5-3 咆哮するもの

 ベルムシオンが大きく目を見開き、弾かれたような動きでファーヴニルへ視線を向ける。

 先ほどまでは出会った直後の衝撃が大きく、ほかの情報が入ってきにくかった。だが、少し時間をおいた今なら、ほかの情報が入ってくるはずだ。

 まもなくして、ベルムシオンがはっきりと眉間にシワを寄せ、顔をしかめる。


「……どうやらそのようだ。風に混じり、血の臭いがする」

「でも、なんで怪我なんか……。ファーヴニル同士の縄張り争い?」

「いや」


 ミレルカの疑問を否定し、ベルムシオンは眉間に刻まれたシワをより深いものへ変化させた。


「ファーヴニル同士の縄張り争いなら、もっと目立つ箇所に傷を負う可能性が高い。わざわざ足という部位に傷を負っているのなら――より悪質な原因かもしれん」

「より、悪質な」


 ふ、と。ベルムシオンの唇から短く呼気がこぼれた。


「竜狩りだ」


 彼が発した一言を耳にした瞬間、ミレルカは自身の目が大きく見開かれるのを自覚した。

 竜狩り。ミレルカが生きる国において、密かに問題視されているものの一つだ。

 ドラゴンという種族は力が強く、多くの魔力を体内に内封している。ゆえに、ドラゴンから採取できる素材はいずれも質が高く、魔力伝導に優れているという特徴がある。

 そこに目をつけた密猟者たちの手によって行われる、不当な狩猟――それが竜狩り。


 ミレルカも知識として竜狩りのことは知っている。前の自分から引き継いだ記憶の中にも、竜狩りの被害を受けたドラゴンの話は存在している。だが、実際に己の目で被害を受けたドラゴンの姿を見るのははじめてだ。

 胸の中で、この場にいない密猟者たちの怒りや竜狩りに対する嫌悪感など、さまざまな感情が膨れ上がっては渦巻いて大きな塊になっていく。


「過去に竜狩りの瞬間を取り締まったことがあるが、奴らは大体足を攻撃して自由を奪おうとする。あのファーヴニルに手を出した密猟者がいると考えたら、足を負傷しているのも納得がいく」


 ベルムシオンの声に耳を傾けながら、思考を整理する。


 『渡り』の時期でもないのに、ファーヴニルが本来の生息地から離れた理由が竜狩りだとすると、ファーヴニルは本来の生息地で密猟者に襲われたことになる。

 密猟者が何人ほどのグループだったかはわからないが、複数人なのは間違いないだろう。複数人で襲われ、足を負傷し、逃げるために本来の生息地を離れた――その結果、ほかの魔獣の生息域が乱れるという事態に繋がった。


 真偽のほどは不明だ。実際に竜狩りが行われていたのかも予想でしかない。

 だが、ベルムシオンが口にした情報を元にたてた予想は、非常に真実に近いように感じた。


「……結構胸糞悪いですね。本当、なくならないんでしょうか。竜狩り」

「口が悪いぞ、ミレルカ嬢。……一昔前に比べると、ずいぶんと少なくなったが、根絶はまだ遠い。これからも摘発し続けていくしかないだろう」


 二人が言葉を交わす間も、ファーヴニルが受けた傷からは血が流れ落ちている。

 時間が経過するごとに空気の中へ溶け込んだ血の臭いも、少しずつ強まっているように感じた。


「さて。一体何をするつもりなんだ、ミレルカ嬢」


 改めて、ベルムシオンがミレルカへ問いかけてくる。

 先ほどは先延ばしになってしまった答えを口にするべく、ミレルカは唇を動かす。


「治療をしたいんです、ファーヴニルの」


 ミレルカが口にした言葉を耳にした瞬間、ベルムシオンの眉間にシワが寄った。

 表情を見るだけでわかる。本気なのか、正気なのかと、ベルムシオンは問いかけてきている。

 確かに本気なのかといいたくなるが、ミレルカの手元にはそれを可能にするための材料が揃っている。


「さすがに、今のままで治療をしようとは思ってませんよ。さすがに、私もそこまで無謀じゃないです」

「……では、具体的に何をするつもりだ?」


 ぽん。身につけている鞄を手で軽く叩き、ミレルカは言葉を続ける。


「安息の篝火を作ります」


 視線の先にいる少女が口にした魔法道具の名を耳にし、ベルムシオンが大きく目を見開く。

 安息の篝火――熟練の冒険者が好んで持ち歩いている、魔獣との戦闘を緊急回避するために使われる魔法道具だ。

 興奮した神経を鎮め、魔獣の心を落ち着かせて敵意を削ぎ、戦闘に発展するのを防ぐ。魔法を付与した炎はもちろん、魔獣に対する鎮静作用があるハーブも使うため、炎の揺らめきと立ち上る香りからも魔獣に働きかけるのが特徴的だ。使う材料を変えることによって、ドラゴンという上位の魔獣に対しても効果を発揮するように作ることもできる。


 だが、どんな錬金術師でも作れるようなものではない。炎が簡単に消えないように保護する魔法、神経を落ち着かせる治癒魔法を炎に宿したうえで、鎮静作用があるハーブも使わなくてはならない。さらに、炎にこれらの魔法を付与する際は、それぞれの魔法が同じ程度の効果を発揮するよう調整する必要がある。

 安息の篝火を作るためには十分な量の知識と技術が要求される。ゆえに、安息の篝火には翠玉級――青玉級と紅玉級の上にあたる、上級の魔法道具だ。

 無級の魔法道具のように、誰でも簡単に作ることができる代物ではない。


「安息の篝火でファーヴニルを落ち着かせて、そのあとにラパンテーム……ううん、ラパンテームだと効果が足りないかな。とにかく、薬草の薬で手当をします」

「つまり、ミレルカ嬢が安息の篝火を完成させるまでの時間を、僕に稼いでほしいということか」

「そういうことになります」


 ぱっと聞いたら、誰もが無謀だと口にする作戦。

 だが、ベルムシオンはこの少女が並々ならぬ才能を持っていることを知っている。


「僕は戦う手段がある。だが、ファーヴニル相手となると歯が立たない。簡単にねじ伏せられてしまう。その辺りの対策は?」

「陽炎の欠片、ミロワール草のオイル、スケープゴートの枝でどうでしょう」


 迷いのない声色で挙げられたラインナップを脳内に思い浮かべ、ベルムシオンは考える。

 ミレルカが挙げたものは、いずれも魔法道具を作る際に材料として使われる素材だ。


 陽炎の欠片は魔力を込めることで持ち主の姿を見えにくくする効果がある魔法石の欠片で、ミロワール草のオイルは使用者に塗ると相手を惑わせる効果を発揮する特殊な薬草のオイルだ。スケープゴートの枝には、持ち主が魔獣や人間からの攻撃を受けた際に一度だけ身代わりになってくれる効果がある。


 いずれも、冒険者が何かあったときのために持つことが多い素材だ。複数の素材を組み合わせて加工した魔法道具に比べると効果は劣るが、身を守るには十分だ。


「オーケー。それらの素材があるなら、即座に捻り潰されることはないだろう」

「大きな負担をかけてしまってすみません」

「いいや。このまま何もしなかったら、いたずらに時間が過ぎるだけだ。ならば、今の状況を切り抜けられる案に賭けるべきだ」


 言葉を交わしながら、ミレルカは自身の鞄から取り出した素材をベルムシオンの衣服についているポケットへ押し込んでいく。ミロワール草のオイルだけは蓋を開け、指先に適量をつけてベルムシオンの頬や手などに付着させた。

 ベルムシオンの手がゆっくりとミレルカを地面に下ろす。

 二人――主にベルムシオンが何かをする気なのだと敏感に感じ取り、ファーヴニルが警戒の色を強めた。


「任せたぞ、相棒」

「ええ、任されました。相棒」


 互いに短い言葉を送りあった直後。

 ベルムシオンがファーヴニルの注意を引くべく走り出し、陽炎の欠片に魔力を込める。

 ファーヴニルの視線が彼へ向けられたのに合わせ、ミレルカも自身の役割を果たすべく、茂みの中へと飛び込んだ。

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