6-3 繋ぐ絆と紡がれる願い

 木陰から飛び出してきたセシリアの姿は、ミレルカがよく知っているものよりも荒んでいる。

 寝起きで乱れた髪は何度か目にしたことがあるが、そのときとは比べ物にならないほどボサボサになっている。衣服も所々が破けたり、土や泥による汚れが付着している。傷一つなかったはずの肌には、所々に赤い線が引かれていた。


 日常生活の中では、まず目にすることができないほどに傷ついた姿。どれだけ厳しい環境に置かれていたのかがすぐにわかり、ミレルカの涙腺を緩ませた。

 ふらつきそうになる足を必死に動かし、くらくら揺れる頭を無視し、セシリアの腕の中へ飛び込む。

 数日ぶりに感じる体温は見知ったセシリアのもので、余計にミレルカの涙腺を緩ませた。


「セシリア先生、無事でよかった……! 本当によかった……!」


 セシリアの身体にめいっぱい手を回し、ぎゅうぎゅうとしがみつくように抱きしめる。

 今の自分になる前の記憶があるといっても、ミレルカはまだ子供だ。他の子供たちよりもしっかりしているといわれても、まだ生まれてから十年しか経っていない。ずっと探していた親代わりの人と再会して、泣きそうにならないわけがない。

 セシリアもセシリアでくしゃりと表情を歪め、小さなしっかり者の少女を強く抱きしめる。


「それは私のセリフよ、もう! ファーヴニル相手にあんな無茶なことをして……! 何度逃げてって叫びたかったことか……!」

「それは……ごめんなさい」


 セシリアの腕がミレルカを少し痛いくらいに抱きしめてくる。

 少しの息苦しさも感じるほどだが、それだけミレルカのことを心配してくれていたのだろう。きっとミレルカがセシリアの立場なら、同じことをした。

 ベルムシオンは再会を喜ぶミレルカとセシリアの二人を見つめ、わずかに表情を緩めてから、セシリアが出てきた木陰へと目を向ける。


 木々の隙間からこちらを伺うセシリア以外の視線の主は、静かにこちらの様子を伺っていたようだったが、やがて恐る恐る姿を見せた。

 行商人風の服装をした者から村人らしい服装をした者、馬車の護衛なのかベルムシオンのように防具や武器を身に着けた者――さまざまな人が出てくる。


 ざっと見る限り、誰もがセシリアと同様に荒んだ格好をしている。特に護衛と思われる人は負傷箇所が多かったが、死亡者はいなさそうだ。

 所々で得た手がかりが不穏だったため、心配していたが――ひとまず、間に合ったようだ。


「あの……セシリアさん、その方たちは……?」


 行商人風の服装をした男がセシリアへ声をかける。

 ミレルカを強く抱きしめていたセシリアだったが、はっと顔をあげ、行商人風の男へ視線を向けた。


「ああ、ごめんなさい。置いてけぼりにしてしまって。この子、私がずっと面倒を見てる子なんです」

「なるほど、お子さんのような子でしたか。では、こちらの方は……?」


 行商人風の男の視線が、今度はベルムシオンへ向けられる。

 セシリアも同様にベルムシオンへ視線を向け、一瞬目を丸くした。それもそうだろう、セシリアがベルムシオンを最後に見たのはミレルカとヴェルトールによって運ばれてきたときなのだから。

 セシリアと行商人風の男、二人から向けられる視線を真っ直ぐから見つめ返し、ベルムシオンは胸に手を当てて一礼した。


「お初にお目にかかる。僕はベルムシオン・ダフィネ。旅をしていた途中に行き倒れ、こちらのミレルカ嬢に助けてもらった者だ。今回は、ミレルカ嬢があなた方を捜索すると言っていたため、護衛として同行していた」


 よろしくお願いする、と。

 一言、最後にそえて深々と頭を下げた。

 その姿は旅人というよりは騎士に近いものとしてミレルカの目に移り、なんだか彼が一段と格好いい人のように見えた。


 ベルムシオンの名乗りを耳にしたセシリアが納得したような顔をして、けれどすぐに心配そうに顔をしかめる。

 その反応も仕方ないだろう。セシリアから見れば、ベルムシオンは運ばれてきた負傷者という印象なのだから。


「ミレルカに同行してくれたのは嬉しいけれど……身体のほうは大丈夫なんですか? あちこち怪我をしていたと思うのだけれど」

「何、もう問題ない。このとおり、自由に動けるレベルにまで回復している。それに、ミレルカ嬢のおかげで余計な戦闘はほとんど行わずにここまで来れたから、傷の悪化もしていない」


 心配そうな顔をするセシリアに対し、ベルムシオンはそう返して自身の胸を軽く叩いてみせた。

 実際、彼の言葉のとおりだ。道中で魔獣に遭遇したが、ミレルカが持ってきていた魔法道具のおかげで余計な戦闘は行わずにここまで来れた。


 ファーヴニルと対峙した際は、お互いに少々無茶をしたといえるかもしれないが――最終的に、ベルムシオンが剣を抜くことなく乗り越えることができた。


 捜索に出たとき、ミレルカが密かに考えていた計画は成功したといっても問題ないだろう。


「全てはミレルカ嬢のおかげだ。あとで存分に褒めてあげてほしい」


 まさかベルムシオンがそんなことを言い出すとは。

 自分でも、よくここまで計画どおりに進められたな――と思うし、よく頑張ったと自分を褒めてあげたい気持ちがある。が、それは自分の中だけで終わると思っていた。

 嬉しさと少しの気恥ずかしさがミレルカの中で膨れ上がり、口元をもごもごさせたのち、セシリアに抱きつくようにして顔を埋めた。


「ミレルカが……」


 はつり。セシリアが小さな声でミレルカの名前を呼び、自身の腕の中にいる少女を見つめる。

 セシリアにとって、保護するべき対象であり愛する我が子のような存在が、一人と自分自身の安全を確保しながらこんなところまでやってきた――少々現実離れしているようにも感じることを成し遂げた。

 自分の心の中で何度かその事実を繰り返したのち、セシリアは再びミレルカを抱きしめた。

 今度は、我が子を労るように。


「全く……本当に、無茶をするんだから」

「……ごめんなさい」


 セシリアの唇から紡がれた声はどこまでも柔らかく、仕方ない子だと言いたげな色が込められている。

 自身の身体を包み込む腕の温度を感じながら、再度謝罪の言葉を口にして目を伏せる。

 ミレルカのそんな反応から反省していると感じ取ったのか、わずかに苦笑いを浮かべたセシリアの手がミレルカの頭を撫でる。

 たった数日、されど数日。離れていた分、セシリアの手から伝わってくる体温が非常に心地のいいものに感じられた。


「いいたいことは正直たくさんあるのよ。……でも、今は後回しにしてあげる」


 セシリアの声が柔らかくミレルカの鼓膜を震わせる。


「頑張ったのね。お疲れ様、ミレルカ」


 ありがとう、こんなところまで迎えに来てくれて。

 彼女の唇から紡がれた一言を耳にした瞬間、ミレルカの目が零れ落ちそうなほどに見開かれる。

 直後、ぎゅっと細まり、小さな身体を震わせて強くセシリアの身体に顔を押し付けた。


 セシリアも、自身の衣服を濡らす冷たさに気づかないふりをして、しっかり者だけれどまだ幼い我が子を抱きしめる腕にほんの少しだけ力を込める。

 血の繋がりはないけれど、確かな絆で結ばれた親子の再会。それを静かに見守っていたベルムシオンだったが、周囲に視線を向けるとわずかに眉間へシワを寄せた。


「……感動の再会のところに水を差して申し訳ないが。そろそろ日が落ちる、町へ戻ったほうがいい」


 彼の声に反応し、ミレルカが顔をあげる。

 周囲を見渡してみれば、森の中に広がる闇が確かに強まっている。明るかったはずの空は夕暮れの色を通り越して夜の色を強めてきていた。

 安息の篝火が周囲を照らしていたため、わかりにくかったが、いつのまにかすっかり良い時間になっていたようだ。


 夜は視界が悪くなる。魔獣の活動も活発になる。本格的に夜になれば、この森は完全に魔獣たちの領域へ変化する。

 ファーヴニルの傍にいれば襲われる可能性は低くできるが、負傷者がいる以上、森の中で夜を明かすのは賢い選択とはいえない。


 静かに考えてそう判断すると、ミレルカはセシリアの腕の中を抜け出してベルムシオンの傍へ駆け寄った。

 頭は相変わらずくらくらするが、あともう少し。あともうひと踏ん張り、頑張らなくては。


「ベルムシオンさん、日没まではまだ時間がありますよね?」

「ああ。とはいっても、負傷者もいる。あまり急いで移動できないだろうし、急いで森を出たほうがいいだろう」


 ミレルカへ答えながら、ベルムシオンが空へ視線を向ける。

 少しずつ、けれど確実に、空は夜の色を強めてきている。移動してフルーメの町に戻るのなら、急いで移動するのが一番だ。

 彼の考えを聞いたミレルカが一つ頷いて、鞄の奥底へ手を突っ込んだ。


「なら、ちょっと一か八かっていうところはありますけど……迎えに来てもらうことにします」

「迎えに来てもらう、というと」


 ミレルカがベルムシオンを見上げ、少しばかり悪戯っ子のように笑う。


「ベルムシオンさんを見つけたときと同じ手を使うんです」


 鞄から引き抜かれたミレルカの手に握られているのは――以前、ミレルカがヴェルトールから受け取った連絡用の魔法道具。玉音のブレスレットだ。

 以前そうしたように、ブレスレットに使われている玉音石へ指先をのせる。


(……ヴェル兄、気付いてくれるといいんだけど)


 はじめてベルムシオンと出会ったときは、向こうも何かあったときの連絡を受け取るために玉音のブレスレットを身に着けてくれていた。

 だが、今回はあのときと状況が違う。前はお互いに玉音のブレスレットを身に着けていると確信していたが、今はお互いに相手が玉音のブレスレットを持っているかわからない。

 ミレルカからしたらヴェルトールが手元に玉音のブレスレットを置いているかわからないし、ヴェルトールからもミレルカがブレスレットを持っているかがわからない。


(お願い、ヴェル兄)


 祈るような気持ちで、ミレルカはぎゅっと強く目を伏せた。

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