7-8 転生幼女の新たな門出

「どちらかしか選んじゃいけない――なんてことはないと思うぜ、俺は」


 どちらか片方しか選んではいけない……なんてことは、ない?

 それは、つまり――どういうことなのだろうか。

 ミレルカが選べる道は、どちらか一つだけ。セシリアの下にとどまるか、ベルムシオンの相棒として冒険の日々を送るか、そのどちらかだけだ。

 ヴェルトールが口にした言葉を上手く処理できず、ミレルカはぽかんとした目で彼を見上げた。


「え、ええと……ヴェル兄、それは……どういうこと?」

「んー、なんて言えばいいかな……」


 ヴェルトールは何やら難しい顔をし、腕組みをする。

 眉間にシワを寄せて考え込んでいたが、やがてぽつりぽつりと言葉を口にし始めた。


「ミレルカはどっちかしか選べないって思ってるみたいだけど、別にベルムシオンと一緒に冒険しながら母さんたちを助けることもできるんじゃないかって思うんだよ。俺は」

「冒険しながら、セシリア先生たちを助けられる……?」


 ベルムシオンと一緒に冒険する道を選べば、フルーメの町から離れることになるのに?

 ますます首を傾げるミレルカへ、ヴェルトールは言葉を続ける。


「たとえば、ミレルカが旅先で魔法道具を作るとするだろ? で、それを売って金にする。手に入れた金の大部分は旅の資金に当てられるだろうが、そのうちのいくらかを母さんのところに送れば――ほら、遠距離からでも母さんのサポートができるだろ?」

「あ……」


 いわれてみれば、確かにそうだ。

 どちらかの道しか選べないとすっかり思い込んでしまっていたが、ヴェルトールの言う通り、工夫すれば両方の道を選ぶこともできる。

 定期的に手紙をやりとりして仕送りをすれば孤児院の経営を助けられる。

 金銭を送るのが難しくても、売ったらお金になりそうな魔法道具を作って送れば仕送りのようなことができる。


 日常生活の中で役立てられそうな魔法道具なら、セシリアや幼い子供たちの生活を支えることもできるだろう。

 目の前を包んでいた霧が晴れていき、迷子になっていたところを見つけてもらったかのような感覚。


「ミレルカは『どれか一つじゃないと駄目』って考えやすいけどさ。こういうとき、ちょっとぐらい欲張りになったって怒られねぇよ」


 そういって、ヴェルトールはくしゃくしゃとミレルカの頭を撫で回した。

 ちょっとだけ荒っぽさを感じるが、伝わってくる体温はとても優しい。ミレルカが元気をなくしているとき、落ち込んでいるとき、ヴェルトールはこうやって元気を分けてくれた。


 そして、今回も。自分がどうしたいのかを見失ってすっかり落ち込んでいたミレルカを元気づけてくれている。

 少しの間、ミレルカの頭をくしゃくしゃ撫で回したのち、ヴェルトールは再び口を開く。


「それに、俺も定期的に母さんのところに帰るようにするから。だから、ミレルカはやりたいと思ったことをやればいい」

「私が、やりたいと思ってること……」

「冒険、出てみたいんだろ? ベルムシオンと一緒に」


 すとん、と。ヴェルトールの言葉がミレルカの胸に落ちてくる。

 どちらか片方しか選べない――そう思い込んでしまっていたから迷っていたけれど、こうして言葉に出してもらって気づいた。


(そっか)


 自分は。

 ミレルカ・ジェラルペトルは。


(ベルムシオンさんと冒険に出たいんだ)


 セシリアのことが心配だけれど。

 幼い弟や妹たちのことも気になるけれど。

 今、自分は――ベルムシオンの正式な相棒として、冒険の日々を送りたいと思っている。


 それに気づいた瞬間、胸の中にあったもやもやとした感情が消え去っていく。帰り道のわからない迷子のような不安感はどこにもなく、曇っていた空の隙間から光が差し込んできたかのような気持ちが胸いっぱいに広がっている。


「……ありがとう、ヴェル兄」


 はつり。小さな声で呟くように感謝を口にする。

 柔らかな声色で呟かれたミレルカの声を耳にし、ヴェルトールも口元を緩ませた。


「なあに、気にするなって。妹が悩んでいたら道を示すのが俺の仕事なんだから。どうしても母さんたちのことが気になるんなら、俺もこっちに帰ってくる日を増やすようにするし」


 こくり、と。ヴェルトールの言葉にミレルカは静かに頷いた。

 ヴェルトールとは本当に血が繋がっているわけではない。この孤児院にやってきてから兄妹のようにじゃれ合いながら育ってきたけれど、血という深い繋がりはない。

 血の繋がりがある本当の兄妹ではないが、ヴェルトールとは『兄妹』なのだと――改めて感じた。

 ヴェルトールは孤児院に常駐しているわけではない。町の外へ働きに出ている人だ。だから、あまり頼れないし頼ってはいけないと思っていたが。


(……ちょっとだけ、ヴェル兄に頼ってもいいかな)


 ミレルカに道を示して、いつも引っ張ってきてくれた『兄』に。

 頭の中でそう考え、ミレルカはゆっくりと唇の端を持ち上げて目を細めた。自分自身からは目に見えない、ヴェルトールからしか確認できないその笑い方は迷子の子供が自身の親を見つけた際に見せる安堵の笑みだ。


 ヴェルトールも同様に目を細める。

 自身よりも幼い子供――特に、妹のように思っている少女が一人で延々と悩んでいるのは、少々心苦しいものがあったのだ。


「ま、最終的に冒険の道を選ぶかここにとどまるか、決めるのはミレルカだ。すぐに答えを出さず、ベルムシオンがここを発つ日が来るまでゆっくり考えるといい」


 でも、もし。

 もしも、お前がベルムシオンと一緒にフルーメの町を離れるなら。

 そう前置きをし、ヴェルトールは懐から一通の封筒を取り出してミレルカに差し出した。


 フルーメの町にある雑貨屋で販売されている封筒だが、何やら分厚く膨れている。受け取ってみると、何かを小さく折りたたんで入れているかのような感触がミレルカの指先に伝わってきた。

 表と裏を確認してみるが、差出人や宛先などの情報は一切記されていなかった。

 ミレルカは首を傾げ、ヴェルトールへ問う。


「ヴェル兄、これは?」

「中を見たらすぐにわかる」


 ということは、封筒に入っているのはミレルカでも理解できる何かということになる。

 封筒をとめているシールを剥がし、中身を確認する。細かく折りたたんである程度の厚みになっている紙を中から取り出すと、そっと広げてみた。


 少し固めの紙に記されていたのは、さまざまな素材の名前と組み合わせ方、加工方法などが細かく記された――魔法道具の設計図。錬金術師の間ではレシピと呼ばれるものだ。


 は、と。大きく目を見開いて、ミレルカはヴェルトールを見上げる。

 ミレルカの視線に気づいたヴェルトールが目を細め、悪戯に成功した子供を思わせる笑い方をして口を開いた。


「ミレルカの不安を和らげるのにぴったりなものだと思うぜ。ミレルカなら、きっと簡単に作れるだろ?」

「……作ったことがないから、即答するのはちょっと自信がない、けど」


 手元にあるレシピに改めて視線を落とし、ミレルカもかすかに笑みを浮かべる。

 まだ作ったことがない――その言葉に嘘はない。ミレルカ・ジェラルペトルとしてこの世界に生まれ落ちてから、このレシピに記されている魔法道具は一度も作ったことがない。


 だが、ミレルカの中に宿っている『ミレルカになる前』の記憶の中には、この魔法道具の作り方やどのような道具なのかといった知識が含まれている。

 まだ一度も作ったことがないけれど、基本的な作り方はしっかりと頭の中に入っている。きっと、苦労するだろうけれど。


「……作ってみせるよ、ヴェル兄。私が本格的にその道を選ぶと決めたら」


 どこか自信のある声で、ミレルカはヴェルトールにそう返した。


 宣言どおり、完成させなくてはならない。

 ミレルカが安心して、自分自身の新たな道を選ぶためにも。

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