1-4 出会いは非日常とともに
「まあ、いいんじゃないか? 母さん。確かに心配なのもわかるけど」
ミレルカとセシリアの視線がそちらへ向けられる。
声をあげた本人であるヴェルトールは、何でもないことのように言葉を続けた。
「この辺りの魔獣なら、ミレルカが持ってる香で遠ざけられる。ミレルカも、それをわかってるからその香を作ったんだろ?」
確認するかのようなヴェルトールの声に、ミレルカは小さく頷いた。
「うん。この辺りは、ものすごく強い魔獣はあんまりいないって前にヴェル兄から聞いてたから、これなら自分の身を守れるって思って……」
己の中に宿っている記憶を頼りにした部分もあるが、嘘ではない。
今よりも昔に、ミレルカは何の対策もなしにフルーメの街を出ようとしたことがある。純粋にフルーメの街の外はどんなところなのか気になっての行動だったが、その現場をヴェルトールに目撃されてひどく怒られた。
そのときに、フルーメの街周辺を生息地にしている魔獣についての話を聞いたため、よく覚えている。
ミレルカの返答を耳にしたヴェルトールは、満足げに頷く。
「よしよし、ちゃんと覚えてるんだな。偉いぞ」
柔らかな笑顔とともに、ミレルカの頭を一度だけくしゃりと撫で、彼は言葉を続ける。
「ミレルカはちゃんと自分の身を守るための手段を用意してるし、これがちゃんとこの辺りの魔獣に効果があるものだともわかってる。遠出は確かに危ないかもしれないけど、ラパンテームなら街の近くに生えてるから、大丈夫だと思う」
ヴェルトールの言葉に同意するように、ミレルカもこくこく頷く。
ミレルカ本人の主張に加え、錬金術師としての知識があるヴェルトールの言葉も加わる。
しばし考え込んだあと、セシリアは小さく息を吐き、少々困ったように苦笑いを浮かべた。
「そこまでいうなら……いいわ。ヴェルトールの話も前に聞いてるなら、多分大丈夫だと思うし」
ミレルカの表情がみるみるうちに明るくなっていく。
だが、ミレルカが感謝の言葉を口にするよりも早く、セシリアがびしりと額に指を当てた。
「ただし、危ないと思ったらすぐに逃げること。あんまり遠くには行かずに、ラパンテームを採ったらすぐに帰ってくること。いいわね?」
「は、はい!」
セシリアの言葉に、ミレルカは大きく頷く。
そんなミレルカの様子に、セシリアは少しだけ苦笑いを浮かべながら手を下ろした。
「あと、少しでもおかしいと思った場合もすぐに戻ってきてね。ヴェルトールからも少し物騒な話を聞いたから」
「物騒な話……?」
物騒な話――とは、一体なんだろうか。
首をかしげるミレルカに、今度はヴェルトールが答える。
「俺が王都方面に出かけてるときに聞いたんだけど……変に強い魔獣が出るって噂があるんだ。実際に、王都周辺の森で本来ならそこに生息していないはずの魔獣の姿が確認されたともいわれてる」
ヴェルトールの唇から語られる話に、ミレルカは目をぱちくりとさせた。
この世界に生息している魔獣は、種類によって異なる場所を生息地にしている。己の種族に適した環境のみで過ごすことが多く、生息地以外の場所でそこに住んでいないはずの魔獣が目撃されることなんてめったにない。
そのようなことが起きるとしたら、その魔獣がもともと暮らしていた環境に何かがあったか――魔獣が何者かの手によって移動させられたかのどちらかだ。
「目撃例は、まだ王都周辺にしか出てない。だから、誰かがいたずらで流した噂って可能性もあるが……」
「本当のことかどうか、王様は確かめてないの?」
「今、王都の魔獣調査隊が調査中。そのうち真偽のほどははっきりするだろうけど、もし本当だったら王都周辺以外でも似たようなことが起きてる可能性が高い。だから、気をつけろよ」
いつになく真剣なヴェルトールに、ミレルカは小さく頷いて返事をした。
ミレルカ自身も、むやみに危険に突っ込んでいくような愚かな真似はしたくない。まだ幼い弟や妹たちを放り出すことはできないし、何よりセシリアやヴェルトールを深く悲しませるような真似はしたくなかった。
家族が魔獣に喰われて死んでしまう悲しみは、他の誰でもないミレルカ自身がよく知っている。あれと同じ悲しみを今の家族に味わわせたくはない。
「大丈夫。私も、死にたくない」
「ならよし」
真剣な声色での返事に、ヴェルトールも満足げに頷いた。
彼の手がミレルカの頭に伸びて、ぐしゃぐしゃと少し乱暴な手付きで頭を撫で回す。
ヴェルトールの撫で方は、普段セシリアがしてくれる撫で方と比べるとどうしても不器用で乱暴だが、彼なりにこちらへ親愛を向けてくれるのがわかるため、嫌いではない。
ひとしきりミレルカの頭を撫で回すと、ヴェルトールは持って帰ってきた荷物を探り、銀色に光るチェーンブレスレットをミレルカに差し出した。
「念の為に。ミレルカ、手を出せ」
いわれるままに手を出すと、それがミレルカの手の中に落とされた。
銀色の台座に赤く輝く宝石のような石がはめ込まれたチェーンブレスレットだ。アジャスターを使って手首の大きさに合わせて調節できるようになっており、宝石の中には本来持っている煌めきのほかに異なる輝きが見える。
ただの装飾品のようにも見えるが、この話の流れでヴェルトールがミレルカに渡すのなら、ただの装飾品ではないと簡単に予想ができた。
「ヴェル兄、これは?」
「普段から錬金術の勉強をしてるならわかるはずだぞ? さあ、なんだと思う?」
ヴェルトールを見上げて問いかけてみるも、ヴェルトールは少々意地の悪い笑みを浮かべて逆に問い返してきた。
少しだけむっとしつつも、ミレルカは己の手の中にあるそれを見つめて考える。
普段から錬金術の勉強をしているならわかるはず――わざわざそういうのなら、錬金術が関係していることは確定だ。
錬金術で作り出すことができるものは、数多く存在する。それぞれの道具に作り出す際の難易度があり、錬金術師の位によって作れるものがランク分けされている。ミレルカが作ったラパンテームの傷薬と魔除けのお香は、どちらも無級――いわゆる、誰でも作れる簡単な道具だ。
錬金術師であるヴェルトールが差し出してきたものなら、彼の手で作られたものである可能性がもっとも高い。今の彼の位は青玉級。となると、青玉級のレシピで作れる道具だ。
「……もしかして、青玉級で作れる魔法道具の……えっと、玉音のブレスレット?」
己の中に宿る知識を探り、思い当たったものを口に出す。
玉音のブレスレット。青玉級の錬金術師が製作を許されている魔法道具の一つだ。
見た目はおしゃれなブレスレットだが、声を届ける玉音石という特殊な魔法石が使われており、身につけているもの同士で離れていても声のやりとりをすることができる効果がある。冒険者が危険な場所を探索する際に、仲間同士でスムーズにやり取りができるよう身につけることが多いものだ。
ミレルカが口にした答えを聞き、ヴェルトールは満足げににやりと笑った。
「正解。さすが、しっかり勉強してるな。ミレルカ」
その言葉とともに、ヴェルトールの手が再びミレルカの頭をくしゃくしゃ撫でる。
「そのとおり。これは玉音のブレスレット。多分このアジャスターで調整すればミレルカも身につけられると思うから、つけていけ」
「いいの?」
「ああ。俺も同じのを身に着けてるから、何かあったらこれですぐに呼んでくれ」
その言葉とともに、ヴェルトールが身につけているローブの袖をまくった。
彼の手首にはミレルカの手の中にあるものと同じデザインをしたブレスレットがついており、台座にはめ込まれた玉音石が照明の光を反射してきらきら輝いている。
外に出れば街の大人に連絡をとるのは困難になるが、なるほど。これがあれば、何らかの異常が発生した際、すぐにそのことを伝えられる。受信役が街の外に出ることが多いヴェルトールなら、何か起きても対処に慣れているはずだ。
「この玉音石の部分に触れば、玉音石が体内の魔力に反応して声を届けてくれる。あとは、どこかに隠れるか何かして俺が到着するのを待つ。絶対に無理はせず、何か起きたらすぐに連絡する。いいな?」
「はい」
ヴェルトールが使い方を軽く説明したのち、真剣な表情で念を押す。
ミレルカもそんな彼の顔を真っ直ぐに見上げて頷けば、ヴェルトールはふっと柔らかく表情を緩めた。
「よし。なら、いっておいで」
「はあい。セシリア先生、ヴェル兄、本当にありがとう! いってきます!」
最後にもう一度だけミレルカの頭を撫で、ヴェルトールの手がミレルカの背中を軽く叩いた。
そんな彼の手に押されるように、ミレルカは二人の保護者に感謝の言葉を告げて部屋を離れる。
軽やかな足取りで自室に向かい、布鞄に必要なものを詰め込み、手首にきらきらと光を反射する玉音のブレスレットを身に着ける。
たちまち外出の準備を整え、ミレルカは街の外へと向かった。
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