第19話
陽介はリビングのソファに座ってスマホを眺めていた。画面に並ぶツイッターの文字を目で追っていると笑いが自然にこみあげてくる。
世の中にはたった数文字で本当に面白いコメントを書くことのできる人間が多いものだと改めて思った。テレビのお笑い番組を見ているよりもツイッターでいろいろなコメントを読んでいるほうがぜったいに面白い。
LINEのメッセージを告げる着信音が鳴った。
陽介は画面をスライドしてメッセージを確認した。送信者は同じクラスの同級生だった。
――お前、粧生堂に替え玉使って内定もらった、ってツイで拡散されてるぞ。ナナ先輩も関わってるって。
陽介は画面を操作してメッセージを返した。
――えっ、マジ? どういうこと?
――いいから早く見てみ。マジで炎上してる。
それから何回かやりとりを終えてひと息つくと、今度は電話の着信が鳴った。画面には菜々美先輩と表示されている。
通話のボタンを押すなり、菜々美の尖った声が聞こえた。
『陽介君、ツイッター見た?』
『あ、見てたんですけど、お気に入りの芸人のやつを見てて…………何か内定のことで僕の名前が上がってるみたいで』
『君だけじゃないわ。私の名前も上がってるの』
『えっ、そうなんですか』
『本当なの?』
陽介は髪を掻いた。『えっと…………何がですか』
ちっと小さく舌打ちする音が聞こえた。菜々美がかなり苛立っているのが、電話越しにも伝わってきた。
『君がウチの内定を取るために替え玉を使ったってことよ』
『いや、それは…………』
陽介は言葉に詰まった。キリロウのことを話すべきかどうか、迷っていた。
菜々美はその沈黙を肯定と受け取ったようだった。
『やっぱり本当なのね。だから入社試験を受けてないのに内定が取れた』大きくため息をついた。『君、それを誰に話したの。まさか他にもぺらぺら喋ってるとか?』
『いや、さすがに替え玉なんて話は…………』
『じゃあ、入社試験を受けていないのに内定したって話は?』
陽介はうーんと唸り声をあげた。そのあいだ、菜々美は電話の向こうで黙っていた。陽介の心の中を探ってくるような静けさだった。
陽介が答えられずにいると、菜々美が先に口を開いた。
『話したのね』すこし間が空いて『わかった、大作君でしょ。そういえば君、この前飲んだときそんな話をしてたわよね』
さすがに菜々美は頭がいい、と思った。陽介とのほんのわずかな会話を憶えている。そして陽介も情報の発信元は大作だろうと考えていた。なぜなら内定の経緯は大作にしか話をしていなかったからだ。
そんなことを考えながら黙っていると、菜々美が声を張り上げた。
『何でそんなことをいっちゃったのよ、お蔭で私まで会社からしばらく出社してくるなって言われてるのよ。いい? 私はぜんぜんっ、関係ないんだからね。君、ちゃんとウチの会社に電話してそのことを話しなさいよ、ねえ聞いてるの? わかった?』後半はほとんど泣き声だった。
わかりました、と答える前に電話が切れた。
陽介はすぐに大作の電話番号を呼び出し、通話のボタンを押した。
大作は電話に出なかった。呼び出し音が何回か鳴った後、留守番電話に切り替わった。何度電話をかけても同じだった。
――次は大手化粧品会社で起こった替え玉入社の疑惑に関してです。
つけっぱなしにしていたテレビから気になるアナウンスが聞こえてきた。陽介はスマホを操作する手を止め、思わずテレビに目を向けていた。
子役出身の俳優が司会をつとめる昼間のバラエティ番組だった。内容はまさに陽介が主役になっている粧生堂の替え玉入社問題に関してで、今、ツイッターで盛り上がっている話題をどこよりも早く取り上げるのを企画のウリにしているらしかった。
さすがに会社名や個人名はイニシャルで表現されていた。けれども大学名はそのまま東照大学と公開されている。会社名も有名化粧品会社のSといえば、ほとんどの視聴者は粧生堂だと想像がつくはずだ。
出演しているタレントたちが口々に当たり障りのない意見や感想を口にし、別の話題に移った。時間にして五分かそこらの短い扱いだった。
SNSの発信力が大きいとはいえ、やはりテレビの情報発信力はけた違いだ。ほんのわずかな時間での放送とはいえ、テレビの一パーセントの視聴率には百万人の視聴者がついていると聞いたことがある。この番組はたぶん五から六パーセントくらいの視聴率だろうから、単純に五百万人以上の人間が見ている計算になる。
たぶん他のマスコミも動き始めるだろうと思った。粧生堂や東照大学には問い合わせが殺到するはずだ。
陽介はふたたびスマホを手に取り、大作にLINEのメッセージを送った。
――僕の内定の件、ツイッターに上げたのは大ちゃんかい?
送信してすぐ、大作から返信があった。
――自業自得だろ。
文末には大笑いしているてるてる坊主のようなキャラクターの画像が付いていた。
こいつは敵だな、と思った。最初に陽介が送ったメッセージには、すこしだけ大作に対する遠慮もこめたつもりだった。けれども大作からの返信には、陽介に対する敵意が短い文面から滲んでいた。
特にショックはなかった。想定通りでもあったし、友情にそもそも期待など持っていなかった。
陽介は検索機能を使って、替え玉入社に関するツイッターのコメントを眺めた。テレビ放映がきっかけになったのか、多少落ち着き始めていたコメント数が再び増えているのが見て取れた。
「参ったね、こりゃ」思わず笑ってしまった。
チャイムが鳴った。来客を知らせるものだった。ひょっとして、キリロウが自宅にまで金を回収しに来たのか、と思った。
インタフォンの画面に厚化粧の女の顔が映っていた。知らない顔だった。女の後ろにも何名かの人の姿が見えた。
『テレビ関東の者です。木嵜陽介さんのご自宅で宜しいですか。今回の替え玉入社に関して何か仰りたいことはありますでしょうか。是非お話をお伺いさせてください』早口でひと息にしゃべった。
慌てて通話を切った。すぐにチャイムが鳴り始めた。陽介はインタフォンから離れ、寝室に入って扉を閉めた。
こういう場合はとにかく話をしては駄目だ、と思った。いちど声を出したら、それをきっかけに連中は途切れなく質問を浴びせてくる。陽介はスキャンダルを起こした芸能人の自宅に押し掛けるレポーターたちの姿を何度もテレビで見たことがあった。
ベッドに横になりながら、しつこく鳴り続けるチャイムの音を聞いていた。
こうしてはいられない、と思った。キリロウと約束した五十万円の期日は明日だった。このままマスコミが増え続けていけば、完全に身動きが取れなくなってしまう。
陽介はスマホを操作してキリロウの番号を呼び出した。通話のボタンを押して耳に当てる。
数回の呼び出し音が鳴った後、
『木嵜さん、電話を待っていましたよ』
キリロウの落ち着いた声が応じた。
陽介はごくりと音を立てて唾を飲みこみ、口を開いた。
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