第12話
陽介が煙草をくわえ百円ライターで火を点けた。普段は電子タバコを喫っているけれど、大作と呑みにいくときはいつも紙巻煙草だった。たぶん自分に合わせているのだろうと大作は思っていた。
陽介は煙草を喫いながら自分のスマホを見ていた、何か面白い動画でもあるのか、にこにこしながら画面を見ている。そして、ふと思い出したように大作に目を上げた。
「そういえばさあ、大ちゃん、香織ちゃんとは順調なの」
「まあ、どうなんだろう」
大作はアルミの灰皿に煙草をつぶし、首を傾けた。香織は大作が付き合っているサークルの一個下の後輩だった。もちろん陽介も香織を知っている。「最近、俺が就職活動に忙しいからさあ、ちょっとご機嫌斜めみたいな?」
「へえ、香織ちゃんってそういうタイプなんだ、ちょっと意外な気がする」
陽介が面白そうに、にやにやと笑っている。
確かに香織はサークル内で、姉御肌で男っぽいタイプで通っている。そういう香織が大作にすねてみせる態度も、内心はちょっとかわいいと思っていた。
大作は枝豆を口に放りこみ、テーブルの上に両肘をついた。
「つーか、お前のほうはどうなんだよ。今、彼女は?」
「いないってわかってるだろ、ここんとこずーっと独り身だよ」
陽介とは親友だが、プライベートはよくわからないところがいくつかあった。普段から彼女はいないといっているのだが、渋谷で美女と楽しそうに歩いていたりする。
「ここんとこって、いつからだよ」
普段なら笑って流すところだが、ちょっと陽介をいじめてやろうと思った。
うーん、と陽介は顔を傾け、斜め上を見た。「たぶん…………半年くらい前?」他人ごとのように答えた。
それなら話が合うな、と大作は思った。渋谷で美女といる陽介を見たのは確か半年くらい前だった。それでもそのとき、陽介は彼女がいないといっていたような気がするが…………。
そして大作には、なぜ陽介が表立って彼女がいるといわないのかの見当が、だいたいついていた。
「ナミ先輩は? ナミ先輩とはその後、連絡を取ってないのか」
その名前をいったとたん、陽介がちょっとだけ目を見開いた。耳のふちがほんのりと赤くなっているのは酒のせいだけではないだろう。
「取ってないよ」
「何でだよ」大作は訊いた。
「ナミ先輩も社会人だからさ…………忙しいんじゃないか、と思って」陽介が煙草をひと口喫い、すぐに消した。ジョッキに手を伸ばし、中身が空になったのに気がづいて店員に手を上げる。
「すいません、中ジョッキ――」
「あ、店員さん、うそうそ。大ジョッキ二つね」
陽介の言葉に割り込んで、大作がいった。「おまえさー、飲み放題で中ジョッキなんか頼んでんじゃねえよ」
ナミ先輩こと、小田島菜々美は一学年上の卒業生で、サークルの先輩でもあった。
菜々美は誰にでも分け隔てなく優しくて、美人で、サークルの人気者だった。菜々美を好きな男はサークル内にたくさんいたが、陽介もその一人だった。しかも大作が知る限りけっして浮ついたものでなく、かなり真剣だった。
想いというのは、それが本気であればあるほど何となくわかってしまうものだ。陽介の菜々美に対する想いも、サークルのメンバーのほとんどが知っていた。だから菜々美も陽介の気持ちを知っていたはずなのだけれど、結局二人が付き合うことはなかった。
お互いのビールが運ばれてきて、改めて乾杯した。
菜々美の話がきっかけになったのか、陽介のビールを飲むペースが早くなった。顔が赤くなり、目も心なしかとろんとしている。陽介は普段からあまり酒は呑まないほうだが、相当な量を呑んでもほとんど乱れない。酒の強さは大作以上だと思っている。だから今のような陽介の顔を見るのは、大作も初めてだった。
「陽介ってさあ、ナミ先輩のこと、すっげえ好きじゃん」
「…………まあ、そうかもな」
ちょっと間があって陽介が答えた。大作はちょっとびっくりした。もうサークルのほとんどが知っていたことだけれど、こうしてはっきりと認めるのは初めてだった。
「何で、そんなに好きになっちゃったわけ?」
うーん、と陽介が小さく唸り、ビールを飲んだ。
「やっぱ、あれかなあ…………、ナミ先輩って他の女の子と違って知的なんだよね」
「へえ、そうなのか」
確かに菜々美は頭の回転も早かったし、学業の成績は良かったと聞いている。だから東照大学からはめったに入社できない一流企業にも就職できたのだろう。
「ちょっと他の子と違うっていうか…………いつだったか、僕がくだらない悩みを相談したときも、ずばっと悩みを全否定してくれて、その理由をはっきりと伝えてくれたんだよね」
「それと美人だしな」大作はにやりと笑った。
「もちろん、それもあるかも」
陽介も照れ臭そうに笑う。
それから陽介は、菜々美とのいろいろなエピソードをひとり語りみたいに話しはじめた。
家が近くだったので、よく通学途中で顔を合わせ大学まで一緒に通学したこと、サークルの夏の合宿の肝試しで、くじ引きでカップルになれて嬉しかったこと――そういった話のあいだに、菜々美の何気ない言葉やしぐさ、表情などを手まね、顔まねで再現しながら本当に楽しそうに話した。
大作はその姿を眺めているだけで、陽介の菜々美に対する気持ちが痛いほどわかった。あまり運動が得意でない陽介が今のサークルに入ったのは、菜々美が入部を熱心に勧めてくれたからだとの話も、大作は初めて知った。
「お前さあ、そんなにナミ先輩が好きなら告白しちゃえばいいじゃん」
「そんなのできるわけないだろ。だいたいあっちはもう社会人なんだし、こっちは卒業も危ない学生だよ」
酒に赤く火照った顔の前で陽介が手を振った。
今日の陽介はかなり酔っている――大作はジョッキを傾けながら思った。いっぽうで、この際いろいろと喋らせてみるのも面白いな、と思った。プライベートを話したがらない陽介だから、ひょっとしたら何かびっくりするような話が出てくるかもしれない。
「あ、そういえば、ナミ先輩で思い出したんだけどさ」
「何だよ、告白してフラれたのをついに白状する気になったか」大作は枝豆に手を伸ばし、茶化すようにいった。
「そんなんじゃなくて」
笑いながら陽介がジョッキを手に取る。「就職なんだけどさ、この前、粧生堂から内定の連絡があった」さらりといい、ごくごくと喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「へっ」
大作は飲みこんだ枝豆がのどに詰まりそうになった。何度もせき込み、ようやくひと息ついた。「何だって? 粧生堂?」
「そ、粧生堂。一流だよね」
「一流どころか、超一流じゃん」確か世界三大化粧品メーカーといわれている多国籍企業でもある。もちろん大作も知っていたけれど、あまりにも競争が厳しそうでエントリーすらしていない。
「まあ、そうだよね」
「何で? コネ?」
「うーん、コネっていうか…………不思議なんだよね」
本当に不思議そうな顔を斜めに傾ける陽介を見て、大作はふと思い出した。
「あ、そういえば粧生堂って、ナミ先輩の会社だよな」
「そ、人事部で働いてるみたいだよ」
「おまえ…………」
大作は目だけで陽介を睨んだ。「実はナミ先輩と付き合ってんじゃねえのか、それで――」
「ああ、違う違う」
陽介が話の途中から右手をひらひらと振り始めていた。「ナミ先輩は全然関係ない」
「それなら何でだよ」
「だから不思議なんだよねっていったでしょ」
「だからさあ」まどろっこしい陽介にちょっと、いらっとした。「何が不思議なんだよ」
「僕ね、粧生堂の入社試験を受けてないんだよ。それなのに突然、電話がかかってきて『内定です』って。ね、不思議でしょ」
「はあ? そんなのありえないだろ」
「そ、ありえないんだよね。だから不思議なんだ」
自分に振りかかっている不可思議な状況を楽しんでいるように、陽介がにこにこしながら答えた。
大作はその顔をじっと見つめたまま、考えた。
陽介の言葉が本当ならば、たぶん資産家の親が陽介の知らないところで粧生堂の上層部と話をつけてしまったというのが実際のところではないだろうか。
学生に人気の会社の中には内定者の大半が強力なコネがらみで入社をしていて、コネのない学生は入社できない、なんてところもあると聞く。もちろん受け入れる会社側にも、学生の能力以上にそういう学生を入社させるメリットがあるから採用しているはずだ。
陽介の件も、裏を知ってしまえばよくある話なのかもしれない。
そうだ、きっとそうに違いない。
けれども――
陽介を見る目が鋭くなっているのを、自分でも気が付いていた。
それってアリかよ、
だんだん腹が立ってきた。本気で頭に来ていた。就職ってひとの一生にかかわる大イベントじゃん。
人生、表もあれば裏もあるなんていったものの、まさかこれほどあからさまに世の中の裏側を見せられるとは思ってもいなかった。
大作は鋭くなっている目つきをごまかすために、ビールを飲むふりをしながら陽介の顔をうかがった。
くせのないさらさらの髪質、男にしては色が白くニキビの痕ひとつない滑らかな肌。今までそういう目で見たことがなかったけれど、確かに育ちの良いお坊ちゃんに見える。真っ黒で太い髪、地黒でニキビの痕だらけの大作とは正反対の印象だ。
(くそっ、どうしてこいつばっかり…………)
大作は陽介に嫉妬している自分に気が付いていた。
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