3-3 日常に入った亀裂と決意

「……ミレルカ嬢?」


 ベルムシオンが少々不思議そうな声色で問いかけてくる。

 すぐには彼の声に答えず、じっと考え込んでいたミレルカだったが、やがて顔をあげてベルムシオンへと疑問をぶつけた。


「あの……相手はいきなり襲ってきたんですよね? 多分、魔獣だとは思いますけど」

「そうだな。普通に歩いていたところに、突然襲撃を受けた」

「……ベルムシオンさんが最初に襲われたところ、近くに魔獣の巣があったりしませんでした?」


 ミレルカの脳内で引っかかった疑問は、それだった。

 もし、ベルムシオンが最初に襲われた場所の周辺に魔獣の巣があったとしたら、突然襲われたのも納得がいく。


 魔獣は総じて縄張り意識が強く、自身の巣の近くに人間や異なる生き物がいると、突然牙をむいてくる。襲撃場所の近くに巣があったとしたら、今後も同じ場所で同様の被害が出るおそれがある。場合によっては、注意喚起を行う必要もあるだろう。

 ミレルカの問いかけが何を意味しているのか、ベルムシオンもすぐに思い当たったらしい。一瞬だけ納得したような顔をしたが、首を静かに振った。


「僕も長く旅をしている冒険者の端くれだ。魔獣の巣が近くにあるときの雰囲気や、それによって引き起こされる事態は頭に入っている。今回の出来事は、魔獣の巣が近くにあるときとは異なるものであるように感じた」


 ミレルカの期待や予想とは異なる答えが、ベルムシオンの唇から紡がれる。

 魔獣の巣があったとしたら、すぐに対処ができた。だが、実際には魔獣の巣は見当たらなかったらしい。


 これでは、今以上の被害が出る前に対処するのも、注意喚起をして被害を減らすのも難しい。なんせ、相手はどこから来たのかわからない、突然現れた襲撃者だからだ。


 深く溜息をつき、ミレルカは苦笑いを浮かべる。


「そうですか……。巣が近くにあるのなら、なんとかできるかもって思ったのに……。いや、ありがとうございます。答えてくれて」


 落胆の言葉を口にしてしまったが、すぐに気を取り直して答えてくれたことに対する感謝を紡ぐ。

 気にするなといいたげに緩く手を振ったのち、今度はベルムシオンが口を開く。


「僕からも一つ確認させてくれ。ミレルカ嬢、フルーメの街やその周辺には気性の荒い大型の魔獣は生息していないんだな?」


 ベルムシオンの言葉に、ミレルカは大きく頷いてみせる。


「そのはずです。魔除けの香があれば、私みたいな子供でも薬草摘みに出れるくらい。とはいっても、遠くまで外出するのは危ないし……森の向こう側には、またちょっと違った魔獣が生息してるけど……大型で危険性が高い魔獣の話なんて、今まで聞いたことないです」


 あったとしても、ルボワウォルフが恋の季節に入ったから気をつけろといったものぐらいだ。この辺りに生息している魔獣で、ルボワウォルフ以上に大柄で危険性が高いものだなんて一度も耳にしていない。


「もし、そんな魔獣がいたら、今頃もっと話題になってるだろうし……魔除けの香を持っていたとしても、子供が一人で薬草摘みに出るのも駄目っていわれるはず」


 そう付け足し、ミレルカはベルムシオンをじっと見つめる。

 ベルムシオンは、ベッドに腰かけた姿勢のまま、無言で何やら考え込んでいる。


「……まるで、王都周辺でみられた異変のようだな」


 ぽつ、と。彼の声が空気を震わせる。


「やっぱり、ベルムシオンさんも……そう思います?」

「ということは、ミレルカ嬢も同じ可能性に思い当たっていたのか」

「一応。ヴェル兄――じゃなくて。ヴェルトールっていう、この施設出身の錬金術師の人からそういう噂があるって教えてもらっていたので……ベルムシオンさんが意識を取り戻す前は、なんともいえないって判断だったんですけど」


 答えるミレルカの脳内では、ベルムシオンが目覚める前に行っていたヴェルトールとの会話が再生されていた。


 フルーメの街周辺で正体不明の魔獣が現れた可能性と、どこか別の場所で襲われて森の中へ逃げ込んだ結果、力尽きた可能性。

 実際にベルムシオンから話を聞き、実際には後者であったと確認できた。しかし、肝心の襲撃してきた魔獣の正体は依然として不明のまま。王都周辺で起きている異変がこの辺りでも起きている可能性を完全に捨てることはできないままだ。


 ……本当に。


「本当に、何事もないといいんですけど」

「不穏なことが何も起きないといいんだが」


 発した声が重なって響く。

 お互いの声が重なっていたことに少し遅れて気付くと、ミレルカとベルムシオンは顔を見合わせた。

 数拍の間を置いたのち、どちらからともなく吹き出し、くつくつと笑い始める。

 今日が初対面なのに同じようなことを考えていて、ほぼ同時にそれを口に出したというのがなんだか少しだけ面白く感じられた。


「考えることは同じだったか」

「だって、よくわからないことが起きてるっていうのは、やっぱり怖いじゃないですか」

「ああ、それには同意する。正体不明の危険ほど、旅をしていて怖いものはない」


 ミレルカは苦笑いを浮かべ、ベルムシオンはどこか穏やかな笑みを口元に浮かべる。

 先ほどまで場を支配していた重苦しい空気は和らぎ、どこか穏やかさを含んだものへ変化しつつあった。


「しかし、ミレルカ嬢。君は本当に聡明な子だな。それに、一人で薬草摘みに出るとは度胸もある。君みたいな子供がどうやって僕を発見したんだと内心疑問に思っていたんだが、全て解消した」

「んん、確かに同年代の子と比べたら、ちょっと大人びてるかもって思うことはあるけど……聡明っていうほどではない、と思いますけど」


 人差し指で頬をかきながら、ミレルカは少しだけ苦笑いを浮かべる。


 聡明に見えるのなら、自分の中に宿っている記憶を元に行動するからだろう。以前の『自分』がどういう人物だったのかは、いくら思い出そうとしても思い出せない。だが、なんとなく今のミレルカより年上だったのではという予感がある。


 度胸がある――というのは、いわれてもあまりぴんとこない。もしかして、他の街に住んでいる同年代の子供は自ら進んで街の外に出たりしないのだろうか。

 頭の片隅でわずかに考えていたが、ふと、ミレルカの頭に一つの疑問が浮かんだ。


 ……そういえば、ベルムシオンは目覚めてからまだ何も食べていないのではないか?


「……あの。ベルムシオンさん、お腹すいたりしてませんか?」


 目覚めてすぐは空腹を感じにくいが、目覚めてから少し言葉を交わしたくらいのタイミングだ。もしかしたら、そろそろ空腹を感じ始める頃かもしれない。

 唐突な問いかけを耳にしたベルムシオンは、少しきょとんとした顔をしている。


「ベルムシオンさん、起きてからちょっと時間が経ったので……それに、何も食べないっていうのも、怪我にあまりよくないかもしれないし……」


 空腹のままで過ごすよりは、軽くでも何か身体の中に入れて栄養を補給したほうが、もしかしたら早く傷も治るかもしれない。

 そういった理由も含めて言葉を重ねれば、ベルムシオンは納得したような顔をした。


「ああ、なるほど……いわれてみれば確かに。あとで携帯食料でも食べようと思っていたが……」

「携帯食料も栄養補給にはいいかもですけど、温かいものを食べるのも大事だと思うので。ちょっと待っててください、すぐにご用意します」

「すまない、世話になる」


 ぱっと椅子から立ち上がると、ミレルカは少々急ぎ足で扉の前に移動し、部屋を出た。

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