1-6 出会いは非日常とともに

 身体に降り注ぐ光量が減り、わずかに冷たい空気が頬を撫でる。草葉や土の香りが鼻をくすぐり、先ほどまで立っていた場所とは環境が大きく異なるのだとミレルカにはっきり伝えてくる。

 草葉やわずかに湿った土を踏みながら、慎重な足取りで森の中を進んでいく。

 森の中に入ってから少し歩いた先にある少し開けた空間にまで足を運び――そこにあった光景に、ミレルカは大きく目を見開いた。


「……!」


 開けた場所には、比較的多く太陽の光が差し込んできている。

 そこに一人の青年が倒れており、彼を取り囲むように狼のような姿をした魔獣たちがいた。


 青年は意識を失っているのか、ぴくりとも動かない。一振りの剣を手にしているが、剣は折れてしまっており、戦える状態ではないとはっきりわかった。防具も身につけているようだが、この様子だと防具も使い物にならない状態である可能性が高い。

 それはつまり、魔獣に対して完全に無防備だということだ。

 今、まさに人の命が失われようとしている現場に、ミレルカの心臓が嫌な音をたてる。


(……どうしよう)


 幸い、魔獣たちは目の前の獲物に集中していてミレルカには気付いていない。ミレルカからしたら、一種のチャンスだ。

 もっとも賢い選択は、ここでヴェルトールを呼ぶことだ。しかし、ヴェルトールを呼んで、彼が駆けつけてくるのを待っている間に状況が悪い方向へ転ぶ可能性だって十分にある。それに何より、ヴェルトールを呼ぶためには声を出さないといけないため、そのときに魔獣たちに気付かれるおそれもある。


 一か八か。覚悟を決めるしかない。


 大きく深呼吸をし、ミレルカは布鞄に手を伸ばす。手探りで魔除けのお香を入れているケースを探り当て、手に取ると、物音を極力たてないように気をつけながらケースを開けた。


 視線の先では、魔獣が青年の周りをぐるぐると回り、飛びかかるチャンスを伺っている。


 新たにお香を取り出す。マッチを擦り、お香に火を灯す。

 たちまち辺りに満ちるハーブの香りに魔獣が反応するのと、ミレルカが手の中で熱をもちはじめたお香を魔獣たちに向かって投げつけるのはほぼ同時だった。


「あっちにいって!」


 大きな声で叫びながら投擲したお香が、魔獣の群れのすぐ傍に落ちる。

 魔に属するものを遠ざけ、魔を祓うハーブの香りが青年の周囲に広がり、目に見えない鎧として彼を守る。

 放り投げられた魔除けのお香に反応し、魔獣たちは悲痛な鳴き声をあげながら一目散に駆け出し、森の奥深くへとその姿を消していった。


 あとに残されたのは、倒れたまま動かない青年と、いまだにばくばく音をたてる心臓を押さえながら立っているミレルカと、破魔の香りを立ち上らせるお香だけだ。

 上手くいってよかった。小さく安堵の溜息をつき、ミレルカはお香を香炉に移してから青年へ呼びかけた。


「だ、大丈夫ですか?」


 そっと青年の身体に触れて揺さぶる。

 返事らしい返事は返ってこなかったが、かわりにわずかなうめき声が聞こえ、再び安堵の息をついた。

 命が散る前に助け出すのに成功したが、青年が目を覚ます気配は全くない。

 もう一度彼の身体を揺さぶりながら呼びかけたのち、ミレルカは眉尻を下げた。


「大丈夫かな……とりあえず、早くヴェル兄に連絡しないと……」


 今は魔除けのお香が効果を発揮しているため、周囲に魔獣の気配は感じられない。だが、効果が途切れてしまえば、この辺りは一瞬で魔獣の気配に満たされることだろう。もしそうなると、ミレルカもこの人も無事ではいられない。


 袖をまくり、手首を飾る銀色の装飾があらわになる。薄闇に包まれた森の中でも輝いてみえるそれに手を伸ばし、教えてもらったとおりに台座へはめ込まれた玉音石に指をのせた。

 ぽぅ、と。ミレルカの体内にある魔力に反応し、玉音石が薄く光を放つ。


「ヴェル兄、聞こえる?」


 どうか、どうかすぐに気付いてほしい――。

 その思いを込めながら声を発すれば、ほんの短い時間を置いてから声が返ってきた。


『――ミレルカ? どうした、大丈夫か?』

「ヴェル兄……! よかった……!」


 玉音石から確かに聞こえた声は、外に出る前にも耳にしたヴェルトール本人のものだ。

 すぐに彼が気付いてくれたことに安堵しながら、ミレルカは言葉を続ける。


「あの、ごめんなさい。言いつけ、破っちゃって……でも、すぐに来て欲しいの」

『……は?』


 まずは、言いつけを破ってしまったことを素直に謝罪する。

 いきなりのことだったからか、返ってきたヴェルトールの声は事態を上手く飲み込めていないぽかんとしたものだった。


『言いつけを破った、って……待てミレルカ。一体どうしたんだ、何があった?』

「……今、森の中にいるの」

『はあっ!?』


 現在地を素直に告げれば、玉音石から大きな声が聞こえた。

 大声が出てしまっても仕方ないだろう。ミレルカは街を出るとき、あまり遠くには行かないようにという言いつけに頷いたのだから。


『おっまえ……遠くに行かないこと、危ないことはしないようにっていったよな!?』

「本当にごめんなさい! でも、急がなくちゃいけない気がしたから!」


 そのまま説教に入ってしまいそうなのを感じとり、慌ててもう一度謝罪の言葉を告げる。

 自分がやったことは説教されて当然のことだが、今この場でそれをされるのはとても危険だ。

 どうにか話の続きを聞いてくれることを願いながら、間髪入れずに言葉を重ねる。


「森の入り口近くで、重いものが倒れるような音がした気がして。それから、なんだかヤな感じの気配も。それで、ちょっと様子を見に行ったら、男の人が倒れてて……魔獣の群れに囲まれてたし、呼びかけてもはっきりした反応が返ってこなくて」


 少々早口になってしまったが、状況を説明しようと一生懸命言葉を重ねる。

 ミレルカの声色に普段と違うものを感じ取ったのか、ヴェルトールの言葉が一度止まり、すぐに落ち着いた声色で言葉が返ってきた。

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