第43話 精霊界と精霊女王
「……精霊界って……何もないところね」
入ってからのパニックがようやく落ち着いたのかリーファは呟いた。
◆◇◆◇◆
セイルの導きで火口湖から飛び込んだ俺たちは、満月に輝く湖面に吸い込まれ、無事に精霊界に入ることができた。
無事に入れたのは良かったのだが……。
精霊界は何もない場所だった。
立っている地面も見えず、見渡してもなんの景色も見えない。
物質というものが存在せず、ただ『なにも無い空間』のなかに俺たちだけ存在している、そんな場所だった。
ということは……そうなのである。
物質が存在できないため、俺たちは精霊界に入った瞬間から素っ裸になっていた。
リーファがパニックだったのはそういう理由である。
ちなみにパニックだったのはリーファだけで、他の3人は堂々としていた。
「あ、あなたたち何でそんなに堂々としてるのよ!!!?」
リーファはしゃがみ込んで皆に訴える。
そんなリーファに3人はただひと言……。
「ふっ……」
負けん気を出したリーファが、恥ずかしさで顔を赤らめながらも顔で堂々と立ち上がったのは言うまでもない。
「……お前ら何やってんだ」
そう言う俺も……しゃがみ込んでいた。
マインたちを見て大事なところが一大事になっていたのだ。
男には……やめられない止まらない隠せない反応があるんだよ!!!
ん?お前は大丈夫なのか?
不思議なことに、この精霊界でも本(ブック)は変わらず存在していた。
今は本(ブック)で俺の大事なところを隠すことにする……許せ相棒。
◆◇◆◇◆
「物質的にはそうだな……だが目を凝らして見てみろ」
俺もようやく落ち着いて……リーファの疑問に答えた。
そう言うと、リーファはじっと俺の顔を凝視する。
俺を見てどうする。
「……精霊がいっぱい……綺麗」
リーファの言葉に他の皆も周りを見渡し、気づいたようだ。
精霊界は精霊で満たされていた。
様々な精霊……よくわからない属性の精霊や原始の精霊たちが漂っているのを感じる。
そして俺の周りには、ことさら多くの精霊が集まっているようだ。
俺たちはしばらくのあいだ、精霊たちに満たされたこの精霊界に目を奪われていた。
◆◇◆◇◆
「アーツ……」
ん?フィアが俺をツンツンとつついた。
そんなフィアの指さした方向を見ると……。
いつのまにかそこに扉と階段が顕現していた。
『カツカツカツ……』
音もなく開いた扉からひとりの女性が降りて来る。
透き通るような美しさのエルフだった。
……どことなしかマインたちに似ている……。
俺たちの前に姿をあらわした女性は……裸ではなかった。
精霊界に漂う精霊たちを身体にまとわせ、幻想的な衣をまとうように存在していた。
衣をまとった文明人と、素っ裸の未開人……そういう恥ずかしさを急に感じる。
このままでは交渉の場にすら立てないし、思わずしゃがみそうになる。
俺はさっそく女性の真似をして、俺たちも衣のように精霊たちを身にまとった。
ようやく落ち着いて話ができる……。
そんな俺の落ち着きを感じたのか、目の前の女性が声を発した。
「ようこそ精霊界へ。わらわはこの精霊界の守り人である精霊女王じゃ」
たんたんと語る女王。
その存在は人というよりは精霊に近い……感情が抜けた……神に憑かれたような感じがした。
この世界でいうと精霊に憑かれたということだろう。
「ほう……エルフがおる……よもやこの精霊界に入ってこれようとはな」
女王がポツリと呟く。
「あなたもエルフだろう?」
俺は単純な疑問を口にする。
「いかにも、わらわはエルフの始祖じゃ。そしてわらわは元々双子じゃった……そして妹がお前たちエルフの始祖となり、わらわはこの精霊界の守り人となったのじゃが……いくら妹の子孫といえど、セイルの監視を抜けて精霊界に入れるはずないのじゃが……」
……すまない、セイルはもう飼い慣らしている。
「精霊女王様!この世界より精霊力が失われつつあります。どうか精霊力の再生を……復活をお願いします」
精霊女王の存在に気圧されていたマインであったが、気持ちを振り絞ってなんとか声をあげた。
「む?……精霊力など失われてはおらんぞ。むしろ世界の精霊力は増えておる……その男のおかげでな」
女王は感情のこもらない目で俺を見る。
「アーツ様?」
マインが驚きをあらわに俺を見る。
もしかしたらとは思っていたが……やはりな。
前にセイルと宇宙(そら)から視たこの星。
俺に視えるこの星の世界は……精霊に満ちていた。
消失などせず満ち溢れていた。
ただ……その精霊力は歪に淀んでいたんだ。
「その男は薄々感じていたようじゃが……この世界の精霊力は消失などしておらん。精霊力は世界に満ち溢れておるが、4大精霊の流れが止まりつつあるだけじゃ。この4つの精霊力は人を寄せ付けない未踏の地に淀み、人で栄えた地には届いておらぬのじゃろう……」
俺の気持ちを説明するかのように女王が話す。
女王の言葉で確信する。
そう……この星の精霊は不整脈に陥っていたんだよ。
いや、この星が不整脈に陥っているというべきか。
人が栄え、4大精霊を酷使した結果なのだろうか……。
いずれにせよこのままでは星は死に至るだろう。
「まあ、わらわにもどうすることもできなかったのじゃが……この世界はそなたを遣わしたらしい」
感情のこもらない目で女王は俺を真正面から見た。
「俺?」
「うむ、その本に嵌められた4つのジュエル……そなたの支配下であろう」
「ああ、そうだ」
「ではお前が『ジュエル・マスター』じゃ」
「ジュエル・マスター……」
「現在の4つのジュエルは朽ち果てかかっておる。この世界に精霊力を再生するとは……新たなジュエルで新たに精霊力を循環させるということじゃ」
「循環させるとはどのようにするんだ?」
「簡単なことじゃ。そなたの4つのジュエルを台座に納めるだけじゃ。そなたの役割は新たなジュエルを生み出し、ここまで運んでくれたことじゃ。礼を言う」
そう言うと、女王は俺に向かって優雅にお辞儀した。
「台座?ここにあるんじゃないのか?」
「ジュエルをおさめる台座はほれ、うえじゃ」
女王が視線を向けた先には月が輝いていた。
天空に輝く月から俺たちのいる精霊界まで、真っすぐに光の筋が伸びていた。
「月に台座があるのか?」
「いや、月そのものが台座といったほうがよいじゃろう」
「遠いな……俺なら飛んでいけるが……台座におさめるだけだろう?」
「無理じゃな……台座のある場所は精霊そのものじゃ。その存在の大きさに耐えられるものなどおらんよ……わらわはそのまま精霊に飲み込まれ消えるじゃろう」
感情もなく、こともなげに言う女王は、月から延びる光の下へ歩き出す。
またか……また自己犠牲か……。
「お前はそれでいいのか?」
女王の背中に向かって、俺は少しイラつきながら聞く。
満月の光の下に立ち、台座に転送される状態で女王は俺たちを振り返る。
そんな女王の顔を正面からブルーブラックの瞳で睨みつける。
この瞳に嘘はつかせない。
「……わらわは……わらわはそういう存在じゃ……」
そういう精霊女王は初めて感情をあらわにした……それは世界を救うという達成感や満足感ではなく……。
「お前のその顔……怖くて寂しくて哀しんでるじゃねえか!!!」
女王、そうやって気持ちをあらわせ!……神にはならなくていい。
俺は大きく深呼吸し、誰へあてたわけでもない怒りを鎮める。
全身に精霊たちが集まるのを感じながら、マインたちを振り返る……見つめ合う4人と1人。
「マイン、リーファ、ティエラ、フィア……」
俺の全身からブルーブラックの光が溢れ出す。
そしてブルーブラックの光に包まれたまま歩き出し、満月の光の下、女王の隣に並ぶ。
「そなたは異質な存在。どうなるか分からぬのじゃ!消滅するかもしれんし、そなたが生まれた前世界に戻れるかも分からんのじゃ!……そなたまで来ることはない!」
女王は俺に身を寄せ必死に訴える。
「俺の事はどうでもいい……とにかく女王、お前を消えさせないように頑張るよ」
俺はそう言いながら女王の腰に手を回す。
「きゃっ」
ほう、女王も感情が出るようになってきたな。
しばらくして俺と女王の身体を満月の光が浮かせはじめる……。
「マイン、リーファ、ティエラ、フィア、ちょっと行ってくる……アデュー」
リーファが俺の元に駆けだしそうになって、マインに抱きしめられている。
フィアも涙を流しながらティエラに押さえつけられている。
マインたち4人は瞬きもせず涙を流しながら俺を見つめ続ける。
「アーツ様!!!……わたしたち……絶対に……」
マインの叫び声が最後まで聞きいらぬうちに俺たちは転送された……。
◆◇◆◇◆
ここは……月面か?
下に……ではなく今度は上にマインたちの星の姿が見える。
あれは天界山山頂だな……4P精霊の宿る目には、精霊界にいる4人の姿が視える。
「ではここにジュエルを嵌めるのじゃ」
皆を眺めていた俺は女王に呼ばれる。
女王の隣に月の光の中から台座が浮かび上がっていた。
そこにはこれまで管理してきたのであろうジュエルが4つ嵌められている。
……たしかにこれらジュエルはひび割れ色あせ、今にも崩れ去りそうな危うさだ。
「ここに嵌めるのか?」
「うむ、古いジュエルはそのままに上から押し込むがよい」
「光と闇のジュエルはどうするんだ?」
「それらはただの副産物じゃ……放っておけばここで消えるじゃろう。その本のことはよく分からん。そなたとちがい遣わされたものではない……異質なものじゃ」
どうやら本(ブック)はイレギュラー中のイレギュラーらしい。
「ふむ」
俺は女王の言う通り、4大精霊のジュエルを本(ブック)から外し、ひとつひとつ台座へと押し込み嵌めていく……。
「くっ!!!」
嵌めるごとに俺からごっそりと精霊力が抜けていくのが分かる。
俺は膝をつきそうになりながらも何とか4つのジュエルを嵌め込んだ。
『!!!!!』
4つのジュエルを飲み込んだ台座は光の中に飲み込まれる。
そして月面が輝き出し、今度はその光に俺たちが飲み込まれていく。
今しかない。
「女王!この本(ブック)は今回の件とは無関係……管轄外だよな!?」
俺は女王に叫びながら思いきり振りかぶる!!!
「ブック!皆を守ってやれよ!あとはまかせたぞ!!!」
俺はそう叫びながら、ありったけの力を込めて本(ブック)を投げる!!!
『ギュイーーーーーン!!!』
精霊界と月を結ぶ光の道を逆走する本(ブック)!!!
『ズドーーーーーン!!!!!』
そのまま精霊界に突き刺さる本(ブック)!!!
俺はそれを視て安心する。
◆◇◆◇◆
全てをやり終え広がり続ける月の光にさらされる俺たち。
その光の中で、少しずつ俺たちの身体が消えて行く……。
「これからどうなるのじゃ?」
そう俺に尋ねる女王は既に消えかかっている。
お前が守り人だろう……俺に聞いてどうする。
そんなツッコミは不安そうな女王を見てやめておく。
ちゃんと感情が出せるじゃないか。
「分からん……でも最後がひとりぼっちじゃなくて良かったな」
俺は女王を見ながらウインクする。
「は、初めて会った男に惚れるほどわらわは軽くはないわ!!!」
と言いながらも顔を真っ赤にする女王のドキドキが伝わってくる。
そうして抱き合ったままの俺たちの眼前に月の輝きが大きく迫ってくる。
「これは……戻れそうにないな……」
俺は目の前に広がる月の輝きに飲み込まれながら感じる。
4つのジュエルをおさめたことで、俺の精霊力はごっそり持って行かれている。
この月の引力に逆らえそうにない。
目の前の月の輝きが視界を埋め……もう抱きしめた女王すら見ることもできない。
月の輝きが自分の感覚と同化しているように感じられる。
隣の女王のことも感じられなくなってきた……。
「やはり消えるのか……」
俺はわずかな精霊力をフル稼働し、思いきり女王を抱きしめる。
この女性(ひと)だけは消えさせてはいけない!!!
女王も最後の力で俺を抱きしめてきた!!!
そしてついに俺たちの想いも存在も何もかも月の光に飲み込まれた……。
そうして俺たちはこの世界から消失した……。
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