第10話

 現場に残された大型のナイフとのこぎりに付着した指紋は、剣崎直人のものと断定された。凶器についた血液も剣崎麻美ちゃんのものと判明し、腹部に押し込まれていたビニール人形から微量だがヒ素が検出された。

 猛毒のヒ素が検出されるなど、警察もまったく予想をしていなかった。直人や両親からヒ素の入手経路を含めた聞き取りがおこなわれた。だが直人は頑としてヒ素の使用を認めず、入手経路も不明だった。

 これらの鑑定と剣崎夫妻および直人からの聞き取り内容にもとづき、警察は直人を保護の必要な少年として児童相談所に通告を行った。児童相談所長の判断により直人は家庭裁判所で裁判を受け、児童自立支援施設に送られた。

 ヒ素に関しては検出量が微量であり直接の死因ではないこと、直人が十四歳未満の少年で任意の範囲でしか捜査ができないことなどから、誰がどうやって入手し、使用したのかは、わからないままとなった。事件は警察発表がなされると同時に、社会に大きな衝撃をもたらした。

 直人の両親の元にはマスコミが大量に押しかけ、連日テレビで事件の詳細が報道された。特別番組も編成され、ある時期、日本中の話題の中心となる出来事になった。

 直人の両親は離婚。父親の忠直は警視庁を退官した。

 松濤の屋敷は窓にすべてのカーテンがおり、夜も部屋に電気が点くことはなかった。近隣の住人がたまに忠直が出入りしているのを見かけているので、家にいるのは間違いがない。おそらく外からの視線をおそれ、蝋燭の火だけで暮らしているのではないかと噂されていた。

 絵美は実家近くの小さなマンションに引っ越した。こちらにもマスコミが押しかけ絵美の家庭環境まで調べ尽くされた。裕福な家庭で育ち、子どもを産んでからもすぐに職場に復帰した絵美を「子どもに対する愛情不足が直人のような怪物を生んだ」と批判が集まった。絵美が会社員時代に上司と不倫関係にあったと話す、かつての職場の同僚の発言も記事になった。

 いつのまにかマスコミの報道は、事件そのものよりも怪物を生んだ忠直と絵美二人の人格攻撃になっていった。

 やがて絵美が自室で首を吊って死んでいる姿が発見された。

 遺書には「子どもは親のコピーです。直人があんな事になったのも、きっと私の中に直人をああいう行動に走らせてしまう何かがあって、それを直人が受け継いでしまったのだと思います。大元の原因は私にあります。だから私はこの世から消えます」とあった。


 捜査が終了して四か月後、石原は直人を診断した医師、二宮と話す機会があった。二宮とは直人の事件の前にも捜査を通じて何度か顔を合わせていた。年齢が近いのもあってなぜかウマが合い、本部が立っていないときは仕事帰りに連れ立ってよく呑みにいく。お互い「ニノさん」「石やん」と呼び合う仲だった。

 この日も石原は、二宮と浅草橋の居酒屋で向かい合っていた。誘ったのは石原だった。浅草橋には二宮が開業しているクリニックがある。

 二宮は直人を、無感覚非感情的特徴を伴う行為障害と診断していた。

「行為障害ねえ…………」

 石原は空いた自分のコップにビールをつぎ足しながらいった。二宮と呑むときは、お互い自分のペースでやるのが取り決めだった。

「少年犯罪の場合は、一般的な診断のはずだぞ」

 そういって二宮が杯を傾けた。テーブルの上には冷酒の入ったガラス製の徳利が三本並んでいる。二宮の顔はすでに真っ赤だった。

「やっぱり病気になるのかい」

「病気といえば病気なんだが…………」

 二宮がざるに盛られた枝豆に手を伸ばし、皮をむいて口に放りこむ。「ここでは刑事と医者じゃなくて、お互いただの飲み仲間ってことでいわせてもらうけどな」枝豆を食べながらいった。

「おいおい、はなから仕事として来ちゃいないぜ」

「ふーん、本当にそうか」

 にやにやにしながら二宮がいった。「本当はこの話を聞きたくって来たんじゃないのか」

「勘弁してくれよ」

 苦笑して石原はビールの入ったコップを手に取った。ひと息に飲み干す。やはり二宮は心理学のプロだ。すべてお見通しだった。

 石原は事件がいちおうの決着を見たあとも、直人のことがずっと頭の片隅にひっかかっていた。いちばん気になったのは直人の目だった。ただ目の前にあるものに、視線を置いているだけのような、怒りや悲しみ、喜びや驚きといった感情がまったく感じられない、あの目――――。

 わずか八歳の子どもが、なぜ人を殺してもあんな目でいられるのか。

 その理由がどうしても知りたかった。直人と同じ目をする殺人者を、石原は知らない。

 二宮が空になった徳利を手に持ち、「すいません、冷酒もう一本ちょうだい」と声を張り上げる。「あいよー」と威勢のよい返事が返ってきた。

 石原はコップにビールを注いだ。

「まあ、ぶっちゃけいうとだな。剣崎直人君だっけか、あの子はいわゆるところのサイコパスだな」

 石原はコップに伸ばした手を止めた。やはりそうか、と思った。

「それは治るものなのか」

「サイコパスには先天的なものと、環境が原因の後天的なものがあるといわれてる。そして直人君の場合、一歳のときにはすでに兆候があらわれていた」

「はい、おまちー」

 店員が冷酒を運んできた。二宮は杯に徳利を傾け、唇を伸ばして酒を呑んだ。すっかり話していたことを忘れてしまっているようだった。

「おいニノさん、どうなんだ。直人君は――」

「無理だな」

 かぶせるように二宮がいい、テーブルに音を立てて杯を置いた。

「治すなんて無理。あれは生まれながらのサイコパスだ。矯正なんてできるもんじゃない」テーブルに両肘をつけ、酒に火照った赤い顔を近づけてきた。

「石やん、妙な正義感を出すなよ。殺されるぞ」


 それから数年後。

 教育を受け施設から出た直人は、差別を避けるために名前を変え、父親の忠直の遠い親戚にあたる長野県の七十一歳の男性に引き取られた。

 妻を早くに亡くして子どももおらず、長い間一人暮らしだった男性は直人を孫のようにかわいがった。直人もしばらくは地元の小学校に通い、何事もなく過ごしていたものと思われる。

 直人と男性が一緒に暮らし始めてから一年が経ったころだった。

 男性が自宅の階段から滑り落ちて大怪我をした。車椅子を使わなくては生活ができなくなった男性は直人を養えなくなった。

 直人は保護観察官の元に引き取られることになった。ところが二年後、その保護観察官もアパートのベランダから転落して死亡した。

 それらのすべては事故として処理された。

 石原はその結果に納得できなかった。だが警視庁の管轄外で起こった事件に対して、しかも事故と処理されたことに対して口をはさめなかった。

 結局のところ、誰が救いの手を差し伸べても直人には無駄なのだろうと石原は考えている。

 矯正なんてできるもんじゃない、――はからずも二宮の言葉が正しかったと実感していた。

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