5-4 咆哮するもの

 ちくちくとした細かい枝が肌を刺激し、髪に細かく絡んで引き留めようとしてくる。

 それらを無視して突っ切り、茂みの向こう側へ出ると、ミレルカは鞄の中身をひっくり返した。

 中にありったけ詰められていた錬金術の道具や素材たちなど、鞄が大きく膨れ上がるほどに詰め込まれていたものが地面へ転がる。

 その中から目的の素材と道具を素早く見つけ出し、それらの道具をひっつかんだ。


 ここからはタイムアタックだ。


 安息の篝火の作り方は、しっかりと脳に焼き付いている。ミレルカになる前の『前の自分』は、戦闘をせずに素材集めをしたいとき、いつも安息の篝火を作っていた。作り方なら十分すぎるほど、記憶している。

 ひっつかんだ素材のうち、ミレルカはまず、マッチを擦って太く大きめのキャンドルへ火を灯した。

 ゆらゆらと揺れる頼りない火へ手をかざし、息を吸い込む。唇から紡ぐのは、不可視の隣人たちに助力を請うための言葉。


「アプレ・フェー・ミュール。この炎へ何者にも負けない祝福を」


 唱え、自身の体内に宿る透明な力へ意識を向け、手のひらからその力が放出されて炎ごとキャンドルを包み込むのをイメージする。

 すると、キャンドルの周囲の地面が薄く光り、対応するようにミレルカの手のひらもじんわり温かくなった。

 一度思い浮かべたイメージが崩れないよう、細心の注意を払いながらキャンドルの火へ魔力を注いでいく。


(――ここまで)


 やがて、ぎゅっと一度手を握り、保護魔法を付与するために必要な魔力の放出を中断した。

 次に注ぐのは、神経を落ち着かせるために必要な治癒魔法。

 一度握った手を再び開き、先ほど助力を願ったのとは別の精霊へ呼びかける。


「アプレ・フェー・メディカメント。この炎へ荒れた精神を落ち着かせる安息を」


 先ほどと同じイメージを頭の中へ思い浮かべ、治癒魔法を炎の中へ溶け込ませていく。

 ミレルカが魔法を注げば注ぐほど、ゆらゆら揺れるキャンドルの火が薄い緑を帯びていく。

 炎の赤と魔法の付与によって与えられた緑が美しいグラデーションを描くようになったタイミングで、先ほどと同様に手を握って魔法の使用を中止した。

 ここまで来れば、完成はほとんど目の前だ。


「次……!」


 ばっと周囲を見渡し、次に炎を大きくさせるため、落ちている枝から手頃なものを選び、拾い上げていく。


 重たいものが地面へ振り下ろされる音がする。

 ――集中しろ。


 枝を求めて走る。

 何かが割れるような音がする。

 ――集中しろ。


 木々の枝がへし折れるような音がする。

 ――集中しろ。


(集中しろ)


 恐怖で震えそうになる自身を叱咤し、言い聞かせ、ミレルカは走る。

 だって、はじめてなのだ。こんな明確に命の危機にさらされるのは。

 ベルムシオンと出会ったときも、一歩間違えれば命の危機はあった。だが、あのときは魔除けのお香で安全に対処できるレベルのものだった。それに、ミレルカ自身が大正になっていたわけではなかった。


 だが、今回は違う。相手はファーヴニル、魔除けのお香レベルではどうにもすることができない強大な相手だ。今はベルムシオンが注意をひきつけてくれているが、彼の身に何かあればミレルカだって無事ではいられない。

 さらに、今。自身の提案によって、一人の人間の命を危機に晒している――これまで平和に生きていたミレルカにとって、強い恐怖の連続だ。油断をすると恐怖に負け、うずくまって震えたくなる。


 しかし、そんなことをして状況が好転するのか? 答えは否だ。


(集中しろ!)


 繰り返し繰り返し自分自身へ言い聞かせながら、枝をかき集める。

 複数本を組めそうなほどの量をなんとか集め終われば、それを抱えて茂みから飛び出した。

 茂みのすぐ近くにかき集めた枝を置き、すぐにまた戻り、魔法を付与したキャンドルを持って枝を置いた場所へと駆け足で向かう。

 素早く枝を組み上げ、火が枝をちろちろ舐めるようにキャンドルを設置する。簡易的なキャンプファイアーに近いものを作り上げると、ミレルカは最後の材料をキャンドルの火の中へぱらぱら落とした。


 高濃度の魔力を含んだ特殊な植物の種と、鎮静作用を持つハーブ。

 安息の篝火を完成させるために必要なそれらの材料を投入した瞬間、キャンドルの火が一気に燃え上がり、枝を飲み込んだ。ぱちぱち音をたてながら燃える枝を燃料とし、火はキャンドル本体をも飲み込んで燃え上がる。

 本来ならばランタンやカンテラに近い形をした専用のケースの中で燃えるように作るが、手元にそれらの道具はない。焚き火のように作ったが、どうやら無事に完成したようだ。


 ハーブの香りを漂わせながら、ゆらゆら揺れる緑がかったグラデーションの焚き火――安息の篝火が、そこにある。


「ベルムシオンさん!」


 息を吸い込み、ありったけの声で相棒と呼んだ彼へ呼びかける。

 ミレルカがいる位置からは離れているが、呼びかけに応じる声はすぐに返ってきた。


「すぐにそちらへ戻る!」


 直後、少し離れた場所からこちらへ轟音が近づいてくる。

 ミレルカが安息の篝火を使っている間、ベルムシオンもベルムシオンで知恵を巡らせて時間稼ぎをしてくれていたらしい。風の精霊の力を借りているとわかる、一般的な人の身では出せない速度でミレルカへと駆け寄ってきた。

 彼の背後からは、ちょこまか逃げ回るベルムシオンを捕らえようと、ファーヴニルが時折爪を振り下ろしながら追ってきている。


 ベルムシオンが無事であることに安堵し、すぐに安息の篝火の背後へ回り込み、ミレルカはぶんぶんと大きく手を振った。

 瞬く間にベルムシオンがミレルカとの間にあった距離を詰め、ミレルカのすぐ隣――安息の篝火の後ろへと回り込んだ。


「ミレルカ嬢、無事で何よりだ」

「ベルムシオンさんこそ。危ない役回りを押し付けちゃって本当にごめんなさい。怪我はありませんか?」

「ない――といいたいところだが、少々攻撃がかすった箇所がいくつかある」


 一瞬何かを考えて、けれどすぐに苦々しい顔をしてベルムシオンは答える。

 彼の自己申告のとおり、今のベルムシオンからは嗅いだ覚えのある鉄臭さが感じられる。

 ああ、やはり完全に無傷ではいかなかったか――予想もしていたし覚悟もできていたつもりだが、己の提案で負傷者が出たという事実はミレルカの心に痛みを与えた。


「……あとでどこを怪我したのか教えてください。手当をします」

「頼んだ。さて――来るぞ」


 一言。ベルムシオンが言葉を発した直後、重い足音が二人の鼓膜を刺激した。

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