権利を剥がされて拘束された。


はね、あたしでも震え上がるほどの力を持った……だよ」

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