3-7 日常に入った亀裂と決意

 おそらく、立ち聞きされていたのなら何かがあったのは感じ取られている。

 ベルムシオンは訳ありでここへやってきたが、立派な客人だ。できるなら、今回のことは身内だけでなんとかしたい気持ちもある。

 だが、すでに何かがあったと感づかれた状態で無理にごまかそうとしても、何の意味もないだろう。


 ちらりと横目に視線を送り、ミレルカはヴェルトールの表情を確認する。

 ヴェルトールもヴェルトールで何やら考え込んでいたようだったが、同じようにミレルカへ視線を送り、苦笑いを浮かべてみせた。


(多分、ヴェル兄も今、同じことを考えてる)


 静かにそう判断し、ミレルカはベルムシオンを見上げて口を開いた。


「……実は、この施設の運営者にあたるセシリア先生が出かけてから帰ってきてなくて」


 そういって、大体の状況を説明するために言葉を重ねる。


「昨日、ベルムシオンさんをここに運び込んだあと、必要なものの買い出しのために隣町へ出かけたらしいんですけど……まだ帰ってきてなくて」

「これまでも母さんが隣町に買い出しへ行ったことはあるけど、遅くても夕方頃には帰ってきてた。フルーメの街から母さんが行った隣町……フェオンの街まではそんなに遠くない。無理なく往復できるくらいの距離だし、馬車を利用すればもっと早く行き来できる」


 ミレルカの説明に重ねるように、ヴェルトールも口を開いた。

 二人分の声に耳を傾けながら、ベルムシオンは真剣な表情で思考を巡らせている。


「……それらの情報から、何かがあったのではないかと考えているわけか」

「はい……。今までこんなこと、一度もなかったから。セシリア先生が私たちを置いて出ていっちゃうなんてのも考えられないし……。だから、探しに行こうって思ってるんですけど」

「まだ諦めてなかったのか。いやまあ、お前がそんなすぐに諦めるとは思ってなかったけど」


 ヴェルトールが少しばかり恨めしそうな声を出し、じとりとした目でミレルカを見やる。

 不満げな目と声に一瞬怯みそうになったが、ここで負けるわけにはいかない。

 怯みかけた自身の心を奮い立たせ、ミレルカは負けじと反論した。


「だって、心配なんだもの。セシリア先生がいないってこと、いつまでも隠せるとは思えないし……だから探しに行くって決めたのに」

「だーかーら、気持ちはわかるけど危ないだろ。お前は魔獣に遭遇しても戦えないんだから、ここで大人しく待ってろ! どうしても心配なら、俺がかわりに探しに行くから」

「やだ! 私は自分の力で探しに行きたいの!」

「本っ当にわからず屋だなお前……!」


 ヴェルトールの瞳に鋭さが再び宿り、語気が少々荒くなる。

 普段なら怯んでしまうところだが、今度はミレルカの闘争心に火が灯された。


「わからず屋なのはヴェル兄のほうじゃ……!」


 一度火がついた闘争心に背中を強く押されるまま、ミレルカはヴェルトールへ噛みつく。

 そのまま再び言い合いがヒートアップしそうになったが、それよりも早くベルムシオンの靴底が床を叩いた。


 かつんっ。


 ベルムシオンがはいているブーツの底が力強く床を叩く。

 突如響いた声以外の音に驚き、ミレルカもヴェルトールも言い合いをやめてベルムシオンのほうを見た。


 大声をあげて静止したわけではない。武力を行使して止められたわけでもない。たった一回、靴底を使って音を鳴らしただけ。たったそれだけなのに、不思議とベルムシオンのほうに注目してしまった。


「ミレルカ嬢、それから……ええと、ヴェルトールか? 落ち着け、二人とも。あまり騒ぐと、騒ぎがどうしても大きくなる」

「う……ご、ごめんなさい。ベルムシオンさん……」

「わ、悪い……」


 二人揃って謝罪の言葉を口にし、気まずい気持ちでわずかに視線をそらす。

 そんな二人の様子に、ベルムシオンは肩をすくめる。

 その後、ゆったりとした歩調でミレルカとヴェルトールの間にあった距離を詰めた。


「つまり、この施設の責任者が行方不明。ミレルカ嬢は探しに行きたいが、そちらはミレルカ嬢の心配をして反対している。そういうことでいいか?」

「まあ、大体そういう感じだな」


 ベルムシオンの銀色の瞳がちらりとミレルカへ向けられる。

 きょとんとしてベルムシオンの目を見つめていると、彼は何やらミレルカを見つめながら思考を巡らせたのちにヴェルトールへと言葉を向けた。


「ヴェルトール、僕がミレルカ嬢に同行する。多少負傷はしているが、護衛やミレルカ嬢を連れて逃げるくらいなら問題なくできると思う」

「!」

「……は?」


 ミレルカもヴェルトールも目を丸くする。

 まさか、ベルムシオンがこんなことを言い出すとは予想していなかった。

 ぽかんとした顔をしているヴェルトールへ、ベルムシオンはさらに言葉を続けた。


「責任者がいつまでも不在だと、不安は広がりやすい」

「いや、まあ、それはそうなんだけどよ……。でも、だからってミレルカを行かせるわけにはいかないだろ。どうしても探しに行きたいなら、俺がかわりに行く」

「目覚めたとき、幼い子供の声が聞こえたから、ここにはミレルカ嬢よりも小さな子供が多いのだろう。そのような環境で、よそ者以外の大人がいなくなると余計に不安がる。いくらミレルカ嬢がしっかりしているといっても、彼女もまた子供だ」


 ヴェルトールの主張に対し、ベルムシオンがすかさず切り返した。

 彼の言葉に、ヴェルトールがぐっと少し言葉に詰まる。それでも何か言い返そうとして、数回唇を開閉させたが何も思いつかなかったのか、すぐに黙り込んだ。


 外で鳴いている鳥の声がはっきり聞こえてくる。

 しばしの沈黙がリビングを包んでいたが、やがてヴェルトールが深く息を吐き出した。


「……わかった。確かに、ベルムシオンのいうことも、ちょっとわかる。ベルムシオンもベルムシオンで心配だけど、ミレルカ一人よりは安心だと思うし」

「ヴェル兄、じゃあ……」

「行っていい。ただし、ベルムシオンのいうことをちゃんと聞いて、絶対無茶をするんじゃないぞ」


 ぱああ、と自分でも表情が明るくなるのが自分でもわかった。

 ぱっともう一度ベルムシオンを見上げると、彼の涼やかな瞳と目が合った。ベルムシオンの口元がふっと緩み、表情がわずかに緩む。


「ありがとう、ヴェル兄! ベルムシオンさんもありがとうございます!」


 その言葉とともに、ミレルカは深々とベルムシオンへ頭を下げる。

 気にしないでほしいといいたげに手をひらひらとさせたのち、ベルムシオンは一度だけミレルカの頭をくしゃりと撫でた。

 二人のやりとりを眺めながら、ヴェルトールはがしがしと頭をかく。


「別に。……ベルムシオンも、客人なのに悪い。でも、ミレルカのこと、頼んだ」


 呟かれるように紡がれた言葉は、少々苦々しげな色を含んでいる。

 ヴェルトールが感じているだろう申し訳なさを吹き飛ばすかのように、ベルムシオンが言葉を返した。


「ああ、任せてほしい。ミレルカ嬢は僕にとって恩人ともいえる。しっかりと守りきってみせる」


 凛と響いた声は、とても頼りがいのあるものだ。

 少しの空白をおいてから、ヴェルトールが苦笑いを浮かべる。


「……本当に悪いな。そういってもらえると、ちょっとほっとする」

「僕がやりたいと思って言い出したことだ。ヴェルトールも、僕とミレルカ嬢が責任者を探している間、なんとか上手く子供たちをまとめておいてほしい」


 そういって、ベルムシオンがヴェルトールへ背中を向ける。

 ミレルカもヴェルトールへ小さく手を振ってから、同じように彼に背中を向けた。


「……二人とも、ちょっと待ってくれ」


 そのまま歩き出そうとした瞬間、ヴェルトールがミレルカとベルムシオンを呼び止めた。

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