6-2 繋ぐ絆と紡がれる願い
最初に手を伸ばすのは、フルゥミントの葉だ。迷いのない手付きでみじん切りにしたそれを調合用のボウルへ入れる。
次に、小型のコッパー鍋に水を注いでバーナースタンドの上に乗せた。バーナースタンドの下で燃える焚き火が鍋の底を舐め、中に入っている水を温めて湯へ変えていく。
こぽこぽと湯が音をたて始めたタイミングで調合用のボウルをコッパー鍋にセットし、マリヌスオイルを注ぐ。あとは時折かき混ぜながら、丁寧に温めるだけだ。
周囲に安息の篝火が発するものとは異なるハーブの香りが漂い、ファーヴニルがわずかにまとう雰囲気を和らげた気がした。
「……ミレルカ嬢は迷いのない手付きで調合をするな」
静かにミレルカの作業を見守っていたベルムシオンが呟いた。
一瞬だけ彼へ視線を向け、すぐにまた自身の手元を見て、ミレルカが答える。
「普段から傷薬はよく作るんです。私がいる孤児院には小さい子たちがたくさんいて。ふとしたときに怪我をするから」
「なら、ミレルカ嬢の調合の腕は日常生活の中で鍛えられたのか。素晴らしいな」
本当は日常生活の中だけでなく、以前の自分から引き継いだものもあるのだけれど。
心の中でそっと呟きながら、ミレルカは刻んだハイデヒースの実を潰してペースト状に変えていく。それもオイルの中に投入し、ゆっくりとかき混ぜた。
ボウルの中で温められるハーブオイルの爽やかな香りの中に、ハイデヒースの実が持つ甘酸っぱさを含んだ香りが加わる。二つの素材が織りなす香りを楽しみながら、ミレルカは異なるボウルにこし器をセットし、ボウルの中身をこし器へと注ぐ。
薄金色に輝くオイルが完成したところで、ミレルカはすかさず違うボウルへ刻んだ蜜蝋を入れ、オイルと同様に湯煎を始めた。
「……ふむ。オイルと同じ方式で蜜蝋を溶かすのか」
ミレルカの作業を見つめていたベルムシオンが興味深そうな声で呟く。
普段から錬金術師たちが作る傷薬には世話になっているが、こうして作っているところを直接見るのははじめてだ。そのせいか、ミレルカの手元で行われる一連の作業にひどく好奇心が刺激される。
ミレルカも向けられる視線と言葉から、それを敏感に感じ取っている。まるで新しいおもちゃを目の前にした子供のような反応に、思わず笑みがこぼれた。
「直火で溶かすのはちょっとあれですから。こうやって、ゆっくり溶かして……あ、ベルムシオンさん。さっき作ったハーブオイルを取ってくれませんか?」
「む……これだな?」
ベルムシオンが視線を動かし、目的のものへ手を伸ばした。
先ほどミレルカが作ったばかりのハーブオイルはまだほんのり温かい。調合用のボウルの中でゆらゆら揺れるオイルをこぼさないよう、十分注意しながら蜜蝋を溶かす少女へ差し出した。
ベルムシオンよりも小さな手が、差し出されたボウルへ伸ばされる。
「まだ少し温かい。こぼさないよう気をつけろ」
「はあい、ありがとうございます。……よし、あとはこれで……」
ボウルを受け取ったミレルカは、ハーブオイルを半分ほど溶けた蜜蝋に加える。そのまま蜜蝋が完全に溶けるまで湯煎を続け、最後にぐるりとかき混ぜた。
コッパー鍋からボウルを引き上げると、軽く息を吸い込み、仕上げのための言葉を口にした。
「アプレ・フェー・グラセ。手の中にあるものへ雪の口づけを」
普段なら冷却用の魔法石を使うのだが、今は魔法を使ったほうが早い。
そう判断して魔法を発動させるための呼びかけを行えば、ミレルカの肌を一瞬だけ冷気が撫で、手の中にある調合用のボウルから急速に熱が奪われはじめた。みるみる間にオイルの中に溶け込んだ蜜蝋が固まっていき、蝋から軟膏へと姿を変えていく。
全ての蜜蝋が完全に固まったのを確認すれば、完成だ。
「できた!」
「もうか? 思っていたよりも早いな」
軟膏が入ったボウルを掲げ、完成を宣言する。
ずっと作業を眺めていたベルムシオンは少々驚いたように目を丸くし、首を傾げた。
掲げていたボウルをそっと下ろして、ミレルカはベルムシオンへ答える。
「実は傷薬ってそこまで時間がかからないんですよ。特に、今日は急ぎなので別容器に移し替える作業をスキップして、ボウルの状態で完成まで持っていってますから」
蜜蝋を固めるために必要な冷却作業だって、よりスピーディーな方法を選択した。おかげで、短時間で何度も魔法を使った影響が少々身体に出ている。
だが、今は緊急事態。できるだけ早く傷薬を完成させて、手当てをしなくてはならない――ちょっとぐらいの無茶をしなくてはならない場面だ。
少々くらくらする己の頭と足を叱咤し、ミレルカは伏せた姿勢で待ってくれていたファーヴニルの傍に歩み寄った。
「待たせてごめんね、ファーヴニル。今から手当てに入るから」
一言、断ってからようやく治療へと移行した。
ファーヴニルの足の傍で腰を下ろし、刻みつけられた傷の状態を確認する。
すぐ目の前にまで近づくと血の香りが色濃くなり、この手の臭いに不慣れなミレルカの頭をガツンと叩いてくる。
余計に頭がくらくらしてくるが、手当てを言い出したのは自分だ。
(……なら、やりとげなくちゃ)
一回、二回、大きく深呼吸をしてから自分の頬を軽く叩いた。幼い頃から繰り返してきたシンプルな方法だが、気合が入るのだから不思議だ。
背後でミレルカの様子を見ていたベルムシオンがわずかに顔をしかめたが、ファーヴニルのほうを見ているミレルカがそれに気付くことはなかった。
ファーヴニルの足に刻まれた傷は大きく、鋭い何かが突き刺さったかのように穴が空いている。足を含んだ全身を包む鱗は頑丈で硬そうなのに、それを砕いて傷として刻まれている辺り、相当頑丈で鋭い何かが突き刺さったのだろう。
軟膏を冷やしたときと同じ要領で、コッパー鍋に残っていた湯を冷やして水に変える。その水でファーヴニルの傷口を洗い流し、タオルで水分と一緒に傷口周辺の血を拭った。
次に、作ったばかりの軟膏を指ですくい取り、塗りつける。さすがにしみるのか、塗った瞬間にファーヴニルが身動ぎをしたが、暴れだすことはなかった。
「もうちょっと……もうちょっとだから我慢して、ね?」
ミレルカは優しく声をかけながら、繰り返し軟膏を傷口へ塗りつける。
数回繰り返して傷口全体をカバーすると、最後に包帯をぐるぐる巻きつけて傷口が完全に隠れる状態にして解けないようしっかり結んだ。
孤児院で幼い子供たちにするような手当てだが、これでおそらく大丈夫だろう。
ミレルカの治療の手が止まれば、ファーヴニルも治療が終わったと感じ取ったらしい。ゆっくりとした動作で頭を持ち上げ、包帯が巻かれた自身の足を見やり、ミレルカへと顔を擦り寄せた。
「わ、うわ」
ミレルカの小さな身体では、ファーヴニルの頭を受け止めきるのは難しい。
なんとか受け止めようとして、けれど上手く受け止めきれずにバランスが崩れた。後ろへ大きくよろめき、尻もちをつくようにしてそのまま倒れ込んだ。
数分前までなら死を覚悟した瞬間だろう。だが、今は数分前まであった空気は完全に霧散しており、かわりに今あるのは少女と竜が触れ合う和やかな空気だ。
後ろから様子を見ていたベルムシオンが、転倒したミレルカの傍に駆け寄る。
「ミレルカ嬢、大丈夫か?」
「大丈夫です。ちょっと尻もちついちゃっただけなので」
心配そうな顔をしたベルムシオンへ答え、ミレルカは優しくファーヴニルの頭を撫でた。
ファーヴニルもファーヴニルで、心地よさそうに表情を緩めたあと、ゆっくりミレルカの身体から頭を離した。
ベルムシオンの手を借りながら立ち上がり、再度ファーヴニルを見上げる。
興奮していたファーヴニルの鎮静化に成功した。さらに、ファーヴニルの手当ても終了した。
ならば、ミレルカのやりたいことは一つだ。
「ファーヴニル。傷が痛むのなら、治るまでここにいてもいいよ。こんな田舎で、それも森の奥。竜狩りの人たちもこんなところにあなたが逃げ込んでると考えないと思う」
手当てを提案したときのように、ファーヴニルはミレルカの言葉に静かに耳を傾けている。
「それで、えっと……あなたがゆっくり休みたいところ、悪いんだけど……。私とベルムシオンさんは人を探してるの。私たちが探してる人はこの近くにいるみたいで……だから、この辺りを探してみてもいい?」
はじめて語りかけたときよりも落ち着いた様子で、ミレルカは言葉を紡ぐ。
対するファーヴニルは無言でミレルカを見つめたのち、ふんすと一度だけ鼻を鳴らし、背後へ視線を向けた。
その視線を辿り、ミレルカもファーヴニルの背後へと視線を向け――目を見開いた。
「……セシリア先生?」
生い茂る木々の隙間から、こちらの様子を伺う数人の人がいる。
そのうちの何人かは見覚えのない人物ばかりだったが、ミレルカへじっと視線を向けている女性にはありすぎるほどの見覚えがある。
心配そうにこちらを見ているその人物こそ――ミレルカが外の世界に飛び出すきっかけになった人なのだから。
「セシリア先生!」
「ッミレルカ!」
大声で互いの名前を呼び合い、どちらからともなく駆け出した。
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