2-5 傷痕と異常
……どこか遠くから、人が騒ぐ声が聞こえてくる。
賑やかな――けれど穏やかさも感じる声に誘われ、『彼』はずっと伏せられていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
目を覚まし、最初に見えたのは見慣れない木製の天井。見慣れた空でもなく、何度か足を運んだことがある宿屋の天井とも異なるそれは、目覚めた直後の頭を少々混乱させるには十分すぎた。
少し遅れて、今の自分がふかふかのベッドの上で横になっていることに気付く。両手をマットレスについて起き上がれば、柔らかな感触が両手から伝わってきた。
「ッつ……!」
同時に、鋭い痛みが身体に走り、うめき声があがる。
痛みが和らぐのを待ってから自身の姿を確認すれば、身につけていたはずの防具が外されており、身体のあちこちに包帯が巻かれているのがわかった。
(……誰かが、手当てしてくれたのか)
まだ少しぼんやりしている頭で考えながら、ゆっくり周囲の様子を伺う。
木製の家具が使われた室内だ。今、自分が眠っているベッドのほかにテーブルランプが設置されたサイドテーブルやシンプルなクローゼットなど、基本的な家具が設置されている。宿屋というより、どこかの家の客室のようにも見えた。
「……本当に、どこだここ……というか、どうなったんだ、僕は……」
額に手を当て、直前の記憶を探る。
確か――確か、あのとき。突然、大きな影が自身の上に落ちたのは覚えている。
瞬間、嫌な予感のようなものがしてとっさに愛用の剣を構えたら、強い衝撃がして、剣が折れて――それで……どうしたんだったか?
ぎらつく牙。
全身を襲った強い衝撃。
すぐ目の前にまで迫った死の気配と、胴体に感じた衝撃。
まだ頭が上手く動いていないからか、それとも襲撃を受けた際の悪影響で記憶が一部曖昧になっているのか。断片的な情報は思い出せるのに、何があったのかなかなか鮮明に思い出すことができない。
自身の記憶の不透明さに少しの苛立ちも感じ、思わずベッドを強く殴りつけた。
「……ひとまず、ここがどこなのかを知るのを優先する……か」
いくら上手く思い出せないことを思い出そうとしても、時間の無駄だ。
なら、一旦それは置いておき、真っ先に知っておきたいことを知るのを優先するほうが賢いだろう。
自分にそう言い聞かせ、まだ重たさを感じる身体を動かし、ベッドを離れる。
武器や防具をきちんと置いてくれているあたり、己を見つけてくれた人物は悪人ではなさそうだ。この手当てをしてくれたのもここの家主なら、こちらに危害を加えようとしてくるような人間ではないかもしれない。
(……いや)
首を左右に振り、頭に浮かんだ考えを否定する。
無害そうに見える人間でも、こちらに恩を売りつけて何らかの要求を通そうとしてくる人間はいる。長い旅の中で、実際にそのような人間に出会ったことだってある。
初対面の人間を無条件で信じるのは時に危険である――そのことは、長く旅をしていた自分自身がよく知っている。
ゆっくりとした歩調で歩き、壁に立てかけられている剣や防具を確認する。壊れてしまっているけれど他に何もされていないと判断したのち、扉のほうへと目を向けた。
(部屋の外も確認しておくか)
綺麗に磨かれたドアノブへ手を伸ばす。
しかし、己の手がドアノブを握るよりも早く、向こう側にいたらしい何者かがドアノブを回し、目の前で扉が開かれた。
「!」
「わ……!?」
扉の向こう側から、驚きを隠しきれない声がする。
開かれた扉の向こう側には、柔らかなストロベリーブロンドの髪をした幼い少女が立っていた。
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