3-2 日常に入った亀裂と決意

「この辺りに住んでいるのなら、何があったのか気になるのも当然のことだろう。あまり余計な不安を与えたくもないし、素直に答える――といいたいところだが」


 一度言葉を切ったベルムシオンの表情が、どこか申し訳なさそうに曇る。

 目に見えて表情がはっきりと変化するヴェルトールやセシリア、施設の子供たちと接し慣れているためか、目立った表情の変化が少ないベルムシオンの様子は少しだけ新鮮だ。

 表情を曇らせたまま、ベルムシオンは一度切った言葉を続ける。


「申し訳ないが、僕もそこまで多くのことを話せるわけではない。まだ少し記憶が曖昧なのと、思い出せる範囲でも一瞬のことだったんだ」

「一瞬の……こと?」


 ミレルカはきょとんとし、ベルムシオンの言葉を復唱した。

 覚えている範囲だけでもいいから話してほしい――そういおうと思っていたが、ベルムシオンの唇から紡がれたのはミレルカが口にしようと思っていた言葉を止めるものだった。


 思い出せる範囲でも一瞬の出来事で、上手く事態が把握できなかった。つまり、ベルムシオンがはっきり認識するよりも早く何らかの出来事が起きたということだろう。


 内心、首を捻っているミレルカへ、ベルムシオンは言葉を続けた。


「僕は剣の腕を磨くたびに長く旅をしているんだが……前の滞在先だったレヴァンダの街を発って、しばらく歩いた頃だったか。頭上に大きな影が落ちたと思った瞬間、何か嫌な予感がしたんだ」


 ベルムシオンの話に耳を傾けつつ、考える。


 レヴァンダの街――というのは、確かあの森を抜けた先にある道に沿ってしばらく歩いた先にある街だ。フルーメの街とは異なるのどかさがある街で、花を使った魔法道具や魔法薬を多く作っている。できることなら、いつかミレルカが自分の足で訪れてみたいと考えている街でもある。

 森を抜けた先には、また違った魔獣たちが生息している。だが、道を歩いている人間に大きな影を落とすほどの大きな身体を持つものはいないはずだ。


「とっさに武器を構えたまではいい。だが、次の瞬間に強い衝撃がして、あっという間に剣の刃が砕けた。多分……剣に食らいつかれたんだと思う。それで……確か……」


 片手を額に当て、ベルムシオンが少々唸るような声を出す。

 まさか具合が急変したのかと不安になり、とっさに椅子から立ち上がりそうになったミレルカだったが、ベルムシオンの手がそれを制する。


「大丈夫だ、深く思い出そうとしているだけだから」

「本当……ですか? それならいいんですけど……」


 浮きかけた腰を素直に椅子へ下ろし、ベルムシオンの様子を見つめる。

 ミレルカの動きを制した際に、彼女へ向けた手を下ろし、ベルムシオンは己の記憶を探る。

 断片的にしか思い出せないそれらを繋ぎ合わせ、記憶の深層部分へと深く潜っていく。


 ぎらぎらとした大きな牙。噛み砕かれる愛用の剣。


「……思い出した。突然のことに驚いていたら、今度は胸に熱と衝撃を感じて吹き飛ばされた。地面に叩きつけられた状態から起き上がって確認したら、防具の胸当て部分が大きく損傷していた。次から次にいろんなことが起きて、自分の身に何が起きているのかなかなか理解できなかった」

「じゃあ……襲撃してきた何かの正体は、見ていないんですか?」

「残念ながら、あまりはっきり見ていない。だが、とにかく身体の大きなものだったというのは感じている。それから……おそらく、あれは空から突進してきたんだと思う。だから、翼を持った何かだな」


 身体の大きな、翼を持った魔獣。

 フルーメの街周辺や、森を抜けた先にも翼を持った魔獣は生息している。しかし、そのいずれもが普通の鳥よりも少し大柄といった印象を与える大きさだ。


 ベルムシオンが語ってくれた襲撃者は、身体の大きなもの。それも、人間の上にはっきりと影を落とせるほどの大きさ。もともと生息している空を飛ぶ魔獣では、条件に当てはまらない。


「このままだと確実に死ぬ。そう感じて、とっさに近くにあった森に逃げ込んだ。ちょっと身を潜めるだけのつもりだったんだが、ルボワウォルフの群れに運悪く見つかって……武器も防具もまともな状態じゃない今だと危ないと判断して、森の奥へ逃げた」

「……だから、あんな状態で倒れてたんだ……」


 黙ってベルムシオンの話に耳を傾けていたが、頭の中で己が目にした光景と繋がって小さく呟いた。


 ところどころ彼が怪我をしていたのは、名もなき襲撃者とルボワウォルフにつけられたものだったのだろう。とにかくはっきりとした危険から遠ざかりたくて逃げ続け、最終的に森の入り口付近まで来たところで力尽き――そこをミレルカが発見し、今に至る。

 道を歩いていたら突然襲撃され、逃げ込んだ先では魔獣の群れに目をつけられ、とにかく気の毒としかいいようがない。


「情報提供をありがとうございます、ベルムシオンさん。大体何があったのかわかりました」

「君の疑問を少しでも晴らせる手伝いができたのなら、僕としても嬉しい。あまり力になれなくて申し訳ないな」


 ベルムシオンの手が伸び、ミレルカの頭に触れた。

 ぽかんとした顔で大人しくしていると、ベルムシオンはそのまま優しくミレルカの頭を撫で始める。

 セシリアがしてくれるのとも、ヴェルトールがしてくれるのとも異なる撫で方。あまり子供と接し慣れていなさそうな様子で数回撫でたのち、ベルムシオンはそっとミレルカの頭から手を離した。

 少しの間きょとんとしていたミレルカだったが、すぐに緩く笑みを浮かべた。


「お気になさらないでください。ベルムシオンさんの身に何があったのか、少しでも知れたからそれで十分」


 具体的に、どのような存在が襲撃してきたのかわからないままなのは、正直残念に感じるしもやもやもする。だが、飛ぶことができる、牙があるなどの身体的な情報が少しだけ手元に入っただけでも嬉しい。

 どのような特徴があるのか全くわからない状態と、ほんの少しでも襲撃者の特徴を知っている状態では、大きく違う。


 あとでまたヴェルトールに相談して、これらの特徴に該当する魔獣がいないか調べないと――そう考えたところで、ふと。ミレルカの脳内にささやかな疑問が浮かんだ。

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