第11話
二〇一八年 春
「すいませーん、生大一つね」
大作は空になったジョッキを持ち上げた。
「大ちゃん、あいかわらずピッチが早いよ」
陽介がフライドポテトを口に放りこみ、呆れた様子でいった。テーブルに置かれた陽介のジョッキはまだ半分も減っていない。ちなみに大作はこれが三杯めだ。
「二時間呑み放題なんだから、飲んどかなきゃ損だろ」
「明日、一時限からだろ。遅れんなよ」
「単位ギリギリで卒業もヤバいやつに言われたくないっつーの」
「あ、そりゃそうだ」
陽介が頭をかきながら笑った。
陽介とは東照大学法学部の同じクラスで、夏はテニス、冬はスキーをしているシーズンスポーツの同じサークルに所属している。お互い地方出身者でまわりに知った人間もいなかったため、入学してすぐに仲良くなった。
大作は奨学金を使い、住んでいるアパートの部屋も四畳半、香川で普通のサラリーマンをしている親からの仕送りが足りないので、アルバイトが途切れることがない。
いっぽうの陽介は親が資産家らしく、たいしたアルバイトもしていないのに住んでいるのはリビングが二十畳もある渋谷区の2LDKの新築マンションだ。
とにかく勉強をほとんどしないので、いつも単位はギリギリ。けれども不思議と留年もせず四年生にまで進級した。
見た目はイケメンでもなくいたって普通。だが、なぜだが女にはモテているようだ。以前、渋谷で陽介がモデルのような美女と歩いているのを見たことがある。あとでそれを話したら、化粧品のキャッチセールスに引っかかっただけだと笑っていたが、遠目にもそんな雰囲気には見えなかった。
こうやって考えると、金持ちでナンパで鼻持ちならない嫌な奴を思い浮かべるものだけれど、陽介は金持ちを鼻にかけたり偉ぶったりするところがまったくない。
実際、陽介と呑むときはいつも安さが有名なこの居酒屋で、肴は安いものばかり。しかも二時間呑み放題がお決まりのコースだった。
大作は陽介を親友だと思っているし、たぶん陽介も同じだろうと考えている。もちろん直接確かめたわけではないけれど。
大作はシャツのポケットに手を当てた。煙草が入っていなかった。しまった、ここに来る途中で買っておくのを忘れていた。
陽介が煙草の箱を人差し指と中指でテーブルの上を滑らせ、大作の前に差し出した。その上に百円ライターをぽんと置く。
「よかったら、俺の喫うかい」
「あ…………おおサンキュ」
大作はちょっと驚いて陽介を見た。煙草が喫いたくなったことにどうして気が付いたのだろうと思った。
そしてきっと、女は陽介のこういうところに惚れるのだろうな、とも思った。
「はい、生大お待たせしましたー」
店員が運んできたジョッキを持ちあげ、大作はビールを流し込んだ。
「つーか、お前就職とかどうすんの」陽介の煙草から一本抜きとり火を点ける。
「うーん、どうしよっかなあ…………」
小鉢のチャンジャをつまみながら陽介がいった。
「就職活動とかしてんのかよ」
「大ちゃんはどうなんだよ」
「おれはもうガンガンよ。エントリーシート五十社に提出して、スケジュールは真っ黒だぜ」
「へーえ、すごいな。大ちゃんって、サラリーマンになったら企業戦士になるタイプ?」
陽介がにこにこしながらいい、ジョッキを傾ける。
その顔を見て、大作はちょっといらっとした。のんびりしている陽介をすこし焦らせてやろうと話をふったつもりだった。けれども陽介に焦った様子はすこしも感じられない。
「お前さあ、外資系とかベンチャー系は、優秀な学生に三年生の段階で内定を出してるんだぜ」
「え、だってエントリシートの提出は今月からだろ」
「それは大手企業の場合だよ。ベンチャーや外資は学生が三年のころから自分とこでアルバイトさせて、『これは』と思った学生にそのまま内定を出しちまうんだよ。似たようなことは大手もやってる」
大作はスマホを操作してTWITTERを開いた。画面には『内々定もろたああああー』『長かったー』『内定きたー』などのコメントが表示されている。
「ほれ、見てみ。もう内定もらった連中がコメント上げてる」画面を陽介に向けた。
「それは…………ずるいじゃん」
スマホの画面を見る陽介の目がちょっと鋭くなった。どうやら本当にむっとしているようだった。
「世の中、表があれば裏もあるんだよ」
大作はそう答えて、煙を吐いた。
「なんかそのセリフ、時代劇の悪代官みたいだね」陽介がジョッキを手にとる。もうその目に鋭さはなかった。
大作もジョッキを傾けながら、にこにこと笑う陽介の顔をあらためてながめた。
そもそも陽介は就職活動などする気がないのかもしれないな、と思った。これくらいの情報は就活生なら誰でも知っている。TWITTERは発信者の特定が容易なので、内定報告が原因で内定取り消しをされる学生も出ているほどだった。だから匿名投稿ができる掲示板などでは具体的な企業名を含めたもっとあからさまな情報が公開されている。就職活動にまじめに取り組んでいる学生ならすべて常識だ。大作もそういった情報を参考にしながら応募する企業を研究したりしていた。
陽介は詳しく話したがらないが、親はかなりの資産家なようだし、ひょっとしたらすでにコネを駆使してどこかの会社へ入社の話がついているのかもしれない。
大作はジョッキをテーブルに戻した。
不公平だな、と思った。
大作は自分でいうのも何だが、成績は優秀だ。Aも三十個以上ある。少ない仕送りをおぎなうためにアルバイトもこなし、自由な時間はほとんどない。それでも授業をさぼったことはないし、サークルにもまめに顔を出している。
世の中、表があれば裏もあるんだよ――大作は陽介にいった言葉が、ブーメランみたいに自分に返ってくるのを感じていた。
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