1-5 出会いは非日常とともに

 街の外は、フルーメの街とは異なる空気で満たされている。

 当然だが人の気配は少なく、かわりに感じられるのは風の音や鳥の声。風に揺られてこすれる木の葉の音。人が多く住まう、開発が行き届いた場所ではあまり感じられない自然の気配が満ちている。


 ささやかな冒険心が刺激され、いろんなところへ足を運んでしまいたくなるが――それをするべきではないのは、ミレルカもよくわかっている。


「門の管理をしてる人からも、危ないことはしちゃ駄目っていわれたしね」


 背後を振り返り、そびえ立つ強固な門を見上げる。

 フルーメの街周辺に生息している魔獣は、他の地域に生息しているものと比べると危険性は低いものだ。

 しかし、それはあくまでも戦う手段を持つ者から見た話だ。ミレルカのようになんの力も持たない一般人からすると、危険性が低いといわれている魔獣でも十分危ない存在だ。


 故に、それぞれの街は外部の危険から住民を守るため、門や城壁などを作って魔獣が入り込んでくるのを防いでいる。

 外に出るとき、心配して声をかけてくれた門の管理者を安心させるためにも、大きな無茶はできないししてはいけない。


 門の前から動かず、ミレルカは一度大きく深呼吸をする。持ってきた布鞄から香炉とマッチ、そして作ってきた魔除けの香を取り出した。

 まずは魔除けの香を香炉の中に入れ、マッチをこする。マッチの火が消えないうちに香へ火を灯せば、ハーブが持つ特有の香りが周囲に広がった。


「これで、多分大丈夫」


 一人頷き、ミレルカは香炉の持ち手をしっかりと持ち、一歩を踏み出した。

 人が行き来しやすいように整えられた道には、さまざまな痕跡が残されている。人の足跡らしきものや獣が残していった痕跡、時折街にやってくる辻馬車の車輪の跡などもある。それを見ながら歩くだけで、ちょっとした冒険気分だ。


 布鞄から地図を取り出し、何度も道を確認しながら目的地を目指して進んでいく。地図を見れば頭の中に道順が浮かぶため、己の中に宿る記憶はこういうときにも便利だ。

 道案内のために立てられた看板がある交差点を右に。大通りを外れた道の先にある、森の入口。そこに、ラパンテームの木は自生している。


「ラパンテームは……あった」


 柔らかい緑の葉と赤くみずみずしい果実を実らせた目的の木を見つけ、ミレルカはずっと動かしていた足を止めた。

 地図をしまい、片手に持っていた香炉を足元に置く。地図と入れ違いに布鞄から採取用の手袋を取り出してはめ、空っぽの紅茶缶も取り出すと、ミレルカは早速作業に取りかかった。


 ラパンテームの葉に手を伸ばし、そっと葉の根本から一枚摘む。さらに二枚、三枚、四枚――と補充したい分だけ摘み取っては缶の中に入れていく。葉だけでなく、少々高いところで実っている果実にも手を伸ばし、慎重な手付きでもぎ取った。

 枝を無駄に傷つけてしまわないよう、折ってしまわないよう、細心の注意を払いながら作業を進める。やがて、必要な分をあらかた採取し終えると、小さく息をついた。


「……うん、これくらいなら足りそうかな」


 手元にあった分を思い出し、新たに摘み取った分を頭の中で合計し、一人頷く。

 ラパンテームの葉や実を食べて生きている生き物もいるため、採りすぎはよくない。これくらいにして、街に戻るのが一番だ。


 採取したラパンテームを入れた缶を布鞄にしまい込み、はめていた手袋も外し、同じようにしまい込む。

 さて、あとは来た道を戻って街に帰るだけだ。魔除けの香の効果が途切れてしまう前に、さっさとこの場を離れよう。

 そう決めて来た道を引き返そうとしたミレルカの耳に、風で揺れる木の葉とは異なるざわめきが届いた。


「……?」


 踏み出そうとしていた足をその場に下ろし、森の入口を見る。

 気のせいでなければ、森のほうから聞こえたように感じる。ただの木々のざわめきがそう感じさせたという可能性もあるが、それとは異なる何かだったようにも感じる。


 じっと耳を澄ませながら、森の入り口を覗き込む。鬱蒼と木々や草花が茂り、太陽の光が届きにくい森は少しの不気味さを感じさせる。この先へ進めば、多くの魔獣と遭遇する可能性があると考えれば、ミレルカの心に緊張が走った。

 気のせいか、それとも本当に何かあるのか――じっと耳を澄ませて様子を伺う。


 ――どす。


 やっぱり気のせいだったかもしれない。

 そう思い始めた瞬間、気のせいではなかったとミレルカに知らせる音が耳に届いた。

 木の葉のざわめきに隠されてしまいそうなほどに小さなものだったが、重たいものが倒れるような重量を感じさせる音。それが耳に届いた瞬間、ミレルカの背筋にぞわりとしたものが走った。


「まさか、誰か、いる……!?」


 もし、誰かがいるのだとしたら危険だ。

 森の中の魔獣たちは、いずれも危険性が低いとされているものだ。だが、どれだけ力が弱いものでも集団になれば一気に厄介になる。

 心臓がどくどくと嫌な音をたてる。少しでも音を聞き逃さないとするように、全身の感覚が鋭敏になっていくような気がする。


 音が聞こえるくらいだから、おそらく音の発生源は森の入り口から近い場所にある。場合によっては、ミレルカでも助けに入ることができるかもしれない。

 ミレルカが持っている魔除けのお香は、この辺りの魔獣には効果があるものだ。少しの足止めはできるかも――しれない。

 大きく息を吸って、吐いて、ミレルカは自分の両頬を叩いた。


「……危ないことはしないっていったけど……多分、緊急性が高いし……!」


 少しでも危ないと感じたら、悔しいけれどすぐに逃げる。それから、ヴェルトールに助けを求める。

 自分に何度も言い聞かせ、ミレルカは新たな魔除けのお香に火を灯し、香炉にセットして森の中へと足を踏み入れた。

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