7-7 転生幼女の新たな門出
ヴェルトールと一緒にいるとき、突然風を感じるのは一度や二度ではない。
彼が風を呼ぶのは、魔法を使うとき。短時間で違う場所に移動する魔法を使うときだ。
耳元で歌う風に混じり、ヴェルトールが風の精霊に呼びかけている声が聞こえる。
次の瞬間――ぐありと目に映るもの全てがブレたかと思ったら、次の瞬間、ミレルカの目の前いっぱいに窓ガラス越しに眺めていた景色が広がった。
「よし、到着。ミレルカ、足元気をつけろよ」
「え? あ、うわ……うん」
片手でミレルカの身体を支えてくれているヴェルトールに頷き、そっと足元を確認し、思わず声をあげた。
一瞬で室内から外に移動したのにも驚いたが、ミレルカが今立っている場所は建物の屋根の上だった。夜闇に遮られてわかりにくくなっているが、おそらく過ごし慣れた施設の屋根に立っている。
落ちないように気をつけつつ、ヴェルトールの身体に少しだけしがみつく。
対するヴェルトールは、ミレルカを安心させようとするかのように数回ぽんぽんと頭を撫でたのち、慣れた様子で座り込んだ。
「ここ……屋根の上、だよね?」
「おう。どうしても眠れないとき、よくこうして屋根から夜の町を眺めてたんだ。母さんには内緒な」
そういい、ヴェルトールが先ほどと同じように唇の前で人差し指を立てる。
幼い頃から実の兄妹のように育ってきたが――眠れない夜、ヴェルトールがこんな場所で時間を過ごしていたとは知らなかった。
兄がわりである青年の新たな一面に少しだけ驚きながら、ミレルカも彼の隣に腰を下ろした。
屋根の上から見下ろす夜の町は静かで、人の声はミレルカとヴェルトール以外のものは聞こえない。時折、聞こえてくるのは風の音や虫の声のみだ。
「……すごく静か」
思わず呟いたミレルカへ、ヴェルトールが大きく頷いた。
「だろ? たまにこの静けさが不安を感じさせたり、落ち着かなさを感じさせたりするときもあるんだが……どこか落ち着くものを感じるときもあるんだよな」
特に、何か考え事があるときは。
ヴェルトールの唇から紡がれた言葉がミレルカの耳に届き、心に染み込む。
は、と。ミレルカは弾かれたような動きで隣に座るヴェルトールを見上げた。
「母さんから少しだけど話を聞いた」
ヴェルトールの視線はミレルカへ向かず、眼前に広がる夜の町並みへ向けられている。
しばしの間、ミレルカはヴェルトールを見つめていたが、やがて彼と同様に静かな町並みへと視線を向けた。
渡されたマグカップの中に入っているココアを一口飲む。適度な甘みと温かさがミレルカに身体に染み渡り、ずっと心の中で渦巻いていた不安をわずかに和らげてくれた。
ほう、と小さく息を吐きだしたミレルカへ視線を向け、ヴェルトールは言葉を続ける。
「多分、もう何度も母さんやベルムシオンに言われたと思うけどさ。……ミレルカは、どうしたいと思ってる?」
セシリアにも問いかけられた言葉が、ヴェルトールの唇からも紡がれる。
夜の空気を震わせて己の耳に届いた言葉は、何度も自分自身に対して問いかけた言葉でもある。
自分自身は、どうしたいと思っているのか。
改めて己にも問いかけ、考え込んだのち――そっと、唇からこぼれ落ちたのはミレルカが今抱えている素直な気持ちだった。
「……わからない」
ぽつ、と。
囁くようなとても小さな声が、ミレルカの唇から発された。
一度自身の素直な気持ちを言葉にすれば、水が流れ落ちるかのように、ほろほろと気持ちが言葉になって溢れ出した。
「最初は、ね。錬金術の知識と技術で、セシリア先生やみんなを支えながら生きていけたら、それでよかったの。あんまり有名になってもいいことってないでしょ?」
「ああ」
ヴェルトールが短く相槌を打つ。
人によっては冷たいと感じてしまいそうな相槌の打ち方だが、今のミレルカにはちょうどよかった。
はつり、ぽつり。ミレルカの唇から溢れ出した言葉は、まだ止まらない。
「だから、最初は冒険とか全然考えてなくて……でも、ベルムシオンさんと一緒に冒険へ出たとき、楽しいって思ったの。もちろん怖い思いもたくさんしたけど、ベルムシオンさんと一緒に森を歩いて、冒険するのが楽しくて……」
ミレルカが何か作ってみせたとき、驚いた顔をしたベルムシオンを見れば少しだけ得意げな気持ちになった。
自分が作ったものでベルムシオンの身を守ることができたとき、とてもほっとした。
ベルムシオンがミレルカの力を認め、必要としてくれているのだとわかったとき、とても嬉しかった。
彼の一時的な相棒として一緒に森を歩いた時間は、ミレルカの気持ちに変化を与えるには十分すぎるものだった。
……けれど。だからこそ、ミレルカが自分がどうしたいのかを見失わせてしまった。
「ここで家族を助けたい気持ちも、まだあるの。でも、ベルムシオンさんの相棒として一緒に冒険したい気持ちもあって……どうしたらいいのか、わかんなくなっちゃった」
そういって、ミレルカは夜の町を見つめたまま苦笑いを浮かべた。
言葉の噴流が止まり、再び周囲が夜の静けさに包まれる。
自分自身がどう思っているのか、何を感じているのか――先ほどまでは上手く吐き出せなかったそれを口にするだけでも、胸の中が少しだけ軽くなったように感じられた。
先ほどまでとは異なり、どこか心地よさを感じさせる沈黙がミレルカとヴェルトールを包み込む。
どちらも言葉を発しない状態が続いていたが、やがてヴェルトールがおもむろに口を開いた。
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