最終話 転生幼女の新たな門出
7-1 転生幼女の新たな門出
ミレルカが目を覚まして、一番に目にしたのは見慣れた自室の天井だった。
寝起き直後でまだ少しぼやついている視界の中、ゆっくりと数回瞬きをする。ふわふわとしたマットレスを手で押し返し、ゆっくり身を起こせば、ありすぎるほどに見覚えがある自室の様子が視界に飛び込んできた。
その中にある、普段の自室には存在しないはずのもの――ミレルカが横たわっていたベッドの傍で静かな寝息をたてるベルムシオンの姿。
彼の姿を目にしたとき、眠ってしまう――もとい、気を失う直前の記憶がミレルカの頭によみがえった。
「……ヴェル兄、無事に送り届けてくれたんだ」
自分があの森の中ではなく、自室で眠っていたこと。そして、ともに行動していたベルムシオンの姿もここにあることが何よりの証拠だ。
小さく安堵の息をつき、ミレルカは自身の身体にかけられていた掛け布団を押しやり、両足をベッドから離して床につける。体重を自身の両足にかけてゆっくり立ち上がると、サイドボードに置かれていたタオルケットを広げてベルムシオンの身体にかけた。
森の中で彼には大きな負担をかけてしまった。まだ眠っているのなら、ゆっくりと身体を休めてほしい。
できれば傷の手当てもしたいのだが、それは彼が目を覚ましたあとのほうがいいだろう。
「セシリア先生たちも戻ってきてるのかな」
あの魔法陣の中には、セシリアたちの姿もちゃんと入っていた。フルーメの街に帰ってきているのは間違いない。
だが、きちんとフルーメの街に戻ってきた瞬間を目にしているわけではないため、ちゃんと戻ってこれているのかどうしても気になってしまう。
「……見に行ってみようかな」
窓の外から見える空はすっかり明るく、すでに夜が明けていることがわかる。
あんなにミレルカの身体をさいなんでいた不調も消え去り、普段と変わらない体調に戻っている。これなら問題なく動けそうだ。
切り取られた青空を眺めたのち、一人頷き、ミレルカは慎重に一歩を踏み出した。
できるだけ足音をたてないように気をつけながら床を踏み、同じ動きでまた一歩を踏み出す。静かに眠っているベルムシオンの傍を離れ、真っ直ぐに扉へと向かっていく。
辿り着いた扉を開こうとドアノブに手をかけ、力を加える。わずかな音をたててラッチボルトが引っ込み、扉が開く状態になった。
そうっと部屋から一歩踏み出そうとした瞬間。
「……ミレルカ嬢?」
背後からベルムシオンの声が聞こえ、ミレルカの両肩がびゃっと跳ねた。
こちらが振り返るよりも先に背後で衣擦れの音が聞こえ、すぐにミレルカよりも重たい足音が近づいてくる。
ミレルカが振り返る頃には、移動してきたベルムシオンがミレルカの背後に立っていた。
「ごめんなさい、ベルムシオンさん。起こしちゃいました?」
もう何度も見上げてきたが、改めて見上げてみるとベルムシオンの背は高い。背後に立たれると、人によっては威圧感を感じてしまう。
ミレルカが威圧感を感じず、落ち着いて言葉を交わせているのは、セシリアを探しに行くために一緒に冒険した時間があるからだろう。
ミレルカの問いかけに対し、ベルムシオンは緩く首を左右に振ってから答える。
「いや、ちょうど僕の目が覚めたタイミングだっただけだ。起こしてしまったわけではないから安心するといい」
「なら、いいんですけど……」
けれど、やっぱりちょっと申し訳ないような気持ちは残ってしまう。
心の中で少しだけ苦笑いを浮かべるミレルカへ、今度はベルムシオンが問いかける。
「僕のことよりも、ミレルカ嬢。そちらは大丈夫か? 魔力不足による影響がかなり大きそうに見えたが」
「大丈夫です! 今はもう元気いっぱいですよ。多分、休んでるうちに使った魔力も回復したんだと思います」
「……あれは休んだのではなく、気を失っていたというのだが……まあ、問題ないならよかった」
ベルムシオンが一瞬だけ苦々しい顔をし、額に手を当てて小さく息を吐く。
だが、次の瞬間には苦笑いに切り替わり、くしゃくしゃとミレルカの頭を撫で回した。
「部屋を出るなら僕も同行しよう。昨日の今日だ、ふとしたときにまた体調が崩れる可能性もあるだろう」
「ううん、もう大丈夫だとは思いますけど……でも、それならお願いします」
少し考えたのちに、彼の申し出に頷いてみせる。
感覚的にはすっかり平気にはなっているのだが、だからといってせっかくの善意を強く断るのも申し訳ない思いがある。
それに、ベルムシオンが口にしたことにも一理ある。ミレルカが風邪をひいたときも、熱が下がった翌日は無理をしないように両親からいわれていた――今では、両親ではなくセシリアからそれをいわれるようになったが。
ミレルカが見上げる先で、ベルムシオンがわずかに安心したような顔を見せる。
「昨日からいろいろとご迷惑をおかけしてしまってすみません、ベルムシオンさん」
「何、気にするな。僕が勝手に世話を焼いているだけだ」
柔らかい声色で言葉を返し、ベルムシオンの手が再びミレルカの頭に触れた。
こう何度も頭を撫でられると子供扱いされているようで少々複雑な気持ちになるが、すでに成人している彼からするとミレルカはまだまだ幼い子供だ。子供扱いされるのも当然だ。
(……一緒に)
とても短かったけれど、一緒に冒険して。
一緒にセシリア先生たちを探して森の中を歩き回って。
ファーヴニルという想定していなかった強敵にも一緒に立ち向かったんだから、子供扱いじゃなくて、もっと別の――。
「……あ、あと、ベルムシオンさん。部屋、出るのは手当てしてからにしましょう。あのとき、結局ちゃんと手当てできずじまいでしたし」
「うん? 別にかすり傷程度だし、さほど問題はないと思うが……まあ、了解した」
ふっと心の内に浮かんだ不満と思いを飲み込み、それらから気をそらすために声をあげる。
思い出したかのようなミレルカの言葉に少々不思議そうな顔をしていたが、ベルムシオンはゆるりと頷いた。
彼の手当てをするために一度扉の傍を離れ、ミレルカが持っていっていたものが置かれたテーブルへと駆け寄りながら、一人小さく息を吐く。
(……子供というより、一緒に頑張ったんだから相棒として扱ってほしい、なんて)
あれは一時的な冒険で、ベルムシオンはミレルカの護衛のためについてきてくれただけであって、彼の相棒になったわけではないのに。
心の中に生まれた不満を飲み込んで、目をそらして、テーブルの上にあったあのとき調合した傷薬を手に取る。手当てのために必要な包帯やガーゼといった治療道具も片手に持ち、扉の傍にいるベルムシオンへと駆け寄った。
自分が望んでいるのは、家族と一緒に過ごす平穏な日々であって、自身の知識を最大限に活かして世界を駆けることではない。
あの冒険でそれをしたのは、そうしないといけないと判断したからだ。
けれど、ベルムシオンと一時的な相棒関係を結んで一緒に危険が溢れる森の中を冒険した時間を心の片隅で、ほんの少しだけ――楽しいと感じていたのも、事実であって。
(私が望んでるのは平穏な暮らしで、この知識を使ってセシリア先生やあの子たち――今の家族を助けながら過ごすこと)
だけど、ベルムシオンに相棒として扱ってほしい――ちゃんとした彼の相棒になりたいという願いも心の片隅に存在している。
知識を活かさずに平穏に暮らしたい願いと、知識を活かしてベルムシオンとともに生きたいという願い。正反対の二つの願いを抱え、ミレルカは心の中で溜息をついた。
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