7-6 転生幼女の新たな門出

『叶うなら、正式なパートナーとして、ともに旅をしたいと思ったんだ』

『ミレルカはどうしたい?』


 昼間に聞いたベルムシオンとセシリアの声が、ずっと頭の中で繰り返し響いている。

 話が一段落したあと一緒に遊ぶ約束をしていたアリスたちと遊んでいる間も、時間が経って完全に日が落ちた今も、二人の声がミレルカの頭から抜けることはなかった。


 窓の外から見えていた太陽も今はすっかり身を隠し、どこまでも深い夜闇が広がっている。暗青色に塗りつぶされた空には白い光を放つ星々が散りばめられ、ぽかりと浮かんだ月が銀色の光をフルーメの町に落としていた。


 時刻は夜。ほとんどの生き物が眠りにつき、身体を休める時間だ。

 しかし、ミレルカの心と身体が一向に休まることはなく、延々と同じ問いを自分自身に向けていた。


 ――自分は、ミレルカ・ジェラルペトルはどうしたいのだろう。


 答えを出さないといけないのに、肝心の答えは何度問いかけても一向に出てこない。

 今はまだ余裕があるが、だからといって先延ばしにし続けているとあっという間に期限の時は来てしまうだろう。そのときには、後悔をしない選択をしなくてはならない。

 そう考えると、できるだけ早く答えを出しておくべきなのだが――肝心のそれがミレルカの中で出る気配は全くなかった。


「……ううう。早くどうするか決めないといけないっていうのに」


 しんと静まり返った自室で、ミレルカは頭を抱えて唸り声をあげた。

 夜を迎えた室内には、部屋の主であるミレルカの姿しかない。呟かれた独り言に答える声はなく、濃い夜の気配に包まれた空気に溶けて消えていった。


 血の繋がりがある両親を失ったのが五歳の頃。そこからセシリアが運営する孤児院に入り、血の繋がりがないけれど強い絆で結ばれた今の家族を得てから、今。孤児院を出て里親の下に行き、新しい生活を始める子供たちをこれまで見送ってきたが、まさか自分が見送られる側になる時が来るとは思っていなかった。


 ミレルカはきっと、この先も孤児院に居続けて幼い子供たちの姉として生きていくと思っていたから、余計に。


「……これまで孤児院を出た子たちも、こんな気持ちだったのかな……」


 独り言を呟き、ベッドから身を起こす。

 窓から見える町の景色は静寂に包まれており、誰もが眠りについている。

 抱えている悩みを相談する相手がどこにもいないような気分になり、窓枠に頬杖をつき、胸の中に溜まった空気を深く吐き出した。


 こん。こん。


 ふいに。夜の静けさに包まれた空気が揺らされた。

 来客を告げるノックの音。世界に一人きりになってしまったかのような、一種の孤独感を吹き飛ばしてミレルカ以外に人が存在することを告げる音。

 まさかこんな時間に部屋を訪れる人がいるとは思っていなかったのもあり、ミレルカの肩が大きく跳ねた。


「……誰?」


 扉へ振り返り、はつり。問いかける。

 セシリアもヴェルトールも、幼い子供たちも。そして、ミレルカが目覚めるまで傍で待ってくれていたベルムシオンも、この施設にいる人たちはミレルカの部屋がどこにあるのか知っている。

 だが、夜遅くにわざわざ部屋を訪ねてくることは、全くといっていいほどなかった。

 疑問とわずかな不安、緊張。それらの感情を胸に抱えて問いかけたミレルカに答えたのは、何度も耳にした声だった。


「ミレルカ、まだ起きてるか?」


 低めだけれど優しく穏やかで、何度もミレルカを導いてくれた声。

 ミレルカとの血の繋がりはない。だが、それでも本当の兄のように導いてくれた彼の声を聞き間違えることはない。

 どうして、こんな時間に――驚きを感じながらも、ミレルカは扉の向こう側に立つ彼を呼んだ。


「……ヴェル兄?」


 紡がれた声は、小さな声での呟きに近い。

 しかし、ほとんどの生き物が寝静まった静寂の中では、呟き程度の小さな声でも相手の耳に届いた。


「お、よかった。まだ起きてたのか。こんな夜遅くに悪いな、ちょっといいか?」

「うん、別にいいけど……眠れなくてぼんやりしてただけだし」


 半分は本当で、半分は嘘だ。眠れないのは本当だが、ぼんやりしていたのではなく答えが出ない悩みを前に頭を抱えていただけだ。

 だが、悩み事があるから眠れなかった――とヴェルトールを心配させてしまいそうなことを口にするのは、なんとなくはばかられた。


 ベッドの上から離れ、できるだけ静かに扉へ近づいていく。そっと扉を開けば、間接照明で照らされた廊下に立つヴェルトールの姿が見えた。

 昼間に見る姿とは異なり、今のヴェルトールはスウェット型のパジャマに身を包んでいる。上は白い生地で、下のズボンは黒い生地で作られており、普段がかっちりとした印象のある衣服に身を包んでいるからか緩い印象を受ける。

 手にはトレイを持っており、湯気を漂わせる二人分のマグカップがその上に載せられていた。


「どうしたの、ヴェル兄。夜遅くに来るなんて珍しいね?」


 ことりと首を傾げ、ミレルカは自身の中にある疑問を素直に口に出した。

 不思議そうな目を向けるミレルカに対し、ヴェルトールはなんでもないといいたげに緩く首を左右に振った。


「大したことじゃないんだ、ちょっと話したいと思って」

「話? 朝になってからじゃなくて、今?」

「ああ。朝が来たら、またバタバタすると思うし。今のうちにちょっと話しておきたいんだ」


 朝が来るのを待たずに、今話したいこと。

 そんなに急いで話さないといけないようなことがあっただろうか。

 ますます疑問に感じたが、ミレルカも答えの出ない悩み事を前に悶々としていたところだ。ヴェルトールの話したいことが何なのか気になるし、気分転換にもなりそうだし、ちょうどいいかもしれない。

 きょとんとした顔でヴェルトールを見つめていたミレルカだったが、そう結論を出し、小さく頷いた。


「別にいいよ、ヴェル兄が何を話したいのかも気になるし。入って」


 そういって、ミレルカは片手で自分の部屋の中を示した。

 だが、ヴェルトールは首を左右に振り、にんまりと唇の端を持ち上げた。猫のように目を細めて笑う姿は、まるで悪戯を企んでいる子供のようだ。

 ヴェルトールが何かを企んでいるかのような表情を見せるのは珍しい。


「いいや。ミレルカの部屋で話をするのも考えたんだけど……今は母さんも寝てるし、ちょっとだけ悪いことしようぜ」

「ちょっとだけ悪いこと?」

「そうそう。正直、無茶をしたから説教したい気持ちもあるんだが……ミレルカ、母さんが帰ってこなかったときに頑張っただろ? だから、ちょっとぐらい羽目を外してもいいんじゃないかと思って」


 今からすること、母さんにもアリスたちにも秘密だぞ?

 そういって、ヴェルトールは空いている手を軽く握り、唇の前で人差し指を立てた。

 セシリアにも、幼い弟や妹にも秘密――ミレルカとヴェルトールの間だけで共有される秘密。まだ幼いミレルカにとって、それは甘美な響きのある誘いだった。


「……わかった! セシリアさんにも、他のみんなにも内緒」

「よし、約束な」

「うん、約束」


 ミレルカはヴェルトールに大きく頷き返し、自身の小指を差し出した。

 ヴェルトールも、唇の前で立てていた人差し指を曲げ、手を動かす。差し出されたミレルカの小指に自身の小指を絡ませ、軽く上下に振った。

 幼い頃から二人の間で交わされてきた方法で約束を交わし、ミレルカとヴェルトールは互いにくすくすと笑った。


「これでよし。……じゃ、見つからないうちに移動するか。手、ちょっと握っててくれ」

「わかった」


 絡めていた小指が離れ、ヴェルトールの手がミレルカへ差し出される。

 ミレルカがヴェルトールの手に自身の手を重ねた瞬間。


 ふわり、と。

 肌を撫でていく穏やかな風とわずかな浮遊感が、ミレルカの身体を包んだ。

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