第5話 咆哮するもの
5-1 咆哮するもの
真っ直ぐ進んだ先から横道にそれて、さらに進んで左へ曲がり、さらに奥へ。
歩数の多い軽やかな足音と、草や落ち葉を踏む重さのある足音が森の空気を震わせる。
ミレルカが取り出した探査のペンデュラムに導かれて進むうちに、ずいぶんと奥深くにまで足を踏み入れていた。
前まで存在していたはずの道はすでになく、足場は倒木や背が高めの植物で悪くなっている。大きめの石が転がっている箇所もあり、転倒しそうになる場面もちらほらとあった。
頭上に広がる木の葉も多く、太陽の光がさらに届きにくい。森に入った直後は神秘的な印象があったが、森の奥まで来ると神秘的というより不気味に映る。
「……ずいぶん奥深くまで来たな」
「そうですね……けど、探査のペンデュラムが反応してるから道はあってるはず……」
ベルムシオンの呟きに答えながら、ミレルカは自身の手の中にあるペンデュラムへ視線を落とす。
ペンデュラムに取り付けられた魔法石は、はっきりとした光を放っている。ペンデュラムを取り出したときとは異なり、持続して強い反応を返し続けているそれは、向かう方角にセシリアがいることを明らかにしている。
故に、方角は間違えていない。間違えるはずがない。
しかし、一般的な道を外れて森の奥深くへ進み続けるのは、本当にこの方角であっているのか不安にさせるものがあった。
「そろそろ探査のペンデュラム以外の手がかりが見つかったら、自信を持って進めるんですけ、ど……?」
ベルムシオンに話しかけながら進んでいた途中で。
ふと。ミレルカは己の足元で鎖がこすれるような音がしたのを感じた。
足を止め、足をその場からどかし、確認する。
ミレルカがわずかに踏んづけていたものは、シルバーチェーンがついたタリスマンだ。丸く加工された銀色に輝くプレートに、五芒星と呪文からなる魔法陣が描かれたシンプルなデザイン。一般的な魔法道具店でも多く取り扱われていそうなそれは、プレート部分に大きな傷が刻まれており、チェーンもちぎれている。
ひっくり返して裏面を確認すれば、黒く変色しつつある痕跡がはっきり残されており、ミレルカの喉から引きつった悲鳴があがった。
「っひ……!」
葉に付着していた血痕とはまた異なる痕跡。
自然物ではなく、誰かが身につけていたと簡単に予想できる人工物に刻まれた血痕は、あまりにも生々しく映った。
瞬間的に恐怖と気味の悪さがミレルカの中を駆け巡り、手に持っていたタリスマンを取り落しそうになる。それを横から伸びてきたベルムシオンの手が支えた。
ミレルカの手の中から落ちそうになったタリスマンを落ちないようにしつつ、もう片方の腕でミレルカが倒れないように支え、ベルムシオンは浅く息を吐く。
「……大丈夫か? ミレルカ嬢」
「だ、大丈夫……ちょっと、驚いただけ、です」
いまだに、心臓はばくばくと音をたてている。
先ほど、血痕を目にしたときも動揺したが、今回はあのとき以上だ。いかに自分が安全で、危険のない場所で生きてきたのか突きつけられたような気分だ。
改めて認識する。ここは――命の危険が常に付きまとう、いつ死んでしまってもおかしくないような場所だ。
一回、二回、三回。何度か深呼吸をして己を落ち着かせようとするミレルカの傍で、ベルムシオンはタリスマンを観察する。
「……このデザインは、行商人が好んで持ち歩くものだな」
「えっ。わかるんですか?」
「ああ」
ミレルカへ返事をしつつ、ベルムシオンはタリスマンをひっくり返した。
ちょうど血痕が付着していた箇所を指で隠し、裏面に刻みつけられている印を指で指し示す。
「護符としての効果がある魔法道具には、祈りを込めた印が刻まれることがある。これはミレルカ嬢も知っているな?」
「はい。えっと……確か、プレア文字ですよね。今では印って扱いになってますが、厳密には古代の文字で、種類によっていろんな祈りが込められてるっていう」
プレア文字。遠い昔に使われ、今は日常的に使われることはなくなった古代の文字だ。
古代の魔術師が好んで使っていたため、魔法文字と呼ばれることもあり、道具に刻みつけることによってさまざまな祈りを付与する。
自身の中に宿る知識を引っ張り出して答えれば、ベルムシオンが満足げに笑みを浮かべた。
「そのとおり。さすが、ミレルカ嬢だな」
真っ直ぐな褒め言葉をミレルカへ向けたのち、ベルムシオンは言葉を続ける。
「少々わかりにくいが、これに刻まれているプレア文字は『商売繁盛』や『繁栄』を願い、刻まれることが多い印だ」
「……あ、本当ですね。なるほど……」
ベルムシオンの説明に耳を傾けながら、ミレルカもじっと印を観察する。
汚れやわずかな錆で少々わかりにくくなっているが、確かにプレア文字が刻まれている。自身の記憶を探れば、ベルムシオンが口にしたとおり、『商売繁盛』『繁栄』などの意味を持つプレア文字と一致した。
自分もプレア文字に関する知識はあったが、あくまでも知識止まりだったというのが思い知らされる。
「こんなにわかりにくくなってるのに、ベルムシオンさん、よく気づきましたね……」
「商隊の護衛を何度かしたことがある。そのときに目にしたから、覚えていた」
なるほど、そのときに記憶したというわけか。
内心納得しつつ、ミレルカはすぐ傍に立つベルムシオンへ目を向けた。
「商隊の人が持ってるタリスマンがあるっていうことは、そういった人たちがここを通ったってことですよね。で、探査のペンデュラムが反応した先にあったということは、セシリア先生もここを通った」
「おそらくだが、辻馬車に行商人か、商売に関係する者がいたのだろう。同じ方角に逃げてきたか、ともに行動をしているか――どちらかはわからないが、これを見る限り負傷している。急ごう」
ベルムシオンの言葉に、ミレルカは大きく頷く。
今までも十分危険が迫っていると予想ができていたが、負傷者がいる可能性が高いと明らかになった今、これまで以上に急がなければならない。
探査のペンデュラムの動きに十分気を配りながら、ミレルカとベルムシオンは先ほどまでよりも急ぎ足で森の奥へと歩を進めていく。
一歩、一歩。草葉を踏みしめる音を奏でながら森の奥へ進むにつれて、周囲はどんどん薄暗くなり、肌に触れる空気も緊迫感を帯びたものへ変化していく。
自然と心臓の鼓動が早まり、ミレルカはひっそりと深く、長く息を吐きだした。
(――それにしても)
本当に、何が起きているのだろう。
帰ってこないセシリア。焼け焦げたお守り。葉に残されていた血痕。そして、何者かが負傷した証が刻まれたタリスマン。セシリアを探しにやってきてから見つかったものは、どれもこれも不穏な気配を感じさせるものばかりだ。
ミレルカとして世界に生まれ落ちてから、これまでフルーメの街周辺がこんなにも不穏な気配に包まれたことはなかった。そのせいか、強い嫌な予感と不安を感じてしまう。
これでは、まるで。
(今までになかった脅威が、街のすぐ近くに近づいてきているみたいな)
「――ミレルカ嬢!」
頭の片隅でぼんやりと考えていたミレルカの意識を、ベルムシオンの鋭い声が引き戻す。
はっと大きく目を見開き、ミレルカが鞄に手を入れるのと、頭上に大きな影が落ちるのはほとんど同時だった。
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