第3話 日常に入った亀裂と決意

3-1 日常に入った亀裂と決意

 まさか、目覚めているとは思わなかった。


 ばくばくと早鐘を打っている心臓を押さえながら、ミレルカは目の前に立つ人物を見上げた。

 食事のあと、一度青年の様子を確認しよう――と考えたのは、ちょうど片付けをしているときだった。


 保護した青年からすると、目を覚ましたら見覚えのない場所に寝かされていたという状況だ。突然知らない場所に一人きりになっていたら驚くし、混乱もするはずだ。彼が目を覚ましたあと、すぐに状況を説明できるように傍にいたほうがいいだろう。

 そう判断をしてもう一度客室を訪れたが、まさかもう目覚めているとは予想していなかった。


「……え、ええと……気がついたんですね。身体は大丈夫ですか?」


 驚きのあまり真っ白になっていた頭を再起動し、ミレルカは彼が目覚めたらいおうと思っていた言葉を口にする。


 青年の表情はまだ少しぼんやりしているようにも見えるが、しっかりと両足で立っている。ぱっと見た範囲では特別具合が悪そうな気配もなく、問題なさそうに見えた。

 彼を発見した瞬間はかなりの衝撃を受けたため、大丈夫そうな様子を見ると心の底からほっとした。

 青年も青年で驚いていたのか、星の光を宿した涼しげな銀の瞳を数回瞬かせたのち、はっと我に返って頷いた。


「……ああ。痛みはまだ少しあるが、問題ない。……君が手当てをしてくれたのか?」


 低く、落ち着いた声がミレルカの鼓膜を震わせる。

 青年からの問いかけに首を左右に振り、ミレルカは答える。


「いえ、少しお手伝いはしたけど……怪我を診てくれたのは病院の先生。私は手当てのときの傷薬を少し作ったくらいのことしかしてないから」

「そう、か……。その歳で傷薬を作るなんて、十分な手伝いをしているように思えるが……」


 顎に手を当て、思考するような仕草をしながら青年が呟く。

 だが、すぐに考えても仕方のないことと判断したのか、ゆっくり手を下ろして苦笑いを浮かべた。


「まあ、いいか。それよりも……世話になってしまった。ここはどこなのか、教えてもらえるか?」

「あ、それならお部屋の中で。あまり急に動かないほうがいいと思いますから」


 包帯で覆われていない箇所に触れて、青年の身体を軽く室内に押し戻しながらミレルカは提案する。

 提案というよりは、怪我をしている身であまり無理をして動かないでほしいという懇願に近かった。しかし、目の前の青年はそんなミレルカの様子を見つめたのち、柔らかく笑って一歩後ろへ下がった。


「そうしよう。恩人をあまり不安にさせるものでもないしな」


 一言そういうと、青年が室内に戻り、ベッドの上に腰かける。

 彼のあとをついていくようにミレルカも室内へ足を踏み入れ、以前彼の様子を見ていたときと同じようにベッドの傍へ椅子を設置した。


 彼を休ませていた客室の中は、ミレルカが最後に入ったときとほとんど同じだ。変化している点といえば、壁に立てかけて置いていた折れた剣や壊れた防具の位置が少々変化しているくらいだ。

 ミレルカはそっと椅子に腰かけ、改めて青年を見ながら口を開く。


「ええと……まずは自己紹介を。私はミレルカ・ジェラルペトル。ここ、フルーメの街にある親を失った子供たちのための施設に住んでいる者の一人です」


 自分が何者であるか、彼がいる場所がどこであるかの情報を交えて名乗る。

 すると、青年は不足していた情報が補われて少々安心したらしく、わずかに表情へ安堵の色を滲ませた。


「フルーメの街……施設……なるほど。僕はそんなに遠くまで来ていたのか……」


 小さな声で一人言を呟いたのち、青年も名前を名乗るために口を開く。


「僕はベルムシオン・ダフィネだ。ミレルカ嬢、わざわざ助けてくれて本当に感謝する。おかげで野垂れ死なずに済んだ」


 ベルムシオン・ダフィネ。

 青年が名乗った名前を心の中で数回復唱したあと、ミレルカは穏やかに笑う。


「いえ、困っている人がいたら助けなさいって先生にいわれてたので。本当に、ベルムシオンさんがいることに気づけてよかった」


 紡いだ言葉に嘘はない。

 本当に、あのとき――森の入口で物音を聞いたような気がしたあのとき、気のせいだと思わなくてよかった。もし、あのときミレルカが気のせいだと考えて森の入り口から離れていたら、今ここにベルムシオンはいなかったかもしれない。


 気にしないでほしいといいたげに首を左右に振ったのち、ミレルカは問いかける。ベルムシオンが目覚めたら聞きたいとずっと思っていたことを。


「その、何があったのかお聞きしても大丈夫ですか? フルーメの街の周辺には、下級の魔獣しかいないはずなのに……何があって武器や防具があんな悲惨な状態になったのか、ずっと気になってて」


 言葉を紡ぎながら、ミレルカはちらりと剣や防具に目を向ける。


「それに、あの防具。私の予想が合っていたら、ディアモン鉱が使われてます……よね? この辺りの魔獣は、ディアモン鉱の防具を引き裂くなんてことはできないはずなのに」


 そういった瞬間、ベルムシオンが銀色の瞳を大きく見開いた。

 先ほどからずっと見せていた涼しげな表情が崩れ、驚愕と感嘆の色をありありと見せている。


「驚いた、よくわかったな。確かに、あれはディアモン鉱を使った防具だ。……武具屋で育った経験があるのか?」

「そういうわけじゃないんですけど……本だけはたくさん読んできたので」


 半分は本当で、半分は嘘だけれど。だって、生まれつき錬金術に使う素材の知識は頭に入っています――なんて。馬鹿正直に話しても、大抵の人間は信じない。本を読むのを好んでいるのは嘘ではないし、本から新たな知識を仕入れている部分もあるため、完全に嘘をついていることにはならないはずだ。


「昔、読んだことがある本にディアモン鉱を使った防具には、表面にうっすらプリズムができると書いてありました。その一文がとても印象的だったので、よく覚えてたんです」


 我ながら苦しい言い訳かとも思ったが、ベルムシオンが追求してくる様子はない。むしろ、ひとまず納得したような表情で小さく頷いていた。


「幼いうちから勉強熱心だな。最近の錬金術師でも、子供のうちから防具の素材を見抜けるほどの知識と目を育てることはなかなかない」

「あはは……ありがとうございます」


 全部一から勉強して身につけたわけではないので、少しだけ申し訳ないような気持ちにもなってしまうが、感謝の言葉を口にする。

 ベルムシオンはそんなミレルカの様子に一つ頷いてから、問いかけに答えるために口を開いた。

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